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令嬢は樽と共に  作者: 五十鈴 りく
続編

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〈10〉兄も

 アーヴァインがラティマーに向かったという話を聞きつけたハリエットが、さっそくオーレリアのことを訪ねてきた。

 以前いろいろとあったことを思えば、堂々とやってくるハリエットは面の皮が厚い。何も知らない母とメイドたちは外面のいいハリエットの来訪をただ喜んでいるが。

 今となっては本当に友達だから、オーレリアも気にしない。


「お聞きましたわ。アーヴァイン様がラティマーまで出向かれたというお話を」

「ああ、うん。ラティマーってどの辺りだったかな?」


 紅茶を飲みながらぼんやりと返すと、ハリエットに呆れられた。


「ディータ王国との国境に最も近い北の領地ですわ。治められているのはラティマー卿ポルテス伯で、わたくしは夜会でお会いしていますけれど、あなたはご挨拶されまして?」


 全然覚えていない。

 男の夜会服はどれも同じに見えるので、同じ服を着たおじさんがたくさんいても見分けはつかないのだ。

 何も言わなかったが、ハリエットには気づかれたのだろう。ちょっと半眼になっている。


「ポルテス伯にはお子様がいらっしゃいません。夫人も病弱な方なので夜会にはいつもポルテス伯がお一人でしか来られませんし、記憶に残りにくかったのかもしれませんが」

「あ、ああ、うん」

「夫人はもともと公爵家の血筋とはいえ庶子でした。現ポルテス伯は次男で、本来ならば家督を継ぐことはなかったのですが、ご長男はすでにお亡くなりになりました。現在、家督を継がれてはいるものの、お子様がおられないので次なる後継者問題もややこしくなるという噂ですわ」

「貴族って大変だなぁ」


 それが正直な感想である。財産も身分もなければまず揉めないのに。


「それが普通ですのよ。あなたのおうちが揉めないとすれば、それはあなた方が特殊なのですわ」


 家の財産をめぐり、あの兄と対立――考えただけで笑ってしまう。

 が、笑っている場合ではなかった。


「何事もなければそれに越したことはありませんが、妙に引っかかりを覚えますわ」


 ハリエットが難しい顔をしてオーレリアを見ていた。


「引っかかり?」

「……こんなことを言うつもりはありませんでしたのに。よいのです、忘れてくださっても」


 ハリエットは貴族社会にどっぷり浸かって育った令嬢だ。ラティマーと聞いて何か気がかりなことがあったのかもしれない。

 それがどういう手のものなのか、訊ねるべきか迷った。けれど、ハリエットは忘れてくれていいと言った。

 だとするなら、訊ねない方がいいのかもしれない。


「難しいことはわからないけどさ、ハリエットは何か心配して来てくれたんだね」


 それを言うと、ハリエットは黙った。

 ハリエットは素直ではないから、心配していると正直には言わない。


「ありがとな」


 笑って礼を言うと、ハリエットは紅茶を飲むフリをしながら小さな声でボソボソと言った。


「あなたには借りがありますのよ」

「ないよ、そんなの」


 オーレリアがすかさず返したから、ハリエットは動きを止めた。

 それから、また何かボソボソと言ったけれど、それはもう聞こえなかった。ただ、ハリエットの耳が赤い。


 ハリエットと今、こういう関係でいられるのなら、過去の自分がしたことはあれでよかったのだと思う。



     ◇



「――というわけなんだよ、オーレリア」


 夕食時の兄の言葉に、オーレリアは目を瞬かせた。

 飲んでいたワインを机の上にチョンと戻すと、テーブルの向こうの兄を見据える。


「出張って、いつ? どこまで行くのさ?」


 アーヴァインに引き続き、兄まで出張するという。


「明後日から。アトウッドまで」


 アトウッド。例のワインの産地だ。

 ここ最近の父と兄の頭痛の種でもある。


「前に話した通り入荷数が減ってるから、僕が行って直接交渉した方がいいかと思って」


 父は会長なので軽々しく出かけられないというか、最終手段なのであって、まずは兄が様子を見に行くつもりなのだろう。


 酒造組合も若年化してきて考え方が変わってきているとかなんとか言っていたから、視察には兄が適任だろうと父が判断したのだ。

 実際、兄は人当たりがいいからそういう交渉は穏便に行えるだろう。


「ここから遠かったっけ?」

「ラティマーよりは近いよ」


 兄はこれを言ってからしまったと思ったのかもしれない。

 さっそくアーヴァインのことを思い出して表情を曇らせたオーレリアに慌てる。


「いや、僕は一ヶ月もかからない。十日程度で帰るから。お土産にワインが詰まった樽を買ってくるよ!」


 ワインの入った樽はもちろん魅力的だが、もっと魅力的なのはその樽が並んでいる光景ではないだろうか。


「いいな」


 ポツリと言った。そうしたら、父と母と兄と、三人ともギクリとした。

 この先、オーレリアが何を言い出すのか予測がついたからだろう。


「あ、遊びに行くんじゃないし」


 そんなことはわかっている。仕事でワインの詰まった樽に囲まれに行くんだろう。羨ましい。


「兄さん、一人で行くのか?」

「いや、馬車の御者は連れていく」

「じゃあ、もう一人くらい増えてもよくない?」

「よくない」


 チッ。

 大事な話をしに行くのだから、それを邪魔するつもりはない。むしろ、何かの手助けができたらいいと思う。

 ここでオーレリアはとっておきの手札を出した。


「あのさ、アドラムの親父の知り合いが、確かアトウッドの酒蔵にいたはずだよ。昔、親父に世話になったんだってさ。毎年ワイン送ってくれてたし」


 もちろん、樽ではない。ビンでだが。

 これを言うと、兄は黙った。父と母も複雑な面持ちである。

 オーレリアはにこりと笑った。


「な、十日だろ? アーヴァインが帰ってくるまで最低一ヶ月だ。十日くらいなら行って帰ってきて、それから行儀作法の勉強を再開すれば平気だよ」


 その十日の間に学んだことを綺麗さっぱり忘れてしまうなんてことはない、ハズ。


「でも、いくらアドラムさんの伝手があっても、オーレリアがコーベット家の者だって知ったらどうなんだろう? 向こうがどう出るのかはわからないよ」


 兄は案外心配性だった。オーレリアとしては、何よりも義理が勝ると思うのだが、違うのだろうか。


「じゃあ、あたしは兄さんの妹とは言わない。部下ってことでついていこうかな。向こうはあたしの名前まで知らないだろ?」


 オーレリア・アドラムと名乗るだけだ。

 本来であればオーレリアは、ユーフェミア・コーベットなのだが、うん、悪いけれど未だに馴染めない。


「お前たち兄妹はよく似ているからなぁ」


 ハハ、と父が苦笑した。これは連れて行ってくれる気がないなと思った。


「メガネでもかけるよ。服もコリンに借りる」


 家族がそろって、えーっと声を上げた。お上品なはずの一家だが、最近オーレリアに染まってきたのかもしれない。


「変な意味で取らないでほしいんだけどさ」


 そう言ってオーレリアは前置きをした。それから続ける。


「あたしはずっと庶民的な生活をしてたんだから、兄さんより感覚が庶民寄りだ。ワインを作っているのは貴族じゃないんだからさ、あたしの方が見えることもあると思うよ。役に立つかもしれないじゃないか」


 実際、そうなのだと思う。

 コーベット家は裕福だし、爵位もある。恵まれているからなのか、根っから善良で、汗水たらして農作業をして働く人々からどのように見られるのかをよくわかっていない気がするのだ。


 オーレリアが冷静に言ったからか、兄は黙った。父と母は顔を見合わせている。


「でも、あなたは婚約中の大事な――いえ、婚約がなくても私たちの大事な娘です。軽はずみなことはせず、ちゃんとユリシーズの言うことを聞いて行動すると約束できますか?」


 母の言葉に、オーレリアはパッと顔を輝かせた。


「うん、もちろん!」


 ちゃんと答えたのに、父が疑わしげな目をした。

 兄は、オーレリアの言い分も一理あると思えたのか、ため息をつきながら言った。


「言うこと聞かなかったら、帰ってきたアーヴァインに告げ口するからね?」


 これにはオーレリアがグッと唸った。


「何もしないってば」


 アーヴァインの名は、オーレリアが唯一怯む泣き所だと思われている。事実そうかもしれないが、癪だ。


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