第69話 幻の三冠馬ランキング
前々回、前回に続いてランキングシリーズ。
今回は、ちょっと趣向を変えて、よく言われている「もし怪我がなかったら、三冠馬になれたかも」的なランキングです。
まあ、この手の物は、結構色々なところで語られてますが、例によって、私の主観ですが。
ルールは簡単。
・日本馬であること。
・1970年代以降に活躍した馬が対象。
・牝馬は含めない。
・( )内は、活躍したクラシックの年度と、クラシックでの勝ち鞍。
では、行ってみましょう。
5位 ミホシンザン(1985年、皐月賞、菊花賞)
デビューは遅く1月6日。しかし、いきなり9馬身差の圧勝。続く水仙賞でも2馬身差をつけて圧勝。
スプリングステークスでは、直線でサザンフィーバーを追いかけるが、サザンフィーバーが残り300メートルで転倒して、競争中止。
ミホシンザンは邪魔をされずに大外から末脚を発揮して、勝利。
続く皐月賞。
実はミホシンザンは、持病の右前脚のソエ、左前脚の深管骨瘤が解消されておらず、万全の体勢ではなかったのですが、その末脚は鋭く、結局、後続に5馬身も差をつけて圧勝。
しかし、レース後に脚部の違和感が発覚。足元はすでに限界を迎えていました。
秋に復帰後は、京都新聞杯を勝って、菊花賞へ。
このレースでは、馬場状態が悪く、ミホシンザンは途中で走る気を失ったとも言われていますが、柴田政人騎手が手綱を絞って、再起を図り、最後の直線で末脚を発揮して、勝利。
無事、二冠達成します。
その後、アメリカJCC、日経賞、天皇賞(春)で1着になっているので、無事なら三冠の可能性は高かったでしょう。
5位 サニーブライアン(1997年、皐月賞、日本ダービー)
すみません。また決められず同位になりました。
デビュー戦こそ勝ったものの、その後勝ちきれないレースが続きます。
しかも皐月賞トライアルの弥生賞は3着で、なんとか皐月賞に出るも、続く若葉ステークスで4着。皐月賞では11番人気まで落としながら、大外から3コーナーで先頭に立ち、逃げ切り勝ち。
日本ダービーでは、皐月賞の勝利がフロックと思われ、7番人気の低評価。しかし、またも大外枠から見事な逃げ切り勝ち。
クラシック二冠を手にしますが、レース中に骨折していたことが判明し、全治6か月と診断され、菊花賞を断念。
年明けには屈腱炎を発症し、そのまま引退。
血統的に菊花賞の3000メートルはこなせていたと思われるので、無事なら三冠の可能性は高かったと思われます。
いまいち、地味なんですが、能力はありました。
4位 フジキセキ(1995年、なし)
サンデーサイレンス初年度産駒の中で、最も父に似ていると評され、多くの競馬関係者が、「無事なら三冠を取れた」と言っている馬ですね。
デビューから鮮烈で、スタートから最後方になりますが、最後の直線で先行勢を捉えると、独走状態になり、1分9秒8のタイムで、2着に8馬身差をつけて勝利。
2戦目のもみじステークスでは、馬なりのままレコードタイムで勝利。
3戦目の朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)では、先行策を取り、スキーキャプテンと叩き合いになりますが、クビ差で勝利。僅差での勝利でしたが、角田晃一騎手は「とにかくエンジンが違うという感じ。加速する時なんか凄いですよ。楽勝でした」と話しています。
続く4戦目は年明けの弥生賞。当日のコンディションが重馬場で分が悪いと思われていたにも関わらず、第3コーナーから先頭に立ちます。
しかし、後続のホッカイルソーに交わされかけます。ところが残り100メートルの地点からホッカイルソーを一気に突き放し、2馬身差をつけて圧勝。その瞬発力は「二段ロケット」と呼ばれました。
クラシックの本命と目されながら、左前脚に屈腱炎を発症していることが判明し、復帰まで1年以上かかるため、引退。
結局、短い現役時代は無敗でした。多くの関係者が、フジキセキを評価しており、一説には「ディープインパクトより上」とすら言われていたそうです。
3位 アグネスタキオン(2001年、皐月賞)
父・サンデーサイレンス、母・アグネスフローラという血統。さらに全兄にアグネスフライトがいて、デビュー前から注目されてました。
デビュー戦では2着に3馬身半差の圧勝。
続くラジオたんぱ杯3歳ステークス(現在のホープフルステークス)では、後のGⅠ馬、クロフネやジャングルポケットがいたのに、ジャングルポケットに2馬身半差をつけて圧勝。上がり3ハロンは最速の34秒1を記録。
この勝利で「来年の三冠馬候補」と言われ、河内洋騎手も「(アグネスタキオンは)次元の違う馬だと確信した」と話しています。
続く年明けの弥生賞では、アグネスタキオンが出走したことにより、他陣営が次々と回避を表明し、8頭立てという少数でのレースになり、しかも不良馬場の中、5馬身差の圧勝。
そして、迎えた皐月賞。
当時歴代2位の単勝支持率59.4%の1.3倍の1番人気。
レースでは危なげなく好位につけ、直線で抜けて完勝。無敗で皐月賞を取ります。
しかし、その後、屈腱炎を発症し、関係者が協議の上で、引退発表。
元々、足元が弱かったそうです。
ライバルのクロフネやジャングルポケットを子ども扱いするような強さだったので、無事なら三冠の可能性は高かったでしょう。
2位 ドゥラメンテ(2015年、皐月賞、日本ダービー)
デビュー戦は出遅れて2着でしたが、その後の未勝利戦では6馬身差の圧勝。
3戦目のセントポーリア賞でも5馬身差の圧勝で、クラシック有力候補に。
しかし4戦目の共同通信杯では、折り合いを欠き2着。
皐月賞では第4コーナーで斜行し、他馬を妨害したため、後味の悪い勝利になりますが、それでも後方から末脚を発揮して、完勝。
迎えた日本ダービーでは、圧倒的な1番人気に押され、レースでは折り合いを欠き、心配されるも、直線に入ると先頭に立ち、押し切って勝利。
見事、二冠達成をしますが、放牧後に骨折が判明。復帰まで6か月を要することから、菊花賞は回避となります。
その後、中山記念で1着、ドバイシーマクラシックで2着、宝塚記念で2着になっています。
特に3歳時は圧倒的に強く、育成調教を担当した林宏樹氏によると「車に例えるなら、3速に入れたつもりが、6速のスピードに達していたという印象もあります」とのこと。
骨折前の強さは、同世代とは次元が違ったので、三冠の可能性は高かったでしょう。
1位 トウカイテイオー(1991年、皐月賞、日本ダービー)
栄えある1位は、やはりトウカイテイオー。
無敗の三冠馬、皇帝・シンボリルドルフの子として期待され、デビュー戦は不良馬場を物ともせずに2馬身差の圧勝。
その後も連勝し、皐月賞トライアルの若葉ステークスも勝利し、無敗のまま皐月賞へ。
皐月賞では重賞未勝利ながら1番人気に支持され、大外18番枠を物ともせず、好位から突き抜けて完勝。
主戦の安田隆行騎手が馬上で人差し指を掲げ、三冠取りを宣言したのはこの時。
続く日本ダービーでは、またも不利とされる大外の20番枠になりますが、またも好位から抜け出して、3馬身差の圧勝で、あっさりと無敗で二冠達成。
しかし、レース後に歩様が乱れ、検査の結果、骨折が発覚し、全治6か月と診断され、菊花賞は回避。
シンボリルドルフに続く、史上初の無敗での親子三冠制覇は夢と消えますが、その後のメジロマックイーンとの天皇賞(春)での戦いで5着となったことから、「トウカイテイオーはステイヤー向きではない」との向きもあり、つまり菊花賞の3000メートルに出走しても負けていたという意見もあります。
ただ、3歳時のあの圧倒的な強さ、体の柔らかさなどを考えると、十分勝機はあったでしょう。
ということで、ランキングは以上ですが。
最後に番外編。
番外編その1 サクラスターオー(1987年、皐月賞、菊花賞)
冠名に「サクラ」がつくサクラシリーズの中で、最も三冠に近かった馬です。
デビュー戦は2着、その後1着。
しかしこの2戦は、ハンディを他の脚で庇いながら走ったため、四肢の負担が偏ってしまい故障。勝利後4か月出走できず、寒椿賞で5着。
皐月賞トライアルの弥生賞では、末脚を発揮し、逃げるビュウーコウ、抜け出しを図るマイネルダビテを外から差し切り、クビ差をつけて優勝。タイム2分2秒1は、1984年のシンボリルドルフに次ぐ史上2番目の速さでした。
続く皐月賞では、残り200メートルで抜け出し、後続との差を広げて入線。2位入線のゴールドシチーに2馬身半差をつけて優勝、GI初勝利。
その後、日本ダービーを目指しますが、日本ダービー出走16日前の5月15日に、前脚の繋靭帯炎を発症し、全治4カ月の重傷、東京優駿出走を断念します。
そして、秋の菊花賞では、2周目の第3コーナーからは、馬群の馬が続々と追い上げにかかり、外に進路を求める馬が多かった中、サクラスターオーは内を保って最終コーナーに至り、直線では、残り300メートルで失速するメリーナイスをかわし、サクラスターオーの背後から追い上げたゴールドシチーに半馬身差をつけ、優勝。
見事、二冠を達成。この時、実況を担当したアナウンサー「杉本清」が発したフレーズ「菊の季節に桜が満開!」は、有名です。
潜在能力的には高かったと思います。
番外編その2 オグリキャップ(1988年、なし)
オグリに関しては、そもそも笠松競馬場でデビューして、4歳時(現在の3歳時)に中央に移籍しますが、クラシック登録をしていなかったので、完全に裏街道を進んでいたので、推測しかできないんですが、あの潜在能力、その後のタマモクロスとの死闘を考えると、十分、クラシック三冠の可能性はあったでしょう。
ということで、長くなってしまいましたが、「幻の三冠馬ランキング」でした。まあ、探せば他にもいっぱいいそうですが。