〈17〉要求
オーレリアたちを乗せた馬車は、舗装された道を行きと同様に難なく進んでいく――予定だった。
見通しの悪い曲がった道の先で、他の馬車が向こうからやってきた。窓からそれを確かめたわけではないが、車輪の音がしたからわかる。
道幅は二台の馬車がすれ違えるくらいの広さはあるはずだと、オーレリアは特に注意を払わなかった。
しかし。
「止まれっ!」
野太い声がして馬車が急停止した。馬が嘶き、車体が大きく揺れる。
「わっ!」
座席から飛び出しそうになったオーレリアを、向かいの席にいた兄が受け止めてくれた。
コリンは少し頭を打ったのか、涙目で頭を摩っていた。
「……どうしたんだろう?」
兄がいつになく引き締まった顔でつぶやいた。
外ではこちらの御者と向こうとが揉めている気配がある。
窓を開けようとしたオーレリアの手を兄が遮った。無言でかぶりを振り、じっとしているように促す。
何か問題が発生したのだろう。
オーレリアとコリンは息を殺して大人しくするしかなかった。
すると、乱暴に扉が開かれた。ダンッ、と大きな音を立てるから、コリンが驚いて身を竦ませる。
逆光になってしまってよく見えないが、複数の男のようだ。帽子を被り、顔の下半分をマフラーやバンダナで隠している。
追いはぎだろうか。もし追いはぎなら、殴っても怒られる筋合いはない。
拳を握り締めたオーレリアを気にしつつ、兄は妹を庇って精一杯の男気を見せようとするのか、男たちと向き合う。先に口を開いたのは向こうの方だ。
「コーベット商会の息子だな?」
「ええ、まあ。あなた方はどなたでしょうか?」
兄はこんな時でも穏やかな声音だった。内心は緊張しているはずだけれど、落ち着いて見える。
「こちらへ来てもらおう」
「生憎ですが、そのご招待はご遠慮させて頂きたいものです」
「お前に選択権はない」
コリンはあわあわと白目を剥きそうになっていた。
オーレリアが腰を浮かせかけたので、兄はオーレリアの手を座席の上でグッと握って抑えた。
「用があるのは僕だけですね? 部下たちは帰してくださいますか?」
この男たちは、変装しているせいかオーレリアを見てもコーベットの令嬢だとは気づかない。兄も、だからこそ知られないうちに妹を逃がそうとしている。
――どうしてこんなことになっているのだろう。
緊張で、オーレリアの心臓が痛いほど激しく鳴っていた。
アトウッドの嫌がらせかと思ったが、こんなことをする理由がない。この男たちは誰だ。
「ああ、もちろんだ。あんたが大人しく我々と共に来ればいい。そこの部下たちには指示を与える」
そう言って、覆面の男の一人が馬車の床に紙切れを投げ入れた。
兄は小さくため息をつく。
「僕が従わなければどうします?」
「部下も御者も、二度と家には帰れないな」
オーレリアが反抗的な目をしたのを、男たちはろくに見ていなかった。雑魚に用はないらしい。
「お前が従えば、誰の命も取らない」
「わかりました」
兄が答えた。
普段はナヨナヨしているくせに、こんな時には不思議なくらい堂々としている。
「に――っ」
兄さんと呼びかけそうになった時、コリンがとっさにオーレリアの足を踏んだ。
「大丈夫だから。君こそ無理をしちゃ駄目だ。わかったね?」
こんな時なのに、妙にしっかりと兄には釘を刺された。
オーレリアが考えなしに暴走するとでも思っているのだろうか。
けれど、こんなことをコーベットの父と母が知ったら卒倒してしまう。オーレリアが小さな頃に誘拐されて、やっと家族が一緒になれたところなのに。
不安に押し潰されそうになるけれど、ここで弱々しく震えているだけの自分は嫌だ。
落ち着け。
冷静に、自分にできることを探す。
オーレリアは兄に向け、ゆっくりとうなずいた。
それを満足げに眺め、兄もうなずく。
そして、馬車を降りた。
馬車の扉が閉じられ、光が遮断される。ガシャン、と外から閂が落とされる。閉じ込められたが、御者は近くにいるはずだ。やつらが去ればすぐに開けてくれるだろう。
オーレリアは男たちが置いていった文を拾い上げて開いた。窓に近づいて読む。
お世辞にも綺麗とは言えない字で書き殴ってあった。
“コーベット商会のユリシーズ・コーベットを返してほしくば、最高級のアトウッドワイン『至高の雫』を一ダース用意しろ。明後日の暮れに品を持ってイジドアの南口倉庫まで、代表者一人だけが来い。自警団や軍部には知らせるな”
金は多分、父がなんとかしてくれる。
ただ、過去に購入して『至高の雫』を所有している人を探して一ダースかき集めるのでは明後日なんて到底無理だろう。
その数があるとすればアトウッドだけだ。それでも、取りつく島もないほど険悪なアトウッドの人々が、兄のために貴重なワインを売ってくれる気がしなかった。
金銭を要求してくれた方が楽なのに。
オーレリアは深々とため息をついた。
「姉御……」
コリンが不安そうに呼びかけてくる。
一度まぶたを閉じ、オーレリアは文をぐしゃりと握り潰してから顔を上げた。
「ふざけやがって」
そのワインがどれだけ高価なものだとしても、どうしても手に入れなくてはならない。
もし兄が戻らなかったら、両親ばかりかエリノアまで泣かせてしまう。それは絶対に駄目だ。
この土地に味方はいない。それでも、やらなくては。
オーレリアは覚悟を決めた。




