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「そして、涙は海になった」略称:ティアシー  作者: ザヴァツキ 新作「ティアシー」執筆わよ
九番目 「そして、涙は海になった」略称:ティアシー
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第一章 別世界ダイバー

「通信、どう、聞こえてるザヴァくん」

「……ばっちりッス、カグヤ姉さん」

 すでにかなりの距離を移動している。世界の果てってほどじゃないが。それでも、世が世なら、国のひとつは通り過ぎてるくらいに。

「気をつけてね、べりエルグ側の防衛機構も手を抜けるほど簡単じゃないだろうから」

「だーいじょうぶ、そのために俺がいんだろ。先生は出番までお寛ぎくださいってねぇ」

 ビルドが、大雑把なような風体でいて、それでいて極めて繊細な加減で物理インターフェースを操作する。小型船は地表すれすれを、景色を視認できないほどのすばやさで後ろへと押しやりながら。弱点となる世界間移動の時間を最小限にするべく駆動していた。

「ちょっとぉ、もう少し安定しないわけ?」

「無理いうなよお嬢ちゃん、俺だからこそ、このスピードでもつんのめらないんだぜ」

『おわっ、確かにすげーなこれは、今の結構ぎりぎりだったぜ実際』

「まあね、けどビルド先輩のことだ、船の切っ先くらい万全に把握してるんじゃない」

「何よそれ、私だけ我が儘みたいじゃん」

 ふーんだ、と頬をやや膨らませて、みんなのことを心配してるんだからね、の気配だ。彼女の艶めかしい肢体が小刻みに、揺れる。

「そんなことないわよーエリィちゃん、ザヴァくんをしっかりと支えてあげてね。ダイバーとしてはともかく、チームにまだ慣れてないみたいだし。ベテランのあなたなら、ね」

「ふあーい」

 伸びやかなあくびをしながら、エリィはそんな風に答える。任務に今まさに赴こうとする場面での、気の抜けた仕草が彼女らしい。

「そろそろか。ステルスモードとはいえある程度は探知される危険もあるからな。用意はいいか、取りついたら即動くんだぞ」

「オールレディ、僕はいつでもいけるぜ。有難うな、ビルド先輩、カグヤ姉さんも」

 リスクを冒して現実世界を航行してくれたチームメンバーをねぎらいながら。ザヴァツキは身に着けた多種多様な装備の細部を再度点検する。もっとも、ダイバーとしての経験はあるほうだから。よほどの不測の事態でも起きない限り、そうそう状況に後れを取るとも思えなかった。

「私が守るもの。大丈夫よねーザヴァくん」

「それいっていいやつだっけ?! 大丈夫かどうか急に心配になってきたんだけど。ちょっとおぉおおおぉ、デイドリーマーさーん」

 微かなノイズを伴った声が即座に応じる。

「……状況を認識しています。もっとも別世界への接近や侵入後は、できることはいつもながら限定的なので、把握を願います」

「わかってるって。さーてやっていきますか」

 シートから背中を起こし、いよいよとばかりにザヴァツキは、小型船と自らとを連結していた複数本のケーブルを引き外した。

 あくまでも、彼らが、そう認識している。思えば定まる実存主義のご時世のなかで、起き得ないことでもない限りは、起き得る。

 現実世界の側に干渉しつつ移動する場合、本来はもうすでに何もかもが電脳世界の住人である彼らは、マグナ粒子という特殊なエネルギー状態を得られる最先端の鉱物資源を使用し。

 空間に漂うそれに荷電した状態で希薄ながら辛うじて半実体化している。現実世界の側に姿を現すこと自体がイレギュラーであり非常に大きな弱点でもある。

 敵性の電脳世界に入るためには今度はマグナ粒子を完全なる情報体、エネルギー状態としてふるまえるよう転換する。実体化したり空虚化したりと大忙しだ。

「到着。そら、こっから一気に行くぜ」

 ビルドが操縦桿とペダルを矢継ぎ早にマニュアルで激しく操作する。微細な姿勢制御ブーストを吹き散らかしながら、ステルスモードをかなぐり捨てて、小型船がベリエルグの〝外殻〟へとノミのように取りつき爪を立てる。

「それじゃまた後ほど。エリィ、今回も頼むぜ。セントラルとの通信を途絶する。こっちのタイミングで帰投するのでお楽しみにね」

「エリィ、続きます。以下同文でして」

『(ティムっちゃんも続きます、なんちゃって)』

 現実世界で小型船が、別世界の外殻に、侵入のための杭を瞬時に激しく打ち込む。

 別世界が纏っていた電磁的な障壁を突き抜けて到達しつつ。こちらも負けじと電磁的な障壁を稼働させ。単なる気象的な、とりたてて害のないノイズかのように侵入を偽装する。

「行ってきます」 

 サムズアップでビルドにしばしの別れを告げる間もなく。

 小型船の質量に伴って、荷電したマグナ粒子の物理的な霧のような状態で展開していたザヴァツキと(ティムと)エリィそれぞれの、心と身体と魂とが。

 電脳世界の側へと、エネルギー状態の存在情報として強引に転換されながら。ざりざりと細かい砕片へと打ち砕かれ、散り散りになり。

 あっという間に、人を駄目にする例のあのソファを空中で蹴って駄目にしたみたいな、光るパウダーの破壊的な奔流となり、周囲の空間を勢いよく縦横無尽に飛び回る。

 次の瞬間には、視認することすらも難しい速さで杭の内部へと一気に吸い込まれていった。

「いい手土産を期待してるぜ、ザヴァくん」

 それ以上この場に留まることは、現実世界の小型船にとっても、それを操縦する電脳世界由来のビルドにとっても、たった今敵性の電脳世界に侵入したばかりの二人(ティムもだから三人)にとっても、致命的な結果を招く。

 杭が引き外され、取りついていた係留脚が外殻を跳ね飛ばす。強い風と霧に紛れるようにして、ビルドは小型船を虚空へと逃した。

 まばゆく明滅する光と影、上下左右に激しく乱れる重力の方向、これってつまり、俺たちぐるぐる回っちゃってない?

「相変わらず慣れないわね、この感覚だけは」

「そうだねぇ、ま、すぐに着地できるっしょ」

 できる限り、別世界へのダイブに不可避な違和感を軽減しようと、軽快を装う。

 だが、必要なのは警戒だ。駄洒落かよ。ビルドの手練れのマニュアル操船技術と。セントラルシティから遠く離れ機能が制限されているデイドリーマーが、それでも行ってくれていた電磁的な障壁による偽装を信じるしかない。

『(ザヴァくんはさー心配性だよなーっ)』

「(いってろ。今がある意味で一番危険なんだぞ)状況を再認識、空間と時間と質量の把握を怠るな。エリィ、ついて来れてるよな」

「……あったり前でしょ、私のほうがベテランだってことを忘れないように、新人くん」

 ぐらぐらと激しく揺れ乱れまくっていた認識が、だんだんとひとつの方向へと引き寄せられていく感じへと変わる。到達地点が近い。

 オズの魔法使いもかくやとばかりの暴風となって。電子的に細分化された情報として。三人の存在が、別世界の地表へと降り注いだ。

「ってー、これだもんな(おるかーティム)」

『(おるでー)』

 すぐさま振り返りざまに、同じように彼のやや後ろを降下していたエリィの肢体を、抱きかかえるようにして受け止める。

「きゃうっ?! ちょっとぉ、どこ触ってんのよー。若くてかわいらしいレディの扱いとしてはどうかと思うけど、まあいいわ」

「かたじけないな。さっそくだが例のやつを。モード・コンバート。ベリエルグの不可知領域へとプロトコルを微調整……3、2、1、オールレディ。周波数を取り乱すなよ」

 光と影が渦巻く自然状態ではあり得ない光景しか広がっていなかった周囲の状況が、たちまち、極彩色の世界本来の姿を取り戻していく。

「……おい……おーい、どうしたんだイリヤ。さっきからぼーっとしちゃってさあー。まーたいつもの白昼夢でも見ちゃったってわけ?」

「〝ん……あ、ああ、いやー、何でもないよフィズ。職務の最中にそんな、白昼夢だなんて縁起でもない。あり得んよ、さ、大丈夫だから作業を続けようぜ〟」

『〝(……)〟』

 不思議の国のアリスのほうのやつだから。

 別世界へとダイブした以上。

 ベリエルグの管理AIである不可知領域が思い定めるプロトコルへと。

 五感を、存在そのものを、コンバートする以外にない。そうするしか、ここにはいられない。

 あまつさえ、ほとんどの認識を、別世界側の〝別の彼ら〟の思惑へと強力に引っ張られた状態でしか、行動できないときているのだ。

 この特殊な駆動ができること自体、極めて類まれな、ワンダフルな資質だとされてるわけで。だからこそ戦士としてここにいるのだ。

 今そこにいたエリィがもう姿を消している。

 そんな思考すらもおぼつかない状態で。

 彼、〝イリヤ〟は、ベリエルグの中心街にそびえるどでかいビルの外壁を、器用に空中で闊歩する。これほどの高さがあると、夜景を遠くまで見渡せてすこぶる気分がよかった。

 細くても丈夫なワイヤーで吊られながら、適宜手元の昇降装置を巻いたり戻したりする。

 複雑な機能が微に入り細に入り織り込まれた、豪勢で高価な建物だ。点検したり修理したり新造したりする箇所ならごまんとあった。

 ベリエルグの街の機能をメンテナンスする、硬質で機械的な音が、打ち鳴らされ、響く。

 そのままかなりの時間、夜風に吹かれながらの職務をひとしきり精力的にこなしてから。

 ようやく、ワイヤーを最大まで伸ばして、地上へと降りると。

 中心街から少し離れた、彼らの待機所兼宿舎へと足早に移動する。

「ふーっ、ともあれ、お疲れ様、イリヤ」

「〝お疲れーフィズー、いやーここに戻るとようやく俺たちの時間だって気がするよなー!〟」

 にこやかな表情だったフィズが、動きを止め、わずかに、怪訝そうな表情を浮かべる。

「え?」

『〝(おいおい)〟』

「〝い、いやぁ、何でもない気にしないでくれ、ほらみんなも腹が減ってるだろう〟」

 超早口。つい、忘れそうになる。身体を動かして心地よく疲れてようが、ここはやっぱり敵地ベリエルグ、別世界なんだぞザヴァくん。

 不可知領域がいかにも好みそうな、大仰で古風な所作と、いい回しに気をつけろ。

 恣意的に、そう、思い定める。

 率先して金属製のでっかいやかんを引っ掴み、同じく金属製のマグカップへとざっくりとお茶を注ぎ回す。周囲のメンバーへと配る。

 フィズたちが手早く用意してくれたあり合わせの夕餉の支度もすぐに整い。それとない会話をしながらめいめいに食べ始める。

 夕餉っていったって、彼ら労働者たる弱者大衆のものだから、至って質素なもので。

 賑やかな和みの時間が過ぎると。あるものは多段ベッドが押し込められた狭い寝室へと入り。あるものはそのまま食堂で、ゆるい番組しか映っていないテレビを、見るともなしに眺めながら、談笑している。

 さて、と。入浴も済ませた〝イリヤ〟は、おもむろにダイニングテーブルから立つと、そのままふいっと部屋を出ようとして、

「イリヤ……また、例のあれってこと?」

 しっかりフィズに見咎められてるじゃん。

 おっかしいなー、ふいっと立ったのにな。

「〝何ってことでもないさ。ちょっと出てくる〟」

 外へと出た。だんだんと秋を経て冬へと近づく季節だけに、夜は肌寒い。

 労働者用の宿泊施設がある街外れから、また中心街へと足を戻す。職務のさなかにも感じられたが、こうしてるあいだもごうごうと強いビル風の吹き過ぎる音が夜の街にこだましていた。さながら街の咆哮かのごとく。

 進む方向は正しかったから、遠からず目的地へとたどり着く。

 この時間でも出入りできるとはなかなかのサービスじゃないか。ザヴァツキ以上の四角四面さを誇るベリエルグの施設とは思えない。

「これはこれは、イリヤ先生じゃないか」

 うっ。ロビーで嫌なやつとすれ違う。それでも一張羅に着替えてきたはずの彼のたたずまいを、総額で軽く上回る超豪華なファッション。

「〝やあ、クーン〟」

 ベリエルグ側へとコンバートし投影しているだけのエイリアスだと知りながら。内心で敵愾心が確かに、不可避に持ち上がるのを感じる。

 それ以上、何もいわず。クーンの自分へと向ける視線に、見下しとも蔑視ともつかない強硬な意志を感じながら。

 手続きをしてブースに入り、座る。

 個人用の表現端末一式が、辛うじて身体をぶつけずに座れるくらいのスペースに収納されている。スイッチを入れ、起動。

 わずかな音だけを立てながら機械が駆動し始める。やがて細部に複数の光が灯る。

 全感覚投影を魅力として、ベリエルグの街の幅広い世代に人気がある、定番とまでいわれる娯楽〝ドラマティック〟。その複雑で高度な表現を行う機能が、そこにはすべて備わっている。

「〝いいじゃないか、悪くはないだろう〟」

 その端末を駆動させて、ドラマティックの世界観を自分が演出することに。何かにつけて、かかるコストの大きさを感じる。

 しかしそれでも〝イリヤ〟は、街の機能をメンテナンスする職務のさなか。仲間たちと日常的に暮らしながら。宿泊施設と中心街を行き来しながら。あるいは眠りの中でさえも。

 心ここにあらず、とまではいわないが。常にDRドラマティックと共にあることも確かだ。それほどまでに日々熱中している。

 時間と空間と質量とを恣意的に情熱的に構築していく。何もなかったはずの時系列に、さながら生きているかのごとく営みが生まれていくのを。自分のことのようにうれしく思う。

 かなりの時間が過ぎた。もう深夜だ。

 〝イリヤ〟はふらりと席を立ち、会計を済ませて外へと出た。相変わらずのビル風と、肌寒い気候が、いくぶん心地よい。

「〝……〟」

「〝え……?〟」

 いったいいつからそこにいるのか。DR構築ブースを利用できる施設と、労働者たちの宿泊施設とを結ぶ道筋の途中。つまりは彼の帰途を遮るかのように。こんな時間にしては異質に。

 ひとりの若い女性の姿があった。

「〝はぁい、お久しぶりね、イリヤ〟」

「〝フラル、君か。どうして、ここに〟」

 ずいぶんと前に彼の前から離れて久しい彼女の姿に驚きを隠せない。それもやんごとなき事情でだ。それなのに……。

「〝少し前にね、地上に戻ってきたの〟」

「〝上で何かあったのか〟」

「〝特に何ってわけじゃないけど……〟」

 そういいながらも、物憂げな彼女の様子から、何がしかを察しないわけでもない。

『〝(……)〟』

「〝立ち話も何だし、どこかに入ろう。この時間で開いてるっていうと〟」

 こうして現れた時点で、そうしたかったのだろう。彼女もはぐらかすでもなく、彼の誘いに自然に応じる。

 深夜まで営業している店がないほど寂れた街並みじゃない。二人は夜道を連れ立って歩く。

「(……深度計より警戒警報を認識。これより先は危険です。今回は少し早いようですが、イジェクトの用意へと移行してください)」

「(だーってさ、聞こえてるかエリィ)」

「(ええ、このまま成り行きでフェードアウトしましょ。いつでもいいわよ)」

 脳内で隠蔽された別プロトコルの秘密の会話をすばやく行う。

 別世界へのダイブは簡単じゃない。あまりにも無理をしてしまえば安全の保障はない。

 何も今回しかダイブできないわけじゃない。

「状況に記録アンカーを設置。これよりイジェクトする。(ティムっちゃん)」

『(ほいきた)』

 別世界の状況に、彼ら(二人、実は三人)だけが認識できる介入のポイント地点を作る。

 こうしておけば、また改めて続きをダイブすることができる。不可知領域もそうそう気づきはしない。

 電脳世界を維持する現実世界のリソースは別世界同士が奪い合うほどに限られてるし、構造は複雑だし、慎重に偽装してるからな。

 ざりざりと周囲の空間が色彩を失っていく。

 ベリエルグの、不可知領域の思い定めるプロトコルへとコンバートしていた彼らの存在が、あるいは街並みとの繋がりが、ぼやける。

 侵入したときと同じような時間と空間と質量の定かではなくなる感覚が襲う。

 ダイバーとしての能力次第ではある。彼らがチームとしてより一層の力を磨くことで。長時間の、あるいは長期間のといったほうがいいようなダイブも可能になるかもしれない。

 深度計の警告を無視してまでのリスクを冒す段階じゃ、ない。

 あくまでもそこは状況次第でして。よほどの重要なイベントに行き当っていれば、状況を優先するかもしれない。

 いずれにしても、チームとしての彼らが、ふがいないとまではいわずとも、力不足で、短時間でのイジェクトになったのではないか。どうしてもそんな風に感じざるを得ない。

 それでもくり返しダイブし続け、ベリエルグに、不可知領域の思い定める世界観に、足場を築かなければ、その先はない。

 色彩が失われる。地表の感覚が足元から離れ、空中を暴風となって移動している。

『(……待て、何かおかしいぞ)』

 ティムっちゃんの感覚は当てになる。

「待て、エリィ。何かおかしくないか」

「どういうこと?」

 ティムっちゃんの声は彼女に聞こえてない。

 そりゃそうだ、ザヴァくんの脳内にしかいない。だからあえて、そうして伝える。

「予定した地点じゃない。引き寄せられ……」

 イジェクトしようとしていた暴風と化した彼らの存在が、まったく別の地点にぶつかる。

「はっはー、何だこれ、侵入者ってこと?」

「そうみたいだねえ、面白いじゃない」

「これはちょっとお灸を据えないとねえ」

 イジェクトしきらず中断させられたたらを踏むところを、突然そんな風にいわれても。

「〝そっちこそ何だ、誰だお前ら〟」

 警戒しつつ距離を取る。腰の左右に装備された二刀短剣〝ワルキューレ〟の柄に、両手を一瞬で伸ばすことができる姿勢を取る。

「疾風のシャール」「怒涛のヴェネス」「迅雷のドラン」「「「三人合わせて……」」」

「〝はいーそういうのいいからー、君たちはあれだねえ、ここの住人ぽくないねえ〟」

 ザヴァツキがあえての気の抜けた反応を返すと、彼らは名乗りのタイミングを失い、お互いに顔を見合わせている。

「語るに落ちたな、はっ、どうせ別世界からの侵入者だろ。お前がいうな。ちょっくら俺が相手してやる」

 シャールと名乗ったリーダーと思われる敵兵が、思いのほか潔いスピードで一気に距離を詰めてきたので、

「〝そう急いてはことを仕損じるぞー〟」

 なんてな、心にもないことをいう。早業はむしろザヴァくんの十八番でして、

「……きゃっ、ちょっと、何とかしてよ」

『(ザヴァくんは落ち着いてるなーすごいぞ)』

 がっつりと、打ち込まれてきたシャールの曲刀、シミターが、比較的直線的で短い二本の短剣に阻まれる。じーんと手が痺れる。

 それこそ電光石火の切り返しで。

 ワルキューレが宙を舞う。思いのほか手練れだとさしもの瞬時に理解し、シャールがシミターを翻しながら苦しい表情を浮かべる。

「何っ」「聞いてないぞ」

 ヴェネスとドランが、苦戦するリーダーに驚きつつ、逆に咄嗟に手を出しにくい。

『(イジェクト地点への迂回経路再設定)』

「(問題ありません、ティム)」

「〝……お前たちとは遊べないんだわ。また会うことになるかもしれんけど今じゃねーな〟」

「そんな戯言、素直に逃げたいといったらどうだ、ええ、デイドリーマーの傀儡がよ」

 電脳世界だけに戦闘も猛スピードだ。時間と空間と質量をともすれば超越しながらの、起き得ないこと以外を駆使しての斬撃の応酬。

 すでに何発も食らってる。ザヴァくんピンチ。でもダイバーとしてそれなりにやっていきしてるから、こういうのも当然初めてじゃないんだよなー。既出ってやつだな。どれ。

「〝ふははは。甘いな。繰り出すぜ秘奥義、ギロチンクロス・イリュージョン!!〟」

「っつ、何?!」

 それまでよりもさらに強力な力を両手に込め、あろうことか遠未来なのに技名を叫んでしまうザヴァくんのものすごい剣幕に。

 一瞬、手練れのシャールの視線が誘導される。だが陽動。別角度から繰り出されたのは蹴りのほうだったから、不可避。

「ぐほ……」

 不意を突かれ息が詰まる。

「〝おらーっ〟」

 ザヴァツキが振り回すワルキューレの柄に仕込まれた、単発の小型榴弾が、左右で絶妙にタイミングをずらして発射され起爆する、衝撃波と爆炎がシャールを取り巻くように。

「〝じゃあねー〟」

 ざりざりと三人の存在が光るパウダーにまで分解される。シャールの追撃が空を切る。

「野郎っ……」

「おい!」「何やってん……」

 声が遠ざかる。

 ものすごい加速度を感じる。いつの間にか外殻付近にまで近づいていたようで、深度計がさっきとは別の警報を発する。

「衝撃に備えろー」

 速足で歩いていて予想外に激しく頭をぶつけたかのような。それなりの強い痛みを伴う衝撃が襲う。

 次の瞬間、内側から勢いよく突き立てた小型の次元転換掘削装置の刃が、電脳的な空間から脱出するエネルギーを物理現実側にまで干渉させ。外壁を一点突破で破壊し。

 存在情報を、何もないはずの空間へと現出、マグナ粒子として再結晶化させる。さながら雪の結晶のように。存在情報に伴ってるエネルギー自体は、姿はどうあれ維持されてるからな。

 存在というエネルギーを維持しながらマグナ粒子の霧状態として振る舞い。電脳世界のプロトコルに転換しながら竜巻みたいに侵入し。

 また現実世界に逆流して霧の状態にまで戻ってこられる。テレポート級に最新鋭の高度な存在制御技術だ。変幻自在じゃね。扱うのはいうほど簡単じゃないし負担もものすごいけどな。

 ガス型の噴火みたいにどんってベリエルグの領域外へと噴き出す。きらきらとマグナ粒子が宙に広がる。それとなく人型に収束する。

 あくまでも結局は電脳世界側に位置する彼らの存在が、現実世界ではそんな風に、プラズマっぽく〝見えている〟だけで。

 この頼りない霧状態じゃ動くのも不自由だから。当然、デイドリーマーが、セントラルシティのビルドに通信を行い回収を依頼する。

『(滞在は短時間だし、イジェクトは邪魔されるしな、怒られ発生しちゃうんじゃね)』

「(まあそういうなよー、何事も継続が大事だっていうだろ、ちょっと何かあったくらいでさ)大丈夫かエリィ」

「……何とか、ね、あなたこそ平気なわけ」

「兵器じゃないけど平気だよ、なんちゃって」

「もうっ」

『(兵器じゃないといつから錯覚していた)』

「(なん、だと?!)」

 軽口を叩きつつ、さらさらとした霧の動きで、彼らの存在が外殻付近から遠ざかる。さながら何の危害も与えない気象現象のように。


 その後、駆けつけたビルドに回収され。

 セントラルシティに戻ったはいいけど。

 ぐったりしていた。非常に、負荷がかかる。

「大丈夫か、辛そうだな」

「……オーライッス先輩、いつものことで」

 戦士たちが日常的に生活する建物のラウンジで、でっかー度の高いソファに身を横たえている。でっかー度ってどんなんだよ。

 古典的な治療アイテム、濡れタオルを頭に乗せながら、ザヴァくんは唸っていた。

 戦闘で負った傷よりもむしろ。ダイバー酔いとでもいったらいいのか。そういうサムシングのせいで。

「ううーん……」

『……あー』

 以下同文。そもそもダイブしての戻ってくるだけでも原理的に大変だってのに。イジェクトする際の強烈な負荷にも耐えなければならないわけで。まずできないのによくやらないといけない。それがどれほどのことかだよな。

「しばらくゆっくりしたらいい。急ぐ旅路でもないしな」

「あざっすー」

『怒られ、ない?』

「(まだカグヤ姉さんの話聞いてないけど)」

 彼らの待機所は、セントラルシティの郊外にある、世が世ならリゾート地ともいわんばかりの超超豪華なしつらえになっていて。

 大きく開かれた高い窓からはまばゆくも青々としたオーシャンビューが一望できる。

 さわやかな風が吹き抜け、広いラウンジはとても居心地がいい。さっきまでダイブしていたベリエルグのビル風が吹きすさぶ肌寒い秋冬とは比較的マジで大違いだ。

 からからと氷をかき混ぜながら、南国のフルーツが山盛りになったごきげんにトロピカルなドリンクを堪能する。上段に甘いクリームも盛られてるし、中段にはナタデココ、下段にはタピオカまでもが忍ばせてあるからすごい。

 おまけに厚切りの肉汁したたるミディアムレアのステーキと、ふわっふわのパンケーキを、デュアルで食べてる。新鮮なサラダとスープまでついてるしな。豪華じゃんねえ。

 ここにいれば衣食住に不自由なんてない。

 ゆるい風の過ぎる音と、遠くの砂浜から聞こえてくる波音。ラウンジの室温も湿度も極めて快適に保たれている。

『この好待遇、たまりませんな』

「そうだけど、代わりに課されてる義務も大きいからね。わかってると思うけど」

『そういや例の三人揃って何とかってやつらに、俺たちの侵入バレたのかな』

「どうかな。偽装のほうが勝ってるんじゃね。疑念は持たれてても、侵入先の地点まで含めた細部までは暴かれてない可能性もある」

 もちろん、不可知領域のことだ、すべてを知られてる可能性も。

「いずれにしても、あれほど明確にこちらを視認された以上、時間と空間と質量をいかに駆使しても認識のロールバックはできないしな」

 起き得ないことは起きない。一度知られたことを、完全になかったことにはできない。

 ごくわずかな記憶くらいなら、膨大なあり得ないほどのエネルギーを投入すれば、過去や未来に瞬間的に干渉しようもあるのだが。

『ま、ともあれやっていくしかないか』

「いつもそうだぞー」

 セントラルシティとベリエルグとの対峙関係は昨日今日始まったものじゃない。

 現実世界で電脳世界を維持するためのリソースには限りがある。存在するほとんどのオブジェクトが電脳世界へと移行したためだ。

 それぞれに違う由来で世界を作り上げた。結果的にお互いが奪い合う関係になっている。そのことを今から修正しようにも、いったいいつからそうだったのか。

 セントラルシティは比較的先進的で、その世界の根底的な構造までもがある程度住人にオープンになっている特徴がある。

 住人たちはごく一般的な市民ひとりひとりに至るまで、ここが電脳世界で、管理AIであるデイドリーマーに運営されていることを理解しているのだ。

 一方で、ベリエルグの管理AIの不可知領域はどうやらまったく違う考えのようだった。

 住人たちはあくまでも世界が古典的な状態のまま推移していると信じさせられている。

 ありのままの電子的な姿ではなく。不可知領域が考えるこうあれかしという姿で。連続的に、彼らが古代から持ち合わせてきた自然状態の存在のまま、今もあるのだと思っている。

『次はもう少し長く潜りてーな、せっかくいいところだったのによ』

「まあね。しかしそれこそ無理は禁物だ、存在が完全に露呈したり、イジェクトできないほどに痛めつけられたりすれば、最悪俺たちパーティーが使いものにならなくなる」

『そうなったらどうなるんだ』

「さあねー。利用価値からして捕虜にして強気の取引とかじゃね」

『うわー……何だそれ超怒られそー』

 いわずもながなことをわざわざ確認するなってティムっちゃん。呆れながらデザートに取っておいたパンケーキを口に放り込む。

 トロピカルドリンクで流し込むと最高だ。甘味と甘味が溶け合い、消えていくのを、じっくりと堪能する。うめぇーっ。

『ん、あれ、そういやエリィは?』

「さっきまでいなかったっけ、部屋かな」

 どのみちセントラルシティの中枢に位置する戦士たちのためのラウンジは、超鉄壁の安全地帯だ。何ら心配する必要すらもないが。

「ちょっくら水路の様子見てくるわ」

『おー、いってら、コロッケ買ったか』

「ティムっちゃんも来るんだがー?」

 快適ばっちり空間のラウンジから、やわらかいカーペットが敷き詰められた豪華通路を経て。

 戦士たちが休息する居住区へと向かう。

 それにしても広々とした間取りだ。開口部も多く、窓から海べりの街並みらしい温かい日差しが差し込んでいる。

「エリィ、いるかー」

 声がわずかに響く。割り当てられている、彼らのためだけにしては豪華が過ぎるくらいのいい部屋へと戻る。

 個室にまで用意されているリビングダイニング、広縁とかいう、いにしえの旅館さながらの窓辺の寛ぎスペースと、彼女の姿を探す。

「……こっちこっち」

 昼間だけに灯りのついていない、薄明るい屋内から、彼女の小さな声がする。

 二つある寝室のうち、彼女が使っているほうの部屋の、余裕のある作りのダブルベッドに身体をだらりと横たえながら。

 小型の端末から空間に投影させた情報を見るともなしに眺めている。彼女の表情がぼんやりと照らされる。

「どうした、イジェクト酔いがひどかったのか」

「あら、心配してくれてるってこと?」

 近づいたザヴァツキに、顔を上げてにやりとした笑みを浮かべながら。

「あなたのほうが、じゃないかしら」

「俺はいつも慣れてるんだよああいうのは」

「どうかしら……ねっ」

 不意をついて腕を掴まれ、ぐいっと引っ張られる。警戒していなかったので無防備にベッドへどさりと倒れ込みながら。彼女の伸びやかで艶めかしい肢体と重なってしまう。

「え?」

「……なーにカマトトぶってるのよ」

 彼女の唇が半ば強引に重ねられる。やわらかくてみずみずしいマシュマロボディを、避けようもなく触ってしまい困惑する。

「んっ……んむぅ……んーんっ、んうーっ、むーっ、むふふ……んむぅーっ」

 身体を離さなければという思いとは裏腹に。全身全霊を彼女がもたらす快楽に満たされ。

 自分の意志ではどうすることもできずに、されるがままに身をゆだねてしまう。

『……』

 そのまましばらくぶちゅキス状態でぐいぐいと抱きしめられてから、

「……ぷはぁっ、なーに、蕩けたような顔しちゃって、かわいいところあるじゃない」

「いや、お前、何してんっ――」

 一瞬だけ口を離されたと思えば。油断させておいて、すぐにまた唇で塞がれる。

「あぁーん、むぅーっ……んむぅ、んむぅ……んんーっ、んっんっんんーっ」

 ほっそりとした伸びやかな両脚を、すべすべとした白い柔肌を、思いっきり絡めて逃げられなくしてくる。

 キスを続けながら彼女が上になるように、すぐにまた下になるように。翻弄しながらごろごろとベッドを転がる。

「……ふふっ、きもちいっしょ。じゃーん」

 やっと魅惑的な唇から解放されたと思ったら、流れるように豊満な両胸を顔じゅうに押しつけてくる。ザヴァくん息できない。いいにおいがするな、温かいなってぼんやりと思う。

「特別なんだからね。あなたをお癒しすることも私の任務なんだから。せいぜい楽しみなさい、それにしてもまだ日が高いわね。ほーら、ぎゅーっ、ぎゅっ、ぎゅぅーっ」

 さながらそのまま夜通しこの責めが続くことを宣言するかのような台詞を聞いて。

 おずおずと、ザヴァツキの両手が、彼女の細くくびれたしなやかな腰へと回されるのを。

 彼女はにひひというような笑顔で迎え入れる。いいのよぉ、もっと、もーっと楽しみなさいとでもいわんばかりに。

 相変わらず単に任務だからとしか説明されない柔肌の押しつけ行為だが、どうやら許されていて、思いっきり堪能してもいいらしかった。

 内心で超かわいいと思っていた、まだ付き合いの浅い若くてかわいらしい女の子から、こんな風に突然迫られて。

 理性を保てる男などいるだろうか。いない。

 反語である。むしろそのものずばりでして。

 エリィは求められるがままに、両胸から、お腹を経て、ふわっふわのふとももへと至る甘美な女体美のラインを、ぎこちない手つきでたどたどしく蹂躙されるに任せる。絶対いうよね、こういうときのたどたどしいってヤツ。

「イジェクト酔いなんてぜーんぶ忘れさせてあげるぅ。ふふっ、むしろ今度は私の身体に酔いしれちゃうかしら?」

「……すっごく、役得です……」

 長く息を吐き出しながら、深いリラックス状態へと導かれるザヴァくん。

 再びぐいっと全身を引き上げられ、唇に襲いかかられる。首元から胸元へ、また首元から今度は耳元へと。艶めかしい、極上のキスの雨が降る。息を吹きかけては舌を這わせてくる。

 本来ならあり得ないような状況に、わずかな罪悪感を感じつつも。彼女の伸びやかでみずみずしい肢体を、やわらかいマシュマロボディを、どうしても抱きしめてしまう。

 指先が沈み込むほどの素肌の感触、伝わってくる体温の温かさに心が震える。

 サキュバスというにはどこか彼女自身にしても拙さの感じられる誘惑ぶりに。時おり漏れる切なげな吐息と甘やかな声に。

「はぁあああぁん、あっ、ああっ、んむぅうーっ、むぅーっ、んっんっ、ぷはぁっ、はぁ、はぁ、あはぁ……んっ……んむぅーっ」

 濃密なぶちゅキスから一瞬だけ解放される瞬間の、ちゅぽん、という音が耳に響く。

 ラッキースケベじゃん、いや、それ以上じゃね、彼女がいいって、お癒ししますって、これも任務だって、いってるんじゃないか。

 努めて余裕そうな素振りを装いながら、隠しようもなく行為に対し恥じらいの表情を浮かべている彼女の初々しさがたまらない。

 彼女の手管にリードされ、導かれて、素肌をまさぐる手に、しなやかな全身を抱きしめ返す腕に、思わず力が入る。

 長時間くり返されるぶちゅキスで、普段ははっきりしているエリィの、女の子の輪郭が、少しずつ蕩けていく。

 乱れたエリィも、すっごくかわいいと思う。

『……』

 彼女の呼気が首筋にかかる。息をするたびに、エリィのいいにおいに包まれる。

「んっ……いいのよ、いっぱいぎゅーってしてね。ほら、ぎゅーっ、ぎゅぎゅーっ……あっ、もうっ、んっ、んむぅ、んむぅーっ」

 まだ昼間の、灯りの消えた寝室で、二人はそのままお互いの身体を貪り続ける。

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