〈36〉環境の差
古巣で一泊した後、オーレリアはすぐに戻ることになった。アーヴァインの休暇も長くはないし、向こうでやることもあるのだ。
「じゃあね、親父。また来る」
「軽々しく来んな。そんな暇があったら行儀作法を習えっての」
「うるさいなぁ」
お互いにまた憎まれ口を叩き、別れる。これくらいが丁度いい。
コリンはまたオーレリアについてコーベット家に戻るとのことだった。しかし、道中ずっと不機嫌極まりなかった。トランクをギュッと抱え込み、うわ言のようにブツブツと繰り返している。
「最初から嫌な予感がしていたんですよ。最初って、初対面の時です。決してアーヴァイン様のことが嫌いとかそういうんじゃないんですよ。でもね、誰が相手でも姉御を取られるのは我慢ならないって言うか。ほんと。そこに尽きるんですよ。あーあ、なんでこんなことになっちゃったかなぁ」
あれは無意識だろうか。心の声が止め処なく漏れている。
船に乗り込んだら、コリンは客室から出てこなくなった。結構落ち込んでいるとアーヴァインが甲板でオーレリアに教えてくれた。
「あれだけ慕っているのを見ると悪いような気もするが、譲る気はない」
はっきりと言われると、照れる。
「ん……」
オーレリアは船べりに手を当ててうつむきかけたが、それからやっぱりアーヴァインを見た。
「そういえば、親父と話していた時、あんた、初めてあたしの名前を呼んだよな?」
「初めて?」
首を捻るアーヴァインに、オーレリアは大きくうなずく。
「いつも『お前』としか呼ばないじゃないか。初めてだよ」
けれど、あれは会話の流れの中で出ただけで、オーレリアに直接呼びかけたわけではない。だから、面と向かって呼んでほしいと思った。
「そうだったか?」
とぼけているが、絶対にわかっている。
オーレリアはアーヴァインに向けて一歩進むと、顔を見上げた。
「呼んでよ。あたしに向かってさ」
そうしたら、アーヴァインはどことなく気まずそうに目を逸らした。
「近い」
「遠かったら聞こえないだろ」
ニヤニヤと笑って追い詰めたつもりになっていたオーレリアだったが、甘かった。アーヴァインはオーレリアの肩に手を置くと、耳元でささやいたのだった。
風の音にも波の音にも邪魔されず、柔らかな声音がいつまでも耳に残る。
「……聞こえたな?」
「あ、ああ、うんっ」
耳を押さえて赤面するオーレリアを見て、アーヴァインは満足そうだった。
――いつからこんなに勝てなくなったのだろうか。
今後、ずっとそうかもしれない。それでも、これはこれで幸せだと思う。
◆
船が港に着くと、オーレリアたちは馬車に乗った。
アーヴァインも屋敷までついてきた。婚約をしたいという話はまた日を改めてするのかと思えば、このまま話してしまうつもりだという。
先延ばしにしない辺りが本気だと示してくれている、アーヴァインなりの誠意かもしれない。
それにしても恥ずかしいので、どんな顔をしていようかとオーレリアは馬車の中でそんなことばかりを考えた。
馬車を降りる際もアーヴァインが手を貸してくれて降りた。オーレリアが平気で降りられるのはお互いにわかっているが、これも慣れれば楽しい。
帰宅すると玄関先のホールに家族と使用人たちがいて、一斉にオーレリアを迎え入れてくれた。
妙な気分だった。ここもまた、すでに我が家だ。
「おかえり、オーレリア」
父と母がいて、兄が手を広げて待っている。
いつかは返せなかった言葉が今なら自然と出てくるのだ。
「ただいま!」
兄に向けて、少々手加減しながら飛びついた。兄はオーレリアを受け止めると、後ろにいたアーヴァインに微笑む。
「アーヴァインもおかえり。お疲れ」
アーヴァインは苦笑してうなずいた。
そこに父と母も加わる。
「アドラム氏はお変わりなかったかい?」
そのひと言で、父も、母も兄も、皆が真相を知っていたのだと気づく。
「私たちがオーレリアと暮らしたいばかりに、アドラムさんには申し訳ないことをしてしまっているから、たまには顔を見せた方がいいと思うのよ。でも、やっぱりあちらの方がいいって帰ってこなかったらどうしようって、また不安になってしまって……」
母が涙ぐむ。それを兄は笑い飛ばした。
「いや、オーレリアは必ず帰ってくるっていったじゃないか。な、アーヴァイン?」
そこで話を振られたアーヴァインは、軽く息を整えると、両親に向かって切り出した。
「お嬢さんと婚約させて頂きたいと思っています。こちらもまだ迎え入れる支度が整っているわけではないので、結婚は急ぎません。しばらくはこのままで、婚約だけさせて頂ければと」
オーレリアは兄から離れ、アーヴァインの隣に立つ。
すると、父がなんとも言えず不安な顔をした。
「それは、その、お互いに破棄前提の、期間限定と割りきっての話かい?」
「ああ、もう、その話は忘れておくれよ! そういうんじゃなくて、本気で。ちゃんとした約束だ」
オーレリアがあたふたと言うと、両親は顔を見合わせた。
「オーレリアはいずれアーヴァインくんと家庭を築きたいと、そう望んでいるんだね?」
「か、かて……」
また答えにくい訊ね方をするものだ。
やっとのことで想いを自覚して前進したばかりのオーレリアに、家庭とか気が遠くなるようなことを言わないでほしい。
とはいえ、ここで黙ったり否定したりするわけには行かない。腹に力を込めてなんとか気持ちを落ち着ける。
「う、うん。だって、一番強いし、頼りになるし、だから、その……」
「そうか。そんなにアーヴァインくんのことが好きなのか」
父がしみじみと言うから、オーレリアは焦った。本人がそこにいるのに、さっきからどうしてそういう言い方をするのかと。
「え、や、そ……」
「愛する人と一緒になることが女性の一番の喜びですもの。私はオーレリアがそこまで決心したのなら反対致しませんわ」
「あ、あい、というか、その……」
うちの家族はどうしてこう、恥ずかしいことを平然と言えるのだろう。同じ血が流れているにしては理解できないところである。やはり、環境の差は大きい。
オーレリアが嫌な汗を掻いていると、兄がトドメをくれた。
「アーヴァインのことを考えて物思いにふけっているオーレリアを見ているのは忍びなかったからさ、元気になってくれてよかったよ。まあ、あれはあれで可愛かったんだけど。アーヴァインにも見せてあげたかったな」
思わず手が出た。駆け寄って、兄の背中をバシンと叩く。痛かっただろう。痛いようにして叩いた。
「何言ってるんだよ、兄さんは!! っていうか、皆――」
恥ずかしすぎて涙が浮かんだ。しかしこの時、アーヴァインは笑いを噛み殺していた。そんなに笑わなくてもいいだろうに。
「ああ、もう! 疲れた! 寝る!!」
恥ずかしさのあまり部屋に逃げ帰ったオーレリアは、樽に抱きついて火照りを冷ますのだった。
来た時は家族を振り回していたはずのオーレリアですが、今は振り回されてますねヽ(^。^)ノ




