〈36〉心配と
それから安静にして、アネリが作ってくれた美味しい料理で栄養を摂ったら、オーレリアの体調はかなり回復した。
翌日になって、それでもまだ起きてはいけないと口うるさい兄とコリンのおかげでオーレリアはベッドに縛りつけられているようなものだった。
「もう平気なのに」
ぼやいたら、兄がいつになく咎めるような厳しい顔をした。
「もうしばらくは安静にしているんだ。アーヴァインが、自分が戻るまで絶対にベッドから出すなって言い残していったよ」
「げっ」
夢ではなかったらしい。
本当にアーヴァインがアトウッドにいて、大人しく花嫁修業をしていなかったオーレリアを助けてくれたらしい。
「残念ですが、姉御。今回ばかりは僕もアーヴァイン様のお言葉に賛成しています」
コリンまでそんなことを言った。
わかっている、皆に心配をかけたのは。
けれど、じっとしているのは苦手だ。こんなに長いこと寝ていたのは、物心ついてから初めてかもしれない。
キンブルを始めとするアトウッドの人々は寝込んでいるオーレリアを見舞いに来て労ってくれた。
最初の険悪さはもう昔のこととして、オーレリアは彼らに礼を言った。
そして、その次の日の夕刻にアーヴァインはオーレリアのもとを訪れた。
どうやってこんなに早くと思うほど早い。ラティマーまで行って戻ってきたという話だが。
「……ひっ、久しぶり」
その顔を見た途端に声が上ずってしまった。
大人しく寝ていましたよとアピールするためにちゃんとベッドから声をかけた。もう熱はかなり下がったし、食欲もある。血色はいいはずだ。
むしろ、アーヴァインの方がひどい顔色をしていた。疲労困憊と顔に書いてある。
アーヴァインは、部屋の扉を閉めてベッドに近づいてきたかと思うと、ベッドの上に片膝を突いてオーレリアの顔を両手でつかんだ。
「いっ」
「ちゃんと待ってろって言ったよな?」
至近距離ですごまれた。
「は、はい」
「お前は少し目を放しただけで無鉄砲に飛び出すわけか?」
「い、いや、そう無鉄砲ってわけじゃなくて、状況がほら、な?」
しどろもどろに言い訳をしたが、アーヴァインの目が据わっていた。これはマズい。
素直に謝らないと駄目だと反省した。
「ごめん。あたしが悪かった。……嫌いになった?」
少しも淑女らしくなれないオーレリアにアーヴァインが見切りをつけ、あの色っぽい愛人のところに入り浸るということもあり得るのだ。どんな自分でも受け入れてもらえるなんて思ってはいけない。
うつむきたいが、顔を押さえられていて逸らせない。アーヴァインは不意にコツン、とオーレリアと額を合わせた。
「嫌いだったらこんな無理して駆けつけないし、心配もしない。言っておくが、お前みたいな女は他にいないんだからな。今更他の女なんて選べるか」
嬉しい半面、モヤッとした気持ちもあって、考えたそのままの言葉が飛び出してしまった。
「じゃあ、なんで色っぽい姉さんと腕組んで歩いてたのさ?」
「は?」
「歩いてた。親しげに。寄り添って」
「俺が?」
「…………」
あまりにも心当たりがなさそうなので、オーレリアは自分が見たものは幻だったような気がしてきた。
しかし、その直後、アーヴァインはうなずくように顔を揺らした。
「ああ、もしかしてイジドアでか?」
「そうだよ! あたし、あの時、近くにいたんだ」
すると、何故かアーヴァインはククッと笑い出した。今の話のどこに笑う要素があるのだろう。
オーレリアが釈然としないままでいると、アーヴァインは妙にニヤニヤし出した。
「あの女は、ブリジット・ワドルだ。ユリシーズから聞いたが、裏で色々と動いていたそうじゃないか。俺が調べていた方面からも彼女が浮上してきて、それとなく探りを入れていた」
「腕組んで?」
「ああいう女だからな。男は皆、自分の魅力に抗えないと信じている。だから、ある程度誘いに乗ったように装った方が口を滑らせるかと思ってな」
「へぇぇ」
心なし、声が冷ややかになる。
キンブルはブリジットに転がされていたわけだが。
アーヴァインが少しも嬉しくなかったかどうかはわからない。
「言っておくが、何もなかったからな。大体、あの時、後ろに俺の仲間たちだっていただろうが」
「え? ええと……どうだったかな?」
いたとしても他の人間なんて目に入らなかった。全然覚えていない。
「あの女がマドックやポルテス伯を唆している証拠がほしかったんだが、そう簡単にはいかなかったな。まあ、マドックの方が勝手に下手をやらかしたわけだが」
あのタイミングでアーヴァインたち軍人がイジドアに来て、ブリジットは気が気ではなかったはずだが、上手く兄がいる倉庫の方から逸らしたのだ。やはり一筋縄では行かない相手と言えるだろう。
「兄さんは、ポルテス伯がアトウッドを手に入れるために色々と手を回したんじゃないかって言ってたけど」
「ああ。そして、マドックがそのポルテス伯の養子に収まった時、さらにあの女が裏で操るつもりをしていたのかもしれない。あの女はマドックに全貌を明かしていなかったと思う。ユリシーズの誘拐の件にマドックは関わっていなかっただろう」
マドックは、ブリジットやワドル商会にとって完全なパートナーにはなり得ていなかった。ポルテス伯の跡取りになるという話が本決まりになるまで様子を見ていたのだろう。
だから、ラルフがポルテス伯となるのだとしたら、ブリジットはマドックを見限り、ラルフを落としにかかるということか。マドックもそれは察したからこそ暴挙に出たのだと考えられる。
「……金が絡むと怖いな」
しみじみそう思う。
けれど、これでもうアトウッドが危機にさらされる心配はないのだろうか。
「で、ブリジットはどうなるのさ?」
なんらかの罪に問えるのだろうか。
しかし、アーヴァインは難しい顔をした。
「マドックたちの自白くらいしか証拠はないからな。言い逃れられないといいが」
狡猾な女のようだから、尋問する時は女性が相手をした方がいい気がする。
そこまで話すと、アーヴァインは急に黙った。どうしたのかと思ったら、目を伏せている。
「アーヴァイン?」
「ん……」
こて、とオーレリアの肩にアーヴァインの頭が乗った。
そして、再び呼びかけた時には規則正しい呼吸が聞こえるだけだった。
「え? 寝てる?」
まさかと思ったが、寝ている。アーヴァインの頭が肩からずり落ち、膝の上まで下がった。
もしかすると、全然寝ていなかったのだろうか。寝ないで事後処理をこなし、馬を飛ばしてきたのなら疲れていて当然だ。
「無茶するなぁ」
思わず言ったが、アーヴァインの耳には届いていないらしい。
いつもよりも乱れた髪と無防備な寝顔。それらはちっともいつものアーヴァインらしくはなかったけれど、そんな隙だらけの姿を見て愛しさが募る。
この人を独り占めしていたい。これからもずっと。




