〈22〉身の上
コーベットの悪評を撒いている女がいて、キンブルはその女を知っていることがわかった。
そこも問い詰めたかったが、まずは兄を助け出すことを優先しなくては。
自分で言うのもなんだが、ふたつのことは同時にできない。
今オーレリアにできるのは、ワインを持って誘拐犯と対峙することだけだ。
「僕、本当に置いていかれるんですか?」
コリンは涙目で縋りつくが、仕方がない。
「うん、ごめん。ちょっとの辛抱だから」
「でも、でもっ。誘拐犯とやり取りするんでしょう?」
「それな。一人で来いって書いてあったから、最初からあたしだけで行くつもりだったし」
これにはジョージもラルフも顔を曇らせた。
「さすがにそれはマズいだろ」
マズいだろうか。うーむ、と考える。
「そっか。じゃあ、ガルムを借りる」
魔界の門番の異名を取る番犬だ。きっと役に立ってくれるだろう。
一人|(と一匹)なら文句を言われる筋合いはない。
「それでも危ないよ。君に何かあったら、アドラムさんに申し訳が立たない」
「ハハッ。その親父から喧嘩の仕方は散々教わってきたけどね」
トンプソン親子には理解できないところなのか、黙られた。
ラルフは深く息を吐き、そして言った。
「俺がイジドアまでついていく」
口を開きかけた父親に対し、ラルフは先回りするように告げる。
「何かあった時、親父より俺の方がいいだろ? 腕っぷしは弱い方じゃないからな」
とは言うが、ラルフはアドラムが抱える人足たちほど喧嘩慣れはしていない気がする。それから、軍人のアーヴァインと比べては悪いだろうか。
顔の傷のせいで近寄りがたさがあるだけだが、ラルフなりに心配してくれているのだと思うことにした。
「ありがとな。助かるよ」
笑いかけて言うと、ラルフは、ん、と短く返事をした。
翌日。
オーレリアはラルフと共にキンブルのところへ『至高の雫』を受け取りに行った。
玄関先に置かれていた木箱には一ダースのワインが綺麗に並んでいる。
「わかっているとは思うが、貴重なワインだからな」
キンブルには恩着せがましく言われたが、仕方がない。
「ありがとう。助かるよ」
できることならこのワインを渡さずに兄を取り返したいけれど、無茶をして何かあってもいけない。
ラルフはオーレリアとキンブルのやり取りを黙ってじっと見ていた。そして、前に出る。
「じゃあ運ぶぞ」
「うん、慎重にな」
そんなことはオーレリアに言われるまでもないだろう。ラルフはワインの扱いには慣れている。
オーレリアはしつこいくらいキンブルに礼を言ってから出てきた。最初は嫌なヤツだと思ったけれど、最後にはわかってくれてよかった。
「じゃあ、コリン。もし会社から誰か到着したら、あたしは取引に向かったって説明しておくれよ」
荷馬車にワインとガルムを積んでから見送りに出てきたコリンに告げると、コリンは泣きそうだった。
「姉御ぉ」
「大丈夫だって。ワインもあるんだから上手くいくよ。心配するなって」
コリンの頭をわしゃわしゃと撫で、それからオーレリアは荷台に乗り込んだ。ガルムがわふぅ、と出発を告げるように遠吠えする。
今から出かければゆとりを持ってイジドアに着けるはずだった。
ゆっくり、ゆっくりとラルフが操る荷馬車の車輪が回り始める。トンプソン夫妻とコリンはいつまでも心配そうに見送っていた。
――どれくらいか馬車が進んだ時、ラルフがポツリと切り出す。
「なあ、あんた」
「うん?」
オーレリアはガルムの毛に埋もれながらその背中を撫でていた。顔を上げたけれど、ラルフは前を向いたままでいる。
そのまま衝撃的なことを言った。
「このワインさ、『至高の雫』じゃないかもな」
「はぁああっ!」
オーレリアの発した奇声にガルムがちょっとびっくりしていた。
「あんなに勿体ぶっておいて偽物だってのっ?」
相変わらずラルフは前を向いたままだ。よそ見をすると危ないのでそれでいいけれど。
「ビンとラベルは『至高の雫』のものだ。だから俺も確信はないけど、なんとなく透けて見える色が薄い気がする」
素人のオーレリアにはそのところの区別はつかない。愕然とした。
「なんで出発前に言ってくれなかったんだよ」
「言っても今更どうしようもねぇだろ。これが本物だって相手に信じ込ませて交渉するしかねぇし」
「くそっ。帰ったら覚えてろよ、あのハゲ!」
思わず下品な悪態をついてしまった。やはりラングフォード夫人には聞かせられないが。
ラルフが言うように、これでなんとか相手を信じ込ませるしかないのだ。
「あたし、嘘とか全部顔に出るから苦手なんだよなぁ……ああ、もう!」
ため息交じりに言ってみたが、どうしようもない。
オーレリアは、自分の頬を両手でパチンと叩いて気合を入れた。
「よし! 腹はくくった。大体、こっちは何も悪くないんだから堂々とするだけだ」
悪いのは誘拐犯だ。絶対に負けない。
むしろボコボコにしてやるくらいの意気込みで挑もう。
すると、ラルフが一度だけ後ろをチラリと見遣った。すぐにまた前を向くが、そのままつぶやく。
「あんた、すげぇな」
「何が?」
「いや、この状況で腹をくくったなんて、並みの女は言わねぇよ。普通はさ、泣いて誰かが助けてくれるのを待ってるもんなんじゃねぇの?」
「そうかな?」
妖精のように可憐なエリノアは言わないかもしれない。
でも、ハリエットはどうだろう。グレンダも。
なんてことを考えていると、ラルフは笑いを含んだ声で言った。
「俺、泣いてばっかりの女は好きじゃねぇけど」
「あんたの好みは聞いてない」
ガルムが横でわふっ、と鳴いた。
そこでふと、オーレリアは思ったことを口にした。
「それにしても、あんたってさ、両親のどっちにも似てないね。じーさんに似てるとか?」
アーヴァインは、当人は似てないつもりでも結構祖父似なところがある。だから、ラルフも祖父に似ているのかもしれないとちょっと思っただけだ。
けれど、これに対してラルフは少しの間を置いてから言った。
「じーさんにも似てねぇんじゃねぇの? 俺、孤児だから」
「えっ?」
「親父も母さんも人がいいから、施設の中でも顔の傷のせいで引き取り手のない子供をうちの子にしてくれたってわけだ」
「なんだ、あたしと一緒か」
予想もしていなかった返答に、今度はラルフの方が戸惑った声を上げた。
「あんたも? アドラムさんと血が繋がってないのか?」
「そうだよ。親父があたしを拾って育ててくれたのさ。まあ、今は血の繋がった家族が見つかって再会できたんだけど」
ガルムを撫でながら答えると、ラルフは背中を向けたままだったが、長く息を吐いた。
「そうか。あんたは捨てられたわけじゃなかったんだな」
「まあ、そんなことずっと知らなかったし、自分は捨て子だって悩みながら育ったわけでもないんだ。むしろ、親父の子じゃなかったなんて考えたこともなかったよ」
ラルフは何も答えず、ただ前を向いていた。
「あんたは本当の親に会いたいのかい?」
「……いや、あの二人は俺には十分すぎるくらいの親だから。ただ、知らないままだとすっきりしないってのはある」
「覚えていることはないのか?」
「ほとんどない。身元のわかるものは身に着けていなかったし、ただ孤児院の前で泣いていたって話だ。その時は二歳くらいだったらしいが、顔の傷から血が出ていて生々しかったって。まあ、捨てていかれたってことだろうな」
虐待され捨てられたということでなければいいけれど。
オーレリアのように恵まれた環境だとは限らない。あんな金持ちで優しい親が自分を探し回ってくれているなんて、すべての孤児が夢見ることだろう。それが現実である可能性はとても低いはずだ。




