嫉妬
小説投稿サイト『小説家になってみよう』に作品を投稿しはじめて、もうすぐ一年になる。
はじめはただ好きに書いていただけだった。
感想やレビューを貰って嬉しくなり、他の作者さんにもそういうものを贈った。
新緑の鮮やかになる頃に始めて、暑い季節を過ぎ、涼しくなりはじめた9月には、私には何人かの交流仲間が出来ていた。
桃色筋子さんという作者さんがいた。
結構実力もある人で、私はその人の作品をよく読んだ。
とても物腰の柔らかい、優しい方だったので、どちらかというと私は彼女を親しいネット友達として認識していた。
作品についてはまぁまぁ面白いが、常識的すぎてつまらないところがあり、正直に言って、自分よりも下だと見做していた。
「アゲハさんは私の良いライバルだと思っています」
筋子さんからそんな言葉を頂いたことがある。
「一緒に高め合って行きましょう。アゲハさんのような方とお知り合いになれて幸運でした」
彼女は私の才能を認めてくれていた。
「ありがとうございます。私のほうこそ筋子さんとお知り合いになれて幸運でした。こんなレベルの高い作者さんと友達になれるなんて、リアルではまずあり得なかったと思います」
私はそう返した。
本心だった。
彼女はレベルが高い。そう思っていた。
読者の望むものをよく掴んでいて、期待通りのものを提供できる人だと認めていた。だから数字はいつも高かった。彼女の作品は私よりもたくさんの人に読まれ、たくさんの評価を受けていた。
私は違う。
私は読者の望んでいるものの斜め上を行く。そう自負していた。
筋子さんの作品は読者にとって「あー、面白かった」で終わるものでしかないが、私の作品は読者に必ず何かを残す。
読者がまだ私に追いついていないだけなのだ、私の数字が筋子さんより低いのは。
筋子さんが3000を超えるPVを叩き出す横で、私のPVは多くて80程度。平均すれば筋子さんは約400、私は50といったところだ。
それでも私は彼女に嫉妬などしなかった。
そのうち時代が追いつけば、彼女のことなど余裕で抜けると、彼女の作品を面白がって読みながらも、そう思っていた。
筋子さんならそのうち書籍作家になれるかもしれない。そうなったら素直に「おめでとう」って言おうと思っていた。心から喜んであげて、交流仲間が世間から認められたことを祝福できると、そう思っていた。
嫉妬なんて私はしないと、そう思っていた。
『週英社さんから書籍化の話、来ましたーーー!!!(*⁰▿⁰*)/』
そんな活動報告を筋子さんが上げた時、私は思わず笑顔になった。
そしてすぐに祝福の言葉を書き込んだ。
「おめでとうー! 筋子さんならそうなると思ってました!」
彼女からの返信はすぐにあった。
「アゲハさん、ありがと〜! 一足お先にデビューしますね。うっ、うっ(涙)」
思っていた通りだった。私の胸にどす黒いものは何も沸き起こらなかった。羨ましくは思った。でもそれはたとえば高級スポーツ自転車を新車で買った人を見るような、自分もそういうのが欲しいなと憧れの目で眺め回すような、そんなキラキラとした気持ちだった。
決してそれは嫉妬などではなかった。その時は、まだ。
「『みよう』デビュー1年もまだ経ってないのに凄いよ!」
私は直接メールでも祝福を贈った。
「交流仲間が出世すると私も鼻が高いです。頑張ってくださいね!」
彼女が私のことをどこか人目の多いところで話題にし、宣伝してくれることを期待する気持ちもあったかもしれない。いや、正直に言うと、あった。しかしそれ以上に、本当に私は彼女に訪れた幸運を心から喜んでいたのだ。
「アゲハさんもすぐに来てね! 待ってるよ〜」
彼女からそんな返信を貰い、私は思っていた。
『ありがとう。そうなったらいいな。でも、そういうことじゃないんだよ』
筋子さんのデビュー作はまたたく間にヒットした。
流行に乗った悪役令嬢モノながら新しい方向性を開拓した傑作と呼ばれ、アニメ化されるとさらに人気に火が点いた。
私はシリーズの新刊が出るたび彼女の小説を買い、アニメのDVDも買って応援した。買った小説はちゃんと読み、DVDも全巻楽しんで観た。他愛のない内容だったので、ハマるまでは行かなかったが、私はこれの作者と知り合いなんだぞと思うと気持ちが高揚した。
やがて彼女はテレビにも出演するようになり、そこで初めて私は彼女の顔を知った。
私と同い年ぐらいの、上品で綺麗な顔立ちの女性だった。PNは『桃色筋子』のまま変えずに有名になった。
私の好きな男性芸能人にインタビューを受ける彼女を見ながら、私は夢見心地だった。その番組を録画して、何度も繰り返し観た。テレビの中の人だとしか思っていなかったその芸能人とまで知り合いになれたような感覚がして、私は筋子さんに感謝すらしていた。
彼女はさすがに『みよう』には来なくなった。当たり前だ、彼女の舞台は小説投稿サイトではなく、社会の表舞台となったのだから。それでも私はもしかしたら返事が来るかと淡い期待をして、『みよう』の彼女のアカウントにメールを送ってみた。
「筋子さん、ビッグになったね〜。もうこんなところは見てないだろうけど、一応メールしてみました。もしももしも気づいたとしても返信は要らないからね。忙しいだろうけど頑張ってね!」
するとその3日後に筋子さんからのメールが返って来たのだった。
「わー! アゲハさ〜ん! メールありがとう〜、嬉しかったよぉ〜!」
そんな書き出しの後、忙しいだろうのに結構な長文で彼女の今の様子を教えてくれていた。そして最後に、こんなことが書かれていた。
「あたしがなれたんだからアゲハさんも書籍化作家になれるよ頑張って!」
彼女に感謝した。
有名人になっても無名時代に交流のあった私なんかをまだ友達だと思ってくれている。顔も本名も知らないのに。
筋子さんの言葉に元気を貰い、私は『みよう』に新作小説を投稿し続けた。PVは相変わらずだったが、ちっとも挫ける気にはならなかった。
私が『小説家になってみよう』に投稿を始めてもうすぐ一年になる。
その間に筋子さんはあっという間に出世した。
私の作品は相変わらず評価されないままだ。
それでも私は彼女に嫉妬などしなかった。するとも思っていなかった。
しかし今、私の胸には抑えきれないほどの不快感がムラムラと湧き上がっている。
止められない。抑えられない。どうにも出来ない。
筋子さんの首を締められない代わりに自分の顔を掻きむしりたくなる。
今、こんなものを書いているのも嫌だ! 嫌だが、書かずにいられない! 本当はパソコンを二階の窓から放り投げて、誰かの車に命中させてやりたい!
筋子さんはラノベの人気作家の仲間入りをするとすぐに、一般文芸の作品も発表した。私はその話を知ってすぐにネットで予約していた。仕事から帰宅するとその本が玄関先に届けられており、私は片付けと夕食を済ますとココアを淹れ、ソファーで寛ぎながらゆっくりとそれを読んだ。
どれどれ。どんなものを書いたのかな? 評価してあげる。などと余裕をかましながら。
1ページ目から私は声を漏らしていた。
「何……これ?」
ココアを口に運ぶのも忘れていた。
「全然違うじゃない!」
『みよう』で読み慣れていた彼女の文章とはまったくの別物だった。作風も、あの読者に合わせたありがちなものとはまったく違っており、それは私の期待の斜め上を行くものだった。
騙された。そんな気分だった。
『みよう』での彼女は受けることに徹していたのだ。小学生にもわかりやすいものを書いて、読んだ後には屑箱に捨てられることもよしとしていたのだ。故意に。ただ、読まれるために。本当は、こんな凄いものも書けるのに。
私は歯軋りした。きいっという音が部屋中に響いた。勢いよく立ち上がると、本棚に揃えてあった彼女の小説を薙ぎ倒すように引っ掴み、すべて屑箱の中に叩き入れた。DVDはすべてケースから出して手で折り曲げて、噛み跡をつけてやってからゴミ袋に放り込んだ。
彼女がどれだけ高い数字を出そうともこんな気持ちにはならなかった。しかし、彼女が本気で書いたものは、その才能は、私を激しく嫉妬させた。
彼女の才能は、どう見ても私よりも上を行っている。
私は血が混じりそうなほどの涙を流しながらパソコンを開くと、彼女のアカウントに短いメッセージを残し、即座に『みよう』を退会した。私がこの1年の間に書き上げて来た短編小説64篇は、すべてゴミだった。すべて消えてしまうことに何の未練もないと思えた。
私は、獲られたのだ。彼女に、私の、1番大切なものを!
彼女のメッセージ受信欄には最後の私の言葉が残された。
「おめでとう! その才能とお幸せに!(^Q^)」