静かに開かれた床下に続く扉からでた少女は一人町を彷徨う
ちょっとダークです。
でも、残酷とかではないと思うので、気楽に見ていただけたら幸いです。
―― キシ キシ ギイィィ ――
床下に続く扉は静かに、そしてゆっくりと内側より開けられる。
「パパ………ママ……………」
そして、泣き出しそうな、力のない声と共に少女が現れた。
虚ろな瞳のまま、呪文のように父母への呼びかけを繰り返している。
室内は荒れていた。木造りの扉は開け放たれ、窓は割られ、床に散らばった硝子の欠片が、斜めに差し込む朝日にキラキラと輝く。
少女は、誰もいない室内を見回しながら身体を流していく。食器は割られ、花瓶は砕かれ、散らされた花弁は踏みにじられていた。ひっくり返された箪笥は略奪の跡を示し、開けられたままの玄関戸に付けられた血の跡は、激しい戦闘の跡を示していた。
月明かりのない夜であった。
金属のぶつかり合う音に目を覚ました。窓の外を鎧の集団が歩いている。町の者と争っているようだった。
父親も棍棒を手にし、戦闘への参加の準備をしていた。母親は何か焦ったような面持ちで、少女を床下に促しながら、諭すように言った。
「ここに隠れていなさい」
それが、聞くことのできた母親の最後の言葉であった。
灯りのない床下の収納室。のしかかってくる不安の中、耳を押さえながら小さくなった。気が付いたら眠っていた。
朝の光の中、不安は色鮮やかになってきた。
昨夜のことを思い出す度に怖くなっていく。あの鎧の集団は何だったのか。父親は戦闘に参加してしまったのか。母親はどこに行ったのか。いったい町に何があったのか。わからない。ただ不安だけが心に溜まっていく。
少女は、ふらふらと外へと向かう。
どの家も扉を開けたまま、人の気配はない。僅か一夜にして町は廃墟と化してしまった。
キャストルパレンという町が滅んだ。
一攫千金を目指す冒険者達を荒野に送り出す小さな町だ。国境付近に位置するといっても、幹道から外れている為、大きな兵を持つということもない町である。国同士の争いに巻き込まれたとも、最近活発化する亜人種達の侵略とも噂されているが、生き残った者が確認できていない為、真相を知る術はない。
「みんな、どこ行ったの? ねぇ……」
少女は、歩き始めた。
誰もいない。皆、囚われたのだろうか。殺されてしまったんだろうか。どこに行ってしまったんだろう、だんだん寂しくなっていく。
石造りの短い坂の先の白塗りの家の角を曲がると、ブランコが見えてきた。
「アルの家のブランコだ。いつもタウロたちが占領しちゃってさ、私が乗れるのはいつも朝。みんなが来る前の時間だけ。アルはいつもニコニコして見てた。そういえば、アルが乗ってるの見た事なかったな。ひょっとして、乗れなかったりして。アルならありえるな。だって、私より走るの遅いんだもの。へなちょこだわ……でも、優しかったな。頭も良かったし……、でも、へなちょこ」
気を紛らわそうと独り言つが、自然に涙が溢れてくる。それでも、口を開いておくこと以外に自分を保っておく術が見つからなかったのだ。精一杯作ってみた笑顔もぎこちない。
「キャリおばさんの家。おばさんの作るアップルパイが美味しいって噂があったよね。それで、タウロたちと一緒に『キャリおばさんのアップルパイを食べるぞ大作戦』とかしてさ。作戦は失敗だったんだけど、その時にアルが噴水に落ちてさ、風邪ひいたんだよね。」
止めどなく涙が溢れる。少女は、いっそうに声を大きく独り言ち続ける。
「アルってば身体が弱くて、一年の半分くらい風邪ひいてたよ。結局、おばさんがお見舞いだってアップルパイを持ってきてくれて、二人で食べたんだよね。タウロたちには内緒だったけど、めちゃくちゃ美味しかったな。リンドウ先生とお別れする前だったかな。リンドウ先生は、キュピーンとした眼鏡してさ、めっちゃ恐いの。でもさ、私は好きだったな。また、来てくれるって言ってたけど、無理だよね。町がなくなっちゃったもんね。とても知的で綺麗だったな。カーラなんかとは、全然違う。男どもは、みんなカーラカーラってさ、大人も子供も一緒。あのアルまでカーラって言ってた。あのへなちょこアルまでもがだよ…………そ……」
足が止まる。
大通りへと抜けるエブアの薬草店の脇に動くものを見つけた。
子供? 誰だろう? 自然と上気していく。
少女は、早足になって近付いていく。
そして、その存在の異型に気が付いた。
土気色の肌。低い背丈。猫のように曲がった背中。髪のない頭に、細く尖った耳。アルと一緒に見た図鑑に出てきた小さな食人鬼。幼い子供を襲う、不潔で野蛮な汚れた存在。人の足の甲らしき物を手に、むしゃぶりついている。
あれはゴブリン?
存在に対する疑問は確信に変わり、確信は恐怖を伴って少女を包み込む。
少女は、逃げ出した。
力の限り走った。
「クカ カカカカカカ
カカカカカカカカカカカカ 」
背後で声がした。
音のような声。
声は新しい声を呼び、夥しい合唱となる。
建物の陰から、路地裏から、通りの奥から、瓦礫の中からワラワラと集まってくる。
「ッコォ……コォドォ……コォドォモォォ……
ッモォ……イィ……イィタァァ……」
先程の乾いた声と同じ口から発せられたとは思えない、ネチャネチャと粘った発音であった。
「……ドォ……モォ」
「エ……エェェサァァァ……」
「コォドォモォ……タ……タベェェルゥゥゥ……」
「ウォレェノォォ……」
口々に喋り始めた。
まとまりのない言葉達が喧騒となり、競り合いに変わり始める。
どこからか拾ったであろう木切れを振り回す者もいれば、噛み付く者もいる。仲間の上によじ登る者もいれば、仲間を引きずり回す者もいる。始めに声を発した者は、手にした足を取られまいと、擦り切れ、破れ、襤褸となり腰にぶら下がっている腰布の中に隠すと、ゲヒゲヒと湿気った笑い声を上げていた。
少女は走る。
また別の方から声がする。
「クカ カカカカカカ
カカカカカカカカカカカカ 」
ゴブリンの甲高い声が響いてくる。
少女は、走っていた。
大貫通りの裏、年長のイルマの家を過ぎたくらいの所で、再びカカカという声が聞こえた。先程とは違う個体が窓から顔を出し、声を上げたのだ。
また集まってくる。
少女は、足に力を入れた。
心臓が痛い。鼓動の度に身体が熱を持っていく。
胸が苦しい。
空気が足りない。
足がもつれる。
それでも止まれない。
走るしかない。
逃げるしかない。
「ハア……ハア……助けてよ……。助けて。 パパ……ママ…… 助けて……アル……」
呼吸と共に弱音がこぼれた。
道の先、2ブロック程走ったら壁がある。町をぐるりと囲む塀だ。塀の外には堀が巡らされている。正面の塀を右手側に進んだら広場に出る。旅立ちの広場という、町で一番賑やかであった広場だ。その広場には大きな橋が繋がり、そこから町の外に出られる。
少女は、広場を目指していた。
暫くすると、一軒の酒場の横手に辿り着く。カーラの働いていた酒場である。この酒場を抜けるのが広場への近道だ。
少女は安堵の笑みを浮かべ、足を止める。
通いなれた道。タウロたちに付き合わされて、何度も来た。生ゴミ臭い勝手口を抜けて、いつも不機嫌そうなマスターのいるカウンター裏から入ることもあったが、倉庫横の窓から覗き込む方が、カーラを見るには手っ取り早い。
確かにカーラは綺麗で可愛い。町の男達が入れあげるのも分からないではない。その上優しい。窓から覗き込むタウロたちに、いつもお菓子をくれていた。当然、私も貰ったし、ちょっと良い奴と思ったことはある。私はカーラの怒ったところを見た事がないし、カーラが人の悪口を言っているのも聞いたことがない。でも、カーラに聞いたら、万年不機嫌顔のマスターの方が良い人なんだそうだ。彼女の周りは良い人だらけで、彼女も良い人。
それでも、カーラを好きか嫌いかと聞かれたら、嫌いだ。何となく嫌いだ。
少女は慣れた様子で、窓から店内へと入った。
店内は天井の明かり取りのおかげで幾分かは明るかったが、ランタンが点いていないせいか、壁際まで明かりが届かず、いつもより広く感じられる。
荒らされていた。
テーブルは隅の方に投げられ、積まれている。綺麗に列んでいた酒の瓶は割られ、ワインの樽も乱雑に転がされていた。テーブル、瓶、樽、そして壁、床をデコレートした血液たちが、割られた窓から差し込む光に照らされ、ヌメヌメと輝いている。
ゴブリンの仕業だろうか?
鎧の集団の仕業なのだろうか?
少女に知りうる術はなかった。
音がする。
外からである。
かなりの数がいる。
声も聞こえてくる。
集まっている?
追いつかれた?
探してる?
「ッコォ……ドォモォ……ドォコォ……」
「エェ……サァァ……」
「タァ……ベェルゥゥゥ……」
「ドォコォダァ」
「ウオォレェノォ……ウエェスサウァ」
「ハァラァ……ワァァタァ」
声がどんどん近付いてくる。
少女は周囲を見回し、蓋の開いた樽を見つけると、その中に潜り込んだ。
縁に足を掛け、よじ登り、残った液体の中に身を漬す。
樽の中にはワインが半分程残っていた。膝を曲げ、屈むように自分の身体を沈めていく。濃厚なアルコールの香りが身を包み、まだ酒を知らない少女の感覚を犯していった。
「ドォコォダァ」
声が聞こえた。酒場の中にペタペタという足音が入ってきた。三体くらいだろうか。
少女は、鼻下までワインに沈め、息を潜める。
―― サワッ ――
ワイン樽の底、伸ばした手に触る物があった。
何?
何か繊維のような物。
指に絡み付いてくる。
少女は、ゆっくりと音を立てないように手を液中より引き上げる。
大量の長い……髪の毛。
濃厚な紅い液体にコーティングされた……ブロンドの髪の毛。
ゆったりとしたカールが手に、指に絡み付いている。
そして、髪と一緒にワイン樽の底から浮かび上がってきた物があった。
液面越しに見つめてくる…………二重の目。
薄く微笑んだような唇。
焦点の定まるハズのない茶色い瞳と目が合ったような気がした。
カーラ……。
首だけとなったカーラが…………そこにいた。
「ぁ………………」
少女は、声にならない悲鳴を上げた。
無言の悲鳴に呼応するかのように、少女の身体と液体の隙間から、新しいパーツが浮かび上がってくる。
手……太股……胸……肩……脇……そして、贓物……
「あ、あハ、アはハはハハハ………………」
少女はカーラと共にいた。アルも、タウロも、イルマもみんな、町中の男達が恋い焦がれたカーラと共にいた。ワイン樽の中で包み込まれるように、無数のカーラと共にいたのだ。
「ハハハハハ………………」
頭の中が、白くえぐり取られていく。
何も考えることができなくなっていた。
何も感じることができなくなっていた。
「アハハハハハハハハハハ………………」
樽から這い出した少女は、ドロリとした液体を滴らせたまま、店の外へ、旅立ちの広場へと歩み出していく。
「ハハハハ…………ハハ………ハハハハハハ………………」
右手には、カーラの頭を絡めたまま。
左手には、カーラの腕を掴んだまま。
少女は、歩いていた。
「キャハハハハハハハハハ………………ハハハ………………」
広場には、数多のゴブリンが集まっていた。
皆、口々に何か言っている。
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
もう、どうでもよかった。
広場から橋へと向かう。
ここからでも、橋が崩れているのは分かった。それでもゾロリゾロリと、足を進めていく。
「クフッフアハハハハハハハハハハ」
橋の下、堀は死体で埋め尽くされている。
重なっている。重なっている。手と手が絡むように、足と足が絡むように重なっている。
切り刻まれた死体。
「パパ……ママ……アル………。ウクッ キャ キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
涙が溢れていた。一瞬甦った理性は、瞬く間に壊れた。
もうどうでもいい。
周囲を取り囲んだゴブリン達が、引き攣った笑みを溢しながら近付いてくる。
食事が始まった。
身体が左右に振られる。もうどこを向いているのかすら分からない。
熱いシャワーが身体を濡らす。紅い。自分の血だ。
不思議と痛みは無い。酒のせいなのだろうか。自分が壊れているからだろうか。
先の方で手が見える。自分の手。カーラの手を掴んだままだ。
何故か可笑しくなってくる。
自分はここにいるのに、手が足が、あんなに遠くにある。
あぁ、死ねる。
そっと目を閉じる。
死ねる。
少女が目を閉じた時だった。
─ クフッ
笑い声がした。
近くから…………。
極近くから………………。
意思に関わらず笑っていた。
「クフッ……ク……ク……キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ…………キャーーーーーーー」
ただ笑っていた。
次第に笑い声は悲鳴となり、叫ぶ程に感覚が鮮明になっていく。
感じられる『死の匂い』。
その匂いは、悲しみを伴い、泣き叫ぶ悲鳴となる。
声はドンドン高くなり、ハウリングのように周囲に響き渡った。
一体、二体とゴブリンが倒れていく。
目から、鼻から血を流し、また新しい個体が倒れていく。
…………どのくらい時間が流れたのだろう。
叫びが止まった少女は、立ち尽くしていた。
周りに生きている者はいない。
夥しい死体の中、少女は涙を流しながら立っていた。
バンシー[Banshee]という魔物が誕生した。
お読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m
ストーリーもなく、書きたいように書いてしまいました。
もし、よろしければコチラも読んでやってください。ちゃんとしたストーリーの筈です。
「癒しの手を握るのは、騎士か?悪魔か?堕天使か?」
https://ncode.syosetu.com/n7941ib/
応援よろしくお願いします。