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令嬢は樽と共に  作者: 五十鈴 りく
本編

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40/84

〈40〉期待外れ

「まず、何からお話しましょう?」


 ハリエットは微笑んで余裕を見せつける。

 腕力でなら勝てるが、そういう勝負ではない。

 時折、通りすがりはいるが、基本的に廊下には二人だけだと言っていい。ハリエットがオーレリアの手が届く範囲に身を置くのは、オーレリアを甘く見ているからだろうか。


 声を出せば誰かは駆けつけてくるし、危険はないと思っているのだろう。オーレリアとしてもそれは同じだった。だから、二人は少々冷静に話せるのだ。


「そうだね。一番聞きたいのは、あんたがどうしてあたしを敵視するのかってところかな。顔が嫌いって理由だけじゃないんだろ? 顔が嫌いだったら、うちの兄さんだって似たような顔だし」


 なるべく感情を抑えて言う。ハリエットは相変わらず笑顔で廊下を歩くが、ふと、目の奥に不穏なものを感じた。


「だから嫌いなのですわ。ユリシーズ様によく似たそのお顔が」

「え? そこ?」


 ハリエットは兄のことを恨んでいるらしい。オーレリアは兄に似ているという、単なるとばっちりだったのだ。

 しかし、兄には身に覚えがなさそうだった。のん気なものだ。

 気づかないうちに何をやらかしたのだろう。


 ハリエットはひとつ嘆息すると語り出す。


「……私、娘に生まれた以上は皇族や公爵家の方に見初められるようにと、幼い頃から厳しく躾けられてきましたの。両親も私に期待をかけていて。けれど、資産家のコーベット家なら身分に関わりなく姻戚となりたい家はたくさんありますわ。うちの両親もその口でしたの。ユリシーズ様は女性なら誰もが憧れるような殿方ですし、私もこの方ならと考え始めていたのです」


 兄の評価が高すぎる。オーレリアはそこを突っ込みたかったが、話の腰を折るので我慢した。

 ハリエットは目だけギラギラと燃え上がらせながら、口調は淡々としている。その温度差が不思議だった。


「ユリシーズ様はお優しかったけれど、今にして思えばあれは皆にお優しかったというだけのことですわ。社交界デビューしたばかりのエリノア嬢を見初め、あっさりと婚約してしまったのですから、女性たちに気を持たせるつもりすらなかったのでしょう」


 あの兄は、綺麗だとか、可愛いとか、歯の浮くようなことを平気で言うから変な誤解を受ける。しかも、大勢に言うからいちいち覚えてない。


「う、うちの兄が、ごめん」


 オーレリアが謝るところでもないが、なんとなく言ってしまった。

 すると、ハリエットはカッと目を見開いた。


「私、他人に敗北したのは初めてでしたのよ。それまで、なんの疑いもなく私を選んで頂けるものと考えておりましたわ」


 怖い。腕の筋肉が盛り上がった男が殴りかかってくるより、ある意味怖い。


「そ、そうだな。嫌な思いをしたな」


 挫折を知らなかったハリエットの心の傷は深いらしい。恨みがとぐろを巻いた蛇のようにしてハリエットの周りに(こご)っている。

 かと思えば、今度はフッと肩から力が抜けていった。急にどこか弱々しく見える。


「無様な負けを素直に認められるはずがありませんもの。あからさまにエリノア嬢に嫌がらせをするようなことはプライドが許しませんでしたわ」

「いや、しなくていいから」


 オーレリアですら怖いと思うのだから、エリノアなんて蛇に睨まれたヒヨコちゃんだ。可哀想すぎる。


「あの日、グレンダ嬢があなたとエリノア嬢に暴言を吐いているところに遭遇して――私、心からグレンダ嬢を応援してしまいましたわ」

「…………すんなよ」


 小声でもしっかり突っ込みたいのは性分かもしれない。


「エリノア嬢はユリシーズ様のご両親にも気に入られて、関係は円満だとお聞きしていましたから、二人の間になんの障害もないことにガッカリしていて。そこへやってきたのが、生き別れになった妹のあなたですわ。私、あなたにはとても期待していましたのよ」

「へ?」

「ポッと出の小姑と上手く行かないといいって。順風満帆な彼女の将来に影が差せばいいのにと、あなたに期待していましたのに。あろうことか、あなた、エリノア嬢を庇ってグレンダ嬢に啖呵を切りましたわね」

「嫌ぁな期待だな」


 笑顔を振りまいている令嬢の裏の顔がコレなのだから、貴族社会は恐ろしい。いや、女は怖いと言うべきだろうか。


「ええ、そうですわね。でも、私、あなたが頼みの綱でしたの。ガッカリしてしまって、あとでとても腹が立ちましたのよ」

「すっごい迷惑なんだけど」


 ギラギラとしていたハリエットは、気がつくとギラギラというよりも生き生きとしていた。抱えていた黒い感情を吐き出すのは初めてのことかもしれない。

 お行儀よく、と『令嬢』という型に嵌められたハリエットは、誰にも胸の内を伝えられずに抱えていたのだろう。


「一度腹が立つともう駄目。その上、あなた、アーヴァイン様とよい雰囲気で、あなたもエリノア嬢のように社交界デビューしてすぐに皆が憧れている殿方を捕まえるのかと思ったら、余計にまた腹が立って」

「…………」

「それで、エリノア嬢に暴言を吐いたことを評価して、グレンダ嬢にもほんの少しご褒美をあげましたのよ。もっとも、儚い夢でしたけれど」

「あんた、清々しいほど屈折してるね……」


 そう評価してやったのに、ハリエットは動じない。

 ハリエットはひとつの扉の前で立ち止まると、にっこりと綺麗に微笑む。


「あなたは清々しいほど愚直ですもの。気が合うわけがございませんでしたわね」

「まあね」


 と、オーレリアも笑った。

 しかし、不思議なことに、こうして腹を割って話してみると、一緒に茶を飲んだり買い物をしたりというあの偽りだらけの数日間よりは気楽にいられるのだ。


 理不尽な嫌がらせはするし、ねじ曲がった性格のハリエットだが、何故だかだからといって不幸になれという気はない。


「でもさ、兄さんが自分以外と婚約して悲しかったのは本当だろ? そこから立ち直るの大変だったよな」


 扉に手をかけたまま振り返ったハリエットの顔つきが暗い。少なくとも、婚約発表の日にする表情ではない。


「……想う方に選ばれたあなたに何がわかるのかしら?」


 ハリエットなりに真剣だったから恨みが籠る。

 気持ちがわかると容易に言うのはよくないとしても、ハリエットを労わりたい気持ちが湧いた。それはオーレリアの中にある恋心が戦友を称えるような、奇妙な連帯感だ。


 思えば、恋も喧嘩も一緒だ。誰かが勝って誰かが負ける。

 エリノアは屈強だった。相手が悪すぎたのだ。彼女には誰も勝てない。


 そうだ、兄がエリノアを射止めてくれたからこそ、アーヴァインが空いていた。エリノアが恋敵なんて戦いを挑むだけ無茶だ。

 優秀な兄に心から感謝したい。


「本当にさ、選ばれなかったらどうだったのかなって考えら、それだけですっごい苦しいんだ。試しに考えてみただけで悲しいんだから、実際にそういう目に遭った女の子がもっと悲しいのは当たり前だと思う」


 それを言ったら、ハリエットは笑った。けれど、初めて笑顔に失敗するのを見た。それで笑っているつもりかというほどには苦しそうだ。

 だからか、オーレリアも声音が自然と柔らかくなった。


「だからって、やっていいことと悪いことがある。あれは駄目だ」

「わかっていますわ。もうしません。それでも気が済まないのでしたら、リチャード様に告げ口でもなさったら?」


 強がっても、誰しも弱い部分は抱えている。そこが人間味で、オーレリアはハリエットのそうした部分にも触れてほっとしたのだ。


「あの男、あんたのこと好きなんだから告げ口なんてしたって信じないだろ」

「上辺しか見ていらっしゃいませんものね」


 自分の婚約者のことだというのに、失笑している。(ユリシーズ)でないのなら誰でも同じだとでも言いたげだ。

 いくら悲しくても、そんな失礼なことがあるかと思う。


「あんたもな。それから、上辺しか見せようとしていないのはあんただろ。みっともないところも見せて、それでもいいって言ってもらえたら嬉しいもんだからさ。その性格の悪さも見せて見たらいいんだ」

「サラリと性格が悪いとか仰るの、やめてくださらない?」

「無自覚とかやめろよ」

「自覚はありますわよ。だからこそ、みっともないところなんて見せて好かれるわけがないでしょう?」

「そうかな? あたし、アーヴァインにいっぱい見せたけど」

「あなたは――」


 ハリエットは何かを言いかけてやめた。


「あなたには簡単でも、私にはとても難しいということですわ」

「ああ、そう。じゃあ、努力しなよ。言っとくけど、あんたが身に着けてる行儀作法だって、あたしには難しいよ」

「では、努力なさって?」


 フフ、とハリエットはようやく綺麗に笑った。だから、オーレリアはこれでいいと思えた。


「やっと普通に笑った。あんた、そうやって笑ってる方が可愛いんだから、もう怖い顔をするんじゃないよ」


 それを言うと、ハリエットは目を瞬かせ、ほんの少しうつむいた。


「……あなたが妹ではなくて弟だったら万事解決でしたのに。残念ですわ」

「うん? ごめんって」


 今度からまたハリエットとは社交場で顔を合わせるだろう。けれど、露骨に避けたりはしない。普通に挨拶くらいはするつもりだ。

明日が最終話になります(*^-^*)

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