〈1〉外へ行こう
✤ ✤ ✤
とあるところに、裕福な両親のもとに生まれた無垢な赤ん坊がおりました。
その名はユーフェミア。
母親譲りの可愛らしい、金髪の女の子です。
その女の子はある日、攫われてしまいました。家がお金持ちなもので、身代金を要求するために攫ったのです。
未遂のまま犯人は消え、ユーフェミアの行方もまたわからずじまいという最悪の事態で事件は幕を閉じました。
けれど、それから十数年――。
ユーフェミアは生家から離れた別の土地で元気に成長していたのです。
ええ、それはそれは元気に。元気すぎるくらいに。
本当の家族と再会し、引き取られたユーフェミアは、名前を育ての親がつけてくれたオーレリアと改め――頑として譲らず、令嬢としてどうなの? と突っ込まれるくらいにはマイペースに今を生きているのです。
✤ ✤ ✤
「――なあ、いい天気だよ」
オーレリアは薄暗い書斎の中で重厚な机に手を突き、身を乗り出しながら言った。
上流階級の令嬢としては無作法極まりないが、化けの皮は初対面で剥がれて以来かぶり直していなかった。
似合わないことをしても様にはならない。
「それがなんだ?」
しかめっ面でそう答えたのは、アロイス・ウィンター伯という偏屈な老人だ。
歴とした伯爵なのだが、偏屈なのもそれと同じく事実である。
小柄ではあるものの何せ威圧感があり、使用人ばかりでなく色々な人から恐れられている。
脚が悪いので、このカントリーハウスから出ることはほとんどない。それを理由に社交場にも足を運ばず引き籠っている。
少し前まではこのウィンター伯とオーレリアは赤の他人だった。
成り上がり子爵家の令嬢でしかないオーレリアが軽々しい口を利ける人ではなかったのだが、それが今では身内のようなものだ。
それと言うのも、オーレリアがウィンター伯の孫、アーヴァインと婚約したからである。
アーヴァインは伯爵家の跡取りだが軍人で、オーレリアの四歳上の兄、ユリシーズの親友でもあった。そのアーヴァインの祖父なのだから、ウィンター伯はオーレリアにとってもいずれ祖父になるのだ。
これまで、アーヴァインとこの偏屈な祖父との関係は冷えきっていた。顔を突き合わせれば嫌味を言う祖父と、寡黙すぎる孫とは歩み寄る気配すらなかったのだ。
そこにオーレリアが混ざり、こうして会いに来ることで関係は緩和されつつある。多分。
口を曲げている祖父を、アーヴァインは傍らでやれやれとばかりに見ている。
休暇中の今はジャケットにトラウザーズだが、普段は凛々しい軍服姿だ。長身で引き締まった体躯は何を着ても似合う。
オーレリアは、偏屈な未来の祖父に気負うことなく言った。
「いい天気だから外へ行こう」
「何故、いい天気だからといって外へ出る必要がある?」
相変わらず手強いじいさんだ。
人間は光を浴びた方が気持ちが上向きになるとオーレリアは思っている。たまにはそよ風に吹かれながら日光浴をしたっていいのではないのか。そうしたら、もう少しにこやかに過ごせる日があるかもしれない。
「じゃあ雨の日の方がいいのか? べっちゃべちゃになるの嫌だろ? せっかく皆で遊びに来たんだからさ、こんな時くらい散歩したっていいじゃないさ」
「お前たちは勝手に遊んで帰ればいいだろう。私はこの部屋の中で十分だ」
プイッ、とそっぽを向かれた。けれど、怒っているのではない。
脚が痛いのは知っている。だから皆と同じように歩けない。
それでも、人の手を借りるのが嫌だからという理由で外出を断るのは勿体ないと思う。
「脚が痛いから?」
「そうだ」
ぞんざいに言われた。
オーレリアは、よし、と言い放って机を叩いた。そして、机を回り込んでウィンター伯の横に背を向けてしゃがみ込む。ドレスの裾が床に広がったが、別に踏まれてもいい。
「ほら、あたしが負ぶっていくよ。だから外に行こう」
「な……っ」
面食らっているウィンター伯に、ほらほらと手招きする。
オーレリアは、女にしては力があるつもりだ。上背もある。ドレスは動きづらいが、小柄な老人くらい背負える。
本気で背負うつもりで待っていたが、ウィンター伯は乗ってこなかった。乗るわけないだろう、と後で聞いた兄に呆れられたのだが。
ふと、壁際でアーヴァインが珍しく忍び笑いしている声が聞こえた。そんなに笑うことはないだろうに。
「何笑ってんのさ。それならアーヴァインが背負えばいいじゃないか」
ムッと膨れてみせると、アーヴァインは目尻の涙を拭いながら――泣くほど笑うとは失礼だ――言った。
「いや、車椅子があるから」
「へっ?」
そうか、車椅子は高価だが、貴族ならそれくらい持っているらしい。下町の庶民の暮らしとは違うのだ。
「そ、そっか。そうだよなっ。あるよなっ」
しゃがんでいたオーレリアは慌てて立ち上がったが、結構恥ずかしかった。顔が赤いのをごまかすように目をそらしたが、多分手遅れである。
ウィンター伯は鼻で笑っているかと思えば、苦笑というのか、珍しく少し柔らかく笑っていた。
それは多分、オーレリアが見た中で一番の優しい顔だった。
もしかすると、アーヴァインですらそう感じたのかもしれない。




