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令嬢は樽と共に  作者: 五十鈴 りく
続編

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〈9〉見学

 アーヴァインが行ってしまったので、オーレリアは行儀作法の特訓は欠かさなかったものの、ほんの少し横道にも逸れていた。コーベット商会の見学だ。


 淑女には知る必要のないことなんて、あると思わない。なんだって見て聞いて知っておけば自分のためになる。そもそもオーレリアの実家の事業なのだから、何も知らない方が嫌だ。

 それなのに、上流階級の女性は商売に首を突っ込むのをよしとしないらしい。面倒くさい。



 コーベット商会は、都の中でも会社が多く立ち並ぶ通りにある。

 銀行や証券会社のすぐそばだ。銀行と比べるからか、そこまで大きな建物ではない気もするが、港の方には三十を超える倉庫があり、そこに物資を保管している。


 ここは物資の管理ではなく、ああでもない、こうでもないと会議を繰り返してやりくりするところだと言われた。

 そう考えると、三階建ては十分に大きかった。赤煉瓦の壁は、パッと見た分にはホテルかと思う。


 父はやることがたくさんあると先に出かけてしまったから、オーレリアは兄を逃がさないようにくっついてきたのだ。一応、オーレリアが近いうちに見学に行くという話は通してある。


 オーレリアが重厚な扉を潜るなり、社内に緊張が走ったのがわかった。忙しく動いていた人たちがピタリと動きを止め、手にしていた仕事を放り出してオーレリアを迎えに整列したのだ。

 邪魔をしに来たつもりはないので、これにはオーレリアが焦った。


「ようこそおいでくださいました、オーレリアお嬢様」


 ザッと、屋敷の使用人たちのように頭を下げる。困って兄を見遣ると、兄は苦笑しただけだった。

 仕方なく、オーレリアは言った。


「どんなふうに仕事をしているのか一度見て見たかっただけで、手を止めるつもりはありませんでした。ごめんなさい。気にせずお仕事をして頂けたら結構ですから」


 精一杯余所行きの喋りをすると、隣で兄が笑いを噛み殺していた。脇腹に肘鉄を食らわせたくなったが、笑顔で堪えた。



 ――だがしかし、余所行きの顔なんてものはものの数分でどこかに行ってしまうのだ。


 黒板に書かれた数字とグラフ、出荷数、販売数、返品数。事細かに管理された統計を眺め、へぇ、とかふぅん、とか自然と零れる。


 オーレリアも以前は在庫管理を担当していたのでわかる。

 統計表を見る限り、逐一ナンバリングしてあり、誰が見てもそれとわかるほどに整然と管理されていた。

 これなら、わかる人を捜して教えてもらわずとも、各自が必要な情報をすぐに引き出せる。時間の短縮になるということは、別の仕事が捗るということ。


 オーレリアがしてきた仕事は、今現在、親父の下で働く人足たちが引き継いでくれている。それほど複雑なことはないが、急に仕事を辞めることになったのだから、もっとわかりやすく管理しておけばよかったと後悔はしている。


「こっちは応接室。商談もここでするよ」


 それから、兄に案内されて各部屋を見て回る。

 マホガニー材の重厚な机、座り心地のよさそうなソファー。グリーンが基調なのがまた心を和ませる。


「ここは僕の仕事部屋。あっちが父様の会長室」

「うんうん」

「ちょっとそこに座ってなよ」

「うん?」


 オーレリアは言われた通りソファーに腰かけた。すると、兄はいつもよりも少しだけ引き締まった顔をして机の上に溜まっている書類に目を通し始めた。その隙に紅茶が運ばれてくる。


「ありがとう」


 運んできてくれた女性に礼を言うと、女性は委縮していた。そんなに緊張しなくてもいいのに。


 紅茶を飲みつつ兄の仕事ぶりを眺める。

 いつもは、ほわわんとした雰囲気を持つ兄だが、職場にいる限りでは雰囲気が違った。アーヴァインほど精悍ではないにしろ、目つきが真剣でちょっと男らしく見えた。


 書類のいくつかにペンを走らせ、仕分けている。全部目を通したら、その中から一束だけ書類を引き抜いて椅子から立ち上がった。


「待たせたね、オーレリア」

「ううん。仕事中の兄さんを見れてよかったよ」


 正直に言うと、兄は照れたのか顔がまた締まりなくなった。褒めなくてよかったかもしれない。


「妹が職場にいるって、なんだか不思議だなぁ」


 エリノアにも見せてやりたいが、そんな一面を見せなくてもエリノアは兄のことが好きだからいいのか。



 兄が職員のいる大部屋に向かったから、オーレリアもついていった。

 すると、やっぱり皆が緊張した。兄はいかにも熟練の中年男性と書類を見ながら話している。多分、あの書類だけが急ぎの用件なのだろう。


 壁際に立って眺めていたが、オーレリアは次第に飽きて近くの机で書き物をしている女性の手元を窺った。どうやら得意先に礼状を書いているようだった。

 綺麗に整った字が美しい。だから、思わず口に出してしまった。


「うわぁ、すごい綺麗な字を書くんだな。見習いたいよ」

「い、いえ、そんな……」


 まだ若いショートボブの女性だったが、オーレリアの賛辞に慌てふためいていた。


「こんな綺麗な字の手紙をもらえたら、もらった人は絶対嬉しいよ」

「そうだといいですね……」


 その女性は照れながらも笑ってくれた。

 オーレリアはそれからも、邪魔にならない程度に部屋の中を見て回った。


「うん? あんた、あたしとあんまり年が変わらないような? 新入りかい? そっか。誰だって最初は新入りだよ。これからもよろしくな!」


「あっ! おねえさん、おなかに赤ちゃんがいるのに働いているんだ? 座り仕事でも気をつけてな! 赤ちゃんを産むより大事な仕事なんてないんだから、くれぐれも体は大事にして。なっ?」


「おじさん、いつからここで働いてるのさ? えっ! 二十八年? うわぁ、すっごいベテランじゃないか。そんなに働いてくれてるんだからさ、おじさんがいないと父さんたちも困るんだろうね。いっぱい給料ふんだくってやんなよ」



 コーベット商会ではいろんな人たちが働いていた。思った以上に多種多様だった。

 女性だってちゃんと働いているんだから、オーレリアが商売に興味を持ったっていいじゃないかと思う。


「じゃあ、皆、今日はありがと! 仕事の邪魔してごめんな」


 最初に被っていた『猫』はどこへ行ってしまったのか、もう探せない。

 うるさいのがやっと帰ったと思われたかもしれないが、オーレリアは商会の仕事を見学できて満足だった。



 その二日後。

 夕食の席で――。


「――なあ、オーレリア。会社の皆から、お嬢様は今度いつ来られるんだって訊かれるんだけど?」

「へっ?」


 首をかしげたオーレリアに、兄が含み笑いをしている。父も苦笑していた。

 邪魔になるからそんなに頻繁に行くつもりはないが。


「私の頭が固かったのだろう。オーレリアには教えられることがまだまだあるのかもしれないね」


 父によくわからないことを言われた。


会社の士気が上がりました(笑)

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