〈26〉わからないままで
上手く撒けたのか、誘拐犯が逃げたオーレリアたちを追ってくる感じはしなかった。
三人はどうにか無事に宿へ入ることができた。これで一応は安心なのだろうか。
部屋は男女に別れ、兄とラルフが二人で使い、オーレリアがもうひとつの部屋に泊まることになった。
慌ただしい一日がようやく終わろうとしている。兄を救い出すことができてほっとした。
けれど、こうして宿の部屋に落ち着いて一人になってみると、ふとあの路地裏でのことを思い出した。
――他人の空似だ。
何度も自分にそう言い聞かせる。
そうじゃなかったら、なんだ。
アーヴァインが結婚前に隠れて火遊びをしていると。
あんなに大事にしてくれていると思えたのに、そんなことがあるのだろうか。
そういえば昔、男は何人もの女を同じ熱量で愛することができると誰かが言った。
つまり、複数の女をそれぞれ本気で、同じくらい好きでいられるのだと。
寝言だなと思って半眼で聞き流していた。それがすべての男に当てはまるとは思いたくない。
本物のアーヴァインが近くにいるのなら助けを求めたいけれど、あれは他人でなくては困る。
よって、助けを求めるなんてことはしない。他人の空似だから。
「いや、でも軍服着てたな……」
他人の空似だけれど、軍人ではあるらしい。
軍服を着ていたら皆が同じように見えるということだろうか。
考えすぎて頭が痛くなった。ちょっと水でももらってこよう、とオーレリアは部屋から出た。
そうしたら、廊下にラルフがいた。窓の外を見ている。
「何? もしかして追手がいないか確認してくれてる?」
首を傾げて問いかけると、ラルフがフッと目を逸らした。
「まあ、一応」
なんだその素っ気ない態度はと思いつつも、オーレリアはラルフの隣に立った。
「巻き込んで悪かったけどさ、あんたがいてくれて助かったよ」
ろくに礼も言っていないと気づき、オーレリアの方が反省した。
すると、ラルフはやっぱりチラリとしかオーレリアの方を見なかった。かと思うと、ポツリと零す。
「眼鏡がないと別人みてぇだな」
「そうかな?」
自分ではよくわからないので苦笑した。
「その顔であの度胸。どうなってんだよ、あんたは」
そんなことを言われた。
「どうって言われてもなぁ。アドラムの親父がこんなふうに育てたんだから仕方ないね。最初っから令嬢として育てられてたわけじゃないし」
「普通の令嬢なんてゴロゴロいるんだから、そんなつまんねぇもんになんなくていいけどな」
つまんねぇと来た。
ハリエットとグレンダが聞いたら怒りそうだ。
いや、あの二人は普通のゴロゴロいる令嬢とは違うのかもしれない。特にハリエット。
この発言を耳に入れたら薄暗い笑みを浮かべそうなハリエットを想像して、オーレリアもちょっと可笑しくなって笑った。
笑ったら、アーヴァインのそっくりさんのせいでモヤモヤしていた気分が少しだけ晴れた。
「あたしの行儀見習いの先生が聞いたら激怒しそうだけど。ただでさえ出来の悪い生徒だからさ」
「そんな無理しなくったって、あんたはそのままでいいんじゃねぇの?」
「なんで?」
「それがなんでだか、わかんないあんたの方がいいってこと」
「???」
ラルフはオーレリアを見て笑っていた。
そこには初期にあった壁のようなものが感じられず、本当の意味で打ち解けたような気分だった。
昨晩はいろんなことがありすぎて寝つけないかと思ったら、普通に眠たくなって朝まで起きなかった。不眠とは無縁なオーレリアである。
身支度を整え、オーレリアは隣の部屋の扉を叩いた。
「とりあえず、腹ごなしをしたらアトウッドに戻ろう。コリンも待たせてるんだ」
「うん。オーレリア、父様に誘拐の件を報せたんだろう?」
「あのまま御者のおっちゃんを行かせたよ」
「そっか。じゃあ急がないと」
と、兄は浮かない顔をしている。
「兄さんが無事だって早く教えてあげないとな」
妹に引き続き兄も誘拐されるなんて、父も母も気が気ではないだろう。
目を回して寝込んでいるかもしれない。
「父様は『至高の雫』一ダースを買うための現金を運んでいるかもしれないし、危ないよ」
「ああ、ほんとだ……」
まったく、世の中には欲の皮の突っ張った人間がいて、そのせいで真面目な人間が悲惨な目に遭うこともある。赤ん坊だったユーフェミア――オーレリアが攫われたのも金目当ての犯行だった。
横で話を聞いていたラルフが不意に口を開く。
「あのさ、うちの荷馬車を使ってアトウッドに戻ると、犯人たちにつけられるかもしれない。どうする?」
確かに、アトウッドへ向かう道で待ち伏せされているかもしれない。
兄は少し考えてから穏やかに言った。
「君の言う通りだね。でも、多分、もう僕たちを捕らえるつもりはないんじゃないかなって気がするよ」
「ヤツらの狙いは、コーベット商会が運んでくる『至高の雫』の代金ってことか?」
「そうとも考えられるし、他に何かあるのかもしれない。ただ思うのは『至高の雫』そのものを手に入れるつもりではなかったってことと、僕に危害を加えるのはむしろ都合が悪いってことかな」
オーレリアにはさっぱりだった。
まどろっこしいのは嫌いだ。
「じゃあ、荷馬車を使ってもいいか?」
「うん。ただし、三人と一匹で荷馬車を使うと遅くなる。僕は馬を借りよう」
「兄さん、手持ちの金は取られてないの?」
「そうなんだ。だから、単純に金目当てでもないのかなって」
ますますもってよくわからない。
馬車一台が買えるほどの大金の前では兄の財布の中身くらい小銭に過ぎないのか。
急いで朝食を取り、トンプソン家の荷馬車を預けている馬屋へ向かった。そこで兄は馬具を着けた馬を貸してくれるように交渉している。なんとなく、多めに金を握らせているような気がした。
それを眺めつつ、オーレリアは縄で繋いだガルムと一緒に荷馬車に乗り込んだ。




