〈38〉嫌い
「婚約発表って、具体的にはどうするんだ? 次に呼ばれた社交場で挨拶がてら報告すればいいのかな?」
オーレリアが食事の席でそれを訊ねると、家族たちは皆そろってアハハ、と笑った。
「うちが婚約披露の場を開くんだよ」
「へぇ?」
父の言葉に、オーレリアは声を漏らしてから首を傾げた。
「アーヴァインくんと話してうちに任せてもらうことにした。伯爵も脚がお悪いのであまりご負担をかけずに支度したいしね」
「うちが……」
そういえば、今までの主催者たちは客を出迎えて挨拶をしていた。あれをやらなくてはならないということか。
アーヴァインと仲睦まじく腕を組んでウフフと――。
「すごい……大変だね……」
なんとなく青ざめるオーレリアだったが、兄は穏やかに笑っている。
「大丈夫、支度は僕らがするし、始まってしまえばすぐだよ。まずは婚約式だ」
「式って? 結婚式じゃなくて?」
下町の連中なんて、結婚式すら挙げないこともよくあるのに、貴族は婚約の段階でまで式をするらしい。
「何すんの?」
フォークを硬く握りしめて身構えているオーレリアに、兄は軽く言った。
「指輪の交換とか。結婚式の簡単なヤツだと思えばいいよ。それが終わってからやっと発表期間が設けられるんだ。その時に場を開いてお披露目する」
式なんて一回でも面倒なのに、二回する。よくよく、別れるなよと言い聞かされているような。
アーヴァインとやり直すことはないはずだから、ここは乗り越えるしかないのだが。
「婚約式、兄さんもやったの?」
「うん、もちろん」
そこで兄はふと考えるような仕草をしてフォークを止めた。
「どうしたの、兄さん?」
兄はハッと、夢から覚めたようにして顔を上げる。
「いや、なんでもないよ」
「まったく、エリノアのことでも考えてたの?」
「それはいつでも」
「あ、そう」
この兄はまたしても、躊躇いもなく言ってのける。
オーレリアだったら、アーヴァインのことを考えてたのかなんて問われたら、絶対違うしと答えるのに。
しかし、なんでもないと言うわりには何かに引っかかっている様子の兄だった。
◆
そうして、何もわからないオーレリアは、家族に教えられて婚約式の支度を始める。といっても、ほぼ考えて決めるのは母だった。兄が先に済ませているのでなんでもよくわかっている。
その支度をするうちに、コーベット家にはまた社交パーティーの招待状が届いた。
主催者は、バロウズ家。婚約披露のためのパーティであるという。丁度いい、学ばせてもらおうと思ったのも束の間。
その婚約披露パーティの主役である令嬢は、あろうことかハリエットであった。
兄が心配そうに問いかけてくる。
「オーレリア、どうする?」
父と母は何も知らない。
母は、近頃ハリエットが来なくなったのは婚約の準備で忙しかったからなのだと勝手に納得していた。
「行くよ。さすがに自分の婚約披露の場であたしに仕掛けてこないだろうし」
招待状を出してくる辺りがいい性格をしている。
ここで逃げるのは嫌だ。喧嘩を売られた以上、買うしかない。
しかし、兄は急に難しい顔をした。
「そういえば、一度だけハリエット嬢が僕のことを厳しい顔つきで見ていたことがあったのを思い出したんだ。本当に一瞬で、すぐに微笑んでいたから、何か考え事でもしていたのかなと思って深く気にしてこなかったんだけど……」
オーレリアはポン、と手を打つ。
「あいつ、あたしの顔が嫌いなんだってさ。だから、兄さんの顔もきっと嫌いなんだよ」
「顔? それは困った……」
「だよな?」
ということは、兄妹の母の顔も嫌いなのだろうか。困った令嬢だ。
アーヴァインにも相談し、出席すると伝えると、止めなかった。自分も行くからと言ってくれただけである。
当日、アーヴァインは祭事用の軍服で迎えに来てくれた。
オーレリアのドレスは湖水のような淡い水色であった。白いレースがたくさん重なっていて、冬山みたいな。寒い色だが、落ち着いている。これくらいが丁度いい。
ただ、ドレスがシンプルな分、アクセサリーが大きめで重たい。肩が凝りそうだ。
オーレリアのドレスなんて見慣れているはずのアーヴァインだが、なんとなくオーレリアを眺めると、微笑んだ。その微笑は不意打ちだ。
しかし、今日は扇があるから顔を隠せるし、風を送って火照りを冷ませる。扇っていいなと思った。
今日は何故かエリノアがこちらの屋敷にやってきて顔を合わせた。一緒の馬車で行こうと言う。
兄からアーヴァインとの婚約の話を聞いたらしく、目を宝石よりも輝かせてオーレリアの手を握った。
「婚約すると聞いたわ。おめでとう、オーレリア」
「あ、うん。ありがと……」
これが言いたくて、わざわざ来てくれたのかなと思った。向こうで会ってからでもいいのに。
向こうはハリエットたちの婚約を祝う場だから、わざと避けたのかもしれない。エリノアは気遣いのできる女性だ。
こういう人だから、兄が見初めたのだろう。
「エリノアは今日の主役とは親しいの?」
なんとなく訊ねてみる。エリノアはハリエットがしたことを知らないから、一般的な評価を教えてくれると思ったのだ。
エリノアは苦笑した。
「いいえ、お近づきにもなれないわ。わたくしは貴族とは言ってもほとんど末席ですもの。向こうからお声がけして頂けない限り、こちらからなんてとても。今日も私はユリシーズのオマケですもの」
そういうものなのか。
まあ、ハリエットに声をかけてもらわない方が平穏に過ごせるのだが。
――とにかく、ハリエットが何を考えているのか。
今日こそそれを知りたい。
祝うかどうかはそれからだと思った。




