〈37〉朝から
オーレリアたちが家族に婚約する旨を伝え、ひと晩経ってからのこと。
早朝にアーヴァインが軍服姿でやってきた。何か言い忘れたのだろうか。
やはり、軍服が一番似合うなとしみじみ思った。
オーレリアはまた冷やかされたり恥ずかしいことを言われるのが嫌だったので、アーヴァインの腕をつかんで庭に急いだ。
「なんだ? 今から仕事なんじゃないのか?」
「まあ、そうだな。婚約の話ばかりして、あの時の社交パーティーの話を後回しにしてしまったなと」
そういえば、他のことを考えるゆとりがなくて飛んでいたけれど、ハリエットのことがまったく片づいていない。
すっかり忘れていられたのが逆にすごい。それくらい、頭の中がアーヴァイン一色に染まっていて、アーヴァインもそうだったのかなと思うと少し照れ臭い。
「アーヴァイン、それでグレンダのエスコートをしてパーティーに出たんだろ? ハリエットがまた何か工作をしてきたのか?」
照れをごまかすようにして言うと、アーヴァインはかぶりを振った。
「それが、何も。笑顔で挨拶してきただけだな」
「グレンダは何か言ってたか?」
「俺が急にエスコートをするって話になったのは、ハリエットが頼んだからだというのは知っていた。ただ、どんな手を使ったのかまでは知らないようだった」
「……グレンダ、喜んだろ?」
これは焼きもちというヤツだ。声が尖ってしまった。
誰のせいだと怒られそうなところだが、アーヴァインはまったく動じない。
「最初だけは。すぐにつまらなくなったみたいだ。まあ、俺のせいだがな」
無口だから、会話も弾まなかっただろう。それでもいいと思えたら楽しかったかもしれないが。
「お前のことを訊ねられた。どうして顔を出さないんだって」
「なんて答えたんだよ?」
ハリエットは、社交界中にオーレリアがアーヴァインに捨てられたと噂されたらいいと言っていた。グレンダを連れているところを見たら皆がそう思うと。
アーヴァインはそれこそ、どうして真顔でそんなことが言えるんだろうと思うようなことを口にした。
「俺が婚約を申し込んだら、しばらく考えさせてほしいと言われた。返事が定まらないうちは俺と顔を合わせるのが気まずいから、今回は見合わせたんだろうと答えておいた」
「そ、それを言ったからグレンダの機嫌が悪くなったんじゃないのかっ!」
「そうだな」
しれっと言う。なんでこいつはこんなに落ち着いていられるんだとオーレリアは戦慄いていた。
「そういうわけだから、少々噂になっている。次に顔を出す時は覚悟しておけ」
家族に報告するだけでもこんなに恥ずかしかったのに、眩暈がしそうだ。
試練は次から次へと湧いて出てくる。
「で、でもさ、あんたんとこの爺さんの承諾はまだだろ? 会いに行くのか?」
多分、そこが一番大きな障害なのだと思う。ウィンター伯に、行儀作法なんて少しも身についていないところを披露した自信はあるのだ。
ここでアーヴァインは軍服の懐から開封済みの手紙を取り出した。
「手紙を書いて送ったら、すぐに返事が来た。顔は合わせているから許す、話を進めろとのことだ」
「え? そんな簡単に?」
「これは俺も意外だった。正直に言うと、あの爺さんが気に入る女なんていないと思っていたんだが」
貴族間の結婚なのに、こんなに軽く許すのは、反対したらこの男は二度と結婚の『け』の字も言わなくなるとウィンター伯なりに恐れているのではないだろうか。
何やらアーヴァインの根回しがよすぎて、オーレリアがぼうっとしているうちにすべてが整っている。外堀はしっかりと埋まった。破棄はできないと言うだけある。
「ただ、ハリエットが何を考えているのかが本気でわからん。お前のことだけを敵視しているようだから、二度と油断するなよ」
それはもちろん、二度と油断はしないつもりだが、アーヴァインもついていてくれると思うと安心感が違った。
「うん、わかってる」
うなずくと、アーヴァインは何故だか急にオーレリアの手を握った。
急だったので、心構えがない。照れていると、ずっと真顔だったアーヴァインが声を立てて笑う。
「前は平然としていたくせにな。大体、あの環境で育ったのにどうしてこれくらいで照れるんだ?」
「別に! 照れてないし!」
そう言いながらも、顔は赤い。
男だらけの中にいたけれど、誰ともこんな展開にはならなかった。皆は仲間で家族で、恋愛感情と呼べるようなものを抱いたのはアーヴァインが初めてだ。この年でいちいち狼狽えるなんて面倒だとでも思うのだろうか。
他の男だったら照れないし、遠慮なく振り払って、ついでに投げ飛ばす。アーヴァインが相手だとおかしくなってしまうだけだ。
「……もっと経験豊富で慣れてた方がよかったのか?」
背も高いし、エリノアのように可愛らしいという顔立ちでもない。そんな女が慌てふためいているのはみっともないかもしれない。照れても似合わない。
少し不安になってつぶやくと、今度はアーヴァインの方が驚いたふうだった。
「そんなわけないだろ」
はっきりとした声でそう言ったアーヴァインは、握っていたオーレリアの手を強く引いた。よろけたオーレリアを一度力強く抱き締めると、耳元でささやく。
「行ってくる」
「え、ああ、いってらっしゃい……」
心臓に悪い朝だった。
口数は確かに少ないけれど、思いのほか気持ちを伝えてくれる。それを意外に思いつつも、顔がふやけた。
以前の不安が嘘のように消えている。
アーヴァインの気持ちが自分に向いている、それだけが確かなら何も怖くない。ハリエットが何を仕掛けて来ようとも、大らかに構えていられる。多分、今のオーレリアは無敵なのだ。
おかげさまで。




