〈4〉兄がいた
「まあ素敵! オーレリアは何を着ても似合うわ。なんて綺麗なんでしょう」
――というセリフが、母であるエメラインの口からポンポンと溢れ出てくることになった経緯はというと、オーレリアが身ひとつで出てきたせいである。
どうせ男物の服しか持ち合わせもないし、持っていっても着られないのはわかっていた。それを正直に告げた結果、今まで足を向けたこともないような商店街の一角にて、上から下まで買い揃えられたのだ。
ちなみに、今着ている服で五着目。
黒とワインレッドのドレスは足元までをすっぽりと隠してしまい、なるほど、これならガニ股で歩いてもバレないなと思ったが、履かされたヒールの靴がとてもではないけれど大股で歩ける代物ではない。
たった三センチ。
そのヒールに苦戦する自分に、オーレリアはがっかりした。夜の女たちはもっと細くて高いヒールで町を闊歩しているのに、情けない。
髪もドレスに合わせて結われ、飾りをグサグサと刺された。鏡を見てみると、これは誰だというような女がいた。
多分、醜くはない。けれど、これが自分かと思うと、オーレリアは叫び出したいような駆け出したいような気分になるのだ。
その騒がしい気持ちをオーレリアは精一杯押さえつけて我慢しているが、実父のタディアスもコリンものん気なものだった。
「わぁ、姉御、美人だと思ってましたけど、そういう恰好をすると一段と綺麗です!」
「うんうん。エメラインの若い時によく似ているよ。ところでコリン、その姉御というのはそろそろやめて、お嬢様と呼んでくれないかな」
「あ、はい、オジョウサマですね!」
そのやり取りを聞いているだけで疲れる。
しかし――。
「ああ、娘と買い物をするのが夢だったの。可愛いお洋服をたくさん着せたいって、ずっと……っ」
グスン。
湿っぽい展開になると折れてしまうオーレリアである。
「そりゃあ……よかった……」
ハハ、と乾いた笑いが零れる。
その時、母が少女のように笑った。
「フフ。ユリシーズもこんな綺麗な娘が妹でびっくりするわね」
「へ?」
「オーレリア、君には四つ年上の、ユリシーズという兄がいるんだよ。今も仕事を任せて出てきたんだ。ユリシーズも君に会えるのを楽しみにしている」
「兄……」
兄はほしかった。一人っ子だと思っていたオーレリアだが、兄がいたらいいのになと思っていたのだ。だから、それを聞いて少し嬉しかった。
ユリシーズというらしいが、なんと呼ぼうか。兄貴――は却下されそうだ。お兄様とかはオーレリアが無理だから、精々が兄さんだろうか。
ひとつ楽しみができた。
◆
オーレリアの故郷は、育った港町アストリーよりもずっと東。列車で行けば三日ほどかかる都ウィーデンだという。オーレリアは一度も行ったことがないし、行こうと思ったことすらなかった。
ウィーデンまでの旅は船旅だった。一日で着く、快適な旅だ。大きな船はたいして揺れない。柄の悪い船乗りもいない。拍子抜けするくらいあっさり、オーレリアは何もすることなく、それこそ父が来たついでに買いつけた樽と一緒で、積まれて運ばれたのと変わりない。
「もうすぐわが家だ。ああ、家族が皆そろう、こんなに素晴らしい日が訪れるなんて……」
船着き場まで迎えに来た馬車に乗り込み、その中で父親が感極まって涙を浮かべていた。オーレリアはというと、こんなところまで来てしまったけれど、本当にこれでよかったのかなという気分だった。
浮かない顔をしているオーレリアの手を、母親がギュッと握った。
「慣れるまで不便はあると思うけれど、遠慮しないでなんでも言って頂戴ね?」
「ん? ああ、ありがと」
外見だけ繕っても、中身は港町で育ったオーレリアそのものだ。言葉遣いひとつとってもちぐはぐである。両親は喜びの中に少しだけ不安を滲ませた。
そして、馬車は屋敷へ着いた。
そういえば爵位を持っているとかなんとか聞いたような気もする。貴族の立派な屋敷としか形容できない、その佇まいをオーレリアは見上げた。でかい。
爵位がどの程度か知らないが、相当に資産があるのがわかった。とにかく金持ちだ。
そんな家の娘だと知らされて、嬉しいかと問われれば、そんなことはない。
金は飢えないほどにあればいいと思って生きてきたし、足りなければ自分で稼ぐものだ。急に転がり込んできた金はすぐに使ってなくなる。大事にしないからだ。
ぼうっとしていたオーレリアのそばで、コリンもぼうっとしていた。
母親は二人を見て、軽やかに笑う。
「さあ、入りましょう。ユリシーズが待っているわ」
オーレリアの兄、ユリシーズ。
――どんな人だろうか。
オーレリアはうなずいて両親の後ろに続いた。
この時、使用人たちが恭しくかしずき、主人たちを迎え入れた。今のオーレリアは頭を下げるのに抵抗がない程度には外見を取り繕えているのだろう。こそばゆいながらに、オーレリアはエントランスへ進んだ。
すると、慌ただしい靴音がして、男が一人飛び込んできた。
「おかえり、父様、母様! それから――」
金髪の、線の細い青年だった。上背はあるものの、細身。顔立ちは明らかに母親似――つまり、オーレリアにも似ていた。これが血の繋がりか。
兄、ユリシーズは、両親への挨拶もそこそこに、オーレリアに目を向けてパッと顔を輝かせた。
「ああ、君がユーフェミアなんだね!」
――育ちが違うというのは、相手の行動がお互いに読めないものである。
兄は、初対面ともいえる妹を抱擁で迎え入れようとしたらしい。
しかし、だ。下町育ちのオーレリアには家族間でそのようなスキンシップを取る習慣がない。それどころか、物騒な町中で抱きついてくるのは酔っぱらいか変質者であり、向かってきたら問答無用、即・倒す。
これはもう、条件反射と言っていい。
オーレリアは兄のシャツの胸倉をつかみ、ねじり、投げ飛ばした。細身の兄だから、容易かった。
受け身も取れず、コテンとひっくり返った兄。
それはもう、気まずい空気がその場に流れた――。