〈8〉誤解
兄の婚約者は、この都にいるとのこと。向こうも貴族だ。家格が釣り合わないような相手ではそもそも婚約なんてしないのかもしれない。
どんな女が出てくるのか、オーレリアには見当もつかなかった。
上流階級の女なら高飛車で、ことあるごとに高笑いをするんだろう。耳障りな声を上げられても顔をしかめちゃいけない。笑顔、笑顔。
兄は、すぐに呼ぶからと言ってその日のうちに婚約者を連れてきた。オーレリアが笑顔の練習をする暇などなかったのだ。
しかし。
兄が連れてきた婚約者は――。
「あなたがユリシーズの妹なのね? お顔がよく似ていてとっても美人ね。わたくしはエリノア・ペンバートン。仲良くしてくださると嬉しいわ」
亜麻色の髪を三つ編みにして結い上げ、黒目がちな瞳で見上げてくる。肌は陶磁器のように白く滑らかで、まるで人形のような女の子が完璧なほどによく似合うドレスを身にまとい、スカートをちょこんと持ち上げてお辞儀をしたのだ。可愛いという言葉しか見当たらない。
可愛い。こんな可愛い娘がこの世にいたのかと思った。世間は広い。
オーレリアの周囲は肝っ玉の据わった下町の女しかいなかった。こんなフワフワの砂糖菓子みたいな女の子は見たこともない。あまりのことに硬直してしまった。
そうしたら、エリノアは輝く笑顔を曇らせた。みるみるうちにしょんぼりした様子は子ウサギのよう。
「ごめんなさい、はしゃぎすぎたわね。ユリシーズがとても嬉しそうにしていたから、わたくしまで嬉しくなってしまって」
しょんぼりした顔も可愛い。でも、笑っていてほしい。
オーレリアはあたふたと言い訳をするしかなかった。
「い、いや、そんなことない。上流階級のオジョウサマだから、その、すっごい意地悪なのが来ると思って構えてたら、こんなに可愛い子だからびっくりしただけだよ。こっちこそごめん。あたしのことはオーレリアって呼んでくれるかな?」
長身のオーレリアを、エリノアは見上げる。そんな仕草も可愛い。
そして、口の悪いオーレリアを蔑むでもなく、エリノアはポッと頬を染めてうなずいてくれた。
「ありがとう、オーレリア。わたくしたち、仲良くなれるかしら?」
「うん、多分。エリノアが嫌じゃなければ」
「じゃあ、なれるわね!」
ウフフ、と嬉しそうにオーレリアの手を握り締める。小さな、柔らかい手で。
――ああ、この子には勝てない。
腕っぷしの強さは、この子に対して発揮できるわけがない。よって、この子には勝てない。
オーレリアは早々にそれを覚ったのだった。
兄はそんな二人を見守り、ニコニコとしていた。
◆
この出来事を誰かに話したくて仕方がなかった。
そうなると、話し相手はコリンしかいない。コリンはこの屋敷で雇ってもらえて、色々な雑用をこなしているのだ。正直に言うと、親父のところよりも待遇はいいだろう。
この時、コリンは庭掃除をしていた。それを捕まえて木陰に連れ込み、無駄話をする。
「――ってわけで、兄さんの婚約者ってものすごい美少女だったんだ。なあ、あの兄さんの婚約者には勿体ないけど、エリノアが兄さんのこと好きなのも見ててわかったよ。まあ、兄さんは優しいしな」
コリンは草をプチ、とちぎりながら嘆息した。
「姉御は自分の顔を見慣れてるからわかんないんでしょうけど、ユリシーズ様って結構な美男子ですよ? そりゃあお似合いでしょう」
「へ? そうなんだ?」
見た目、いいのか。
頼りなくて、オーレリアが軽く投げ飛ばせるような男ではあるが。
あれならまだアーヴァインの方がいくらかマシだろう。筋肉が目立つほどではないが、弱々しさはなく、野性味がある。しなやかな獣のようだ。
しかし、人の好みはさまざまである。エリノアは兄のようなタイプがいいらしい。
そんな話をしていると、二人の目の前にポテッと何かが落下してきた。
「うん?」
よく見ると、それは鳥の雛のようだった。上を見上げると、木の枝を集めて作った鳥の巣が枝と枝との間にあった。あそこから落下したのだ。
まだ羽も満足に生えそろっていない雛だ。か細くフルフルと震えているが、怪我はないようだ。ちゃんと生きている。
「巣から落ちたんだな。放っておいたら猫にやられる。コリン、ちょっと木に登って戻してあげなよ」
そうしたら、コリンは、えっ、と声を出して顔を引きつらせた。
「何さ?」
「ぼ、僕、高いところ苦手ですっ」
「だから?」
苦手だからやらないという選択はさせない。
「あたしはこの格好だ。木登りなんて無理だろ」
「それは、そうなんですけど……」
コリンは白いシャツに黒いパンツ、サスペンダー、動きやすそうだ。オーレリアもああいう恰好がしたい。
そこでふと閃いた。
「じゃあ、あたしが木に登るから、その服貸しておくれよ」
「は、はいぃ?」
「取り換えよう」
「は、はいぃぃ??」
「脱ぎな」
にこやかに笑って言ったが、コリンは尻で後ずさった。オーレリアが冗談を言っていないことくらい、コリンにはわかっている。
ゴクリ、と唾を呑み込んだコリンは、とっさにオーレリアに背を向けて膝で逃げようとした。それをオーレリアが背中に乗って阻止する。
「や、やめてくださいよ! 僕、ドレスとか嫌です!!」
「あたしだってドレスは嫌だ。あいこだな」
「絶対違います! 姉御は似合ってるじゃないですか!」
「嫌いなんだ。さ、潔く脱げ」
「ひぃぃっ」
コリンの腕力は、オーレリアにしてみたらないに等しい。背中から腕を回してコリンのシャツのボタンを外しにかかるが、まあ抵抗された。
そして――。
はた、と目が合ったのだ。そこへ通りかかった男と。
アーヴァインの目が、驚きに固まったそのすぐ後、ひどく冷たく蔑むように変わった。
何やら誤解を受けたようだ。