〈33〉あとで
皆の視線が背中に刺さるが、オーレリアはそれを振りきってアーヴァインと倉庫の外へ出た。
何を食べさせたらいいのだろう。改めて考えてみると、オーレリアはアーヴァインの好みを何も知らなかったのだ。
何が好物なのか、どんな色が好きか、趣味はなんなのか。
苦手なものはあるのか、アーヴァインのような人が受けつけないほど駄目なものはなんだろう。
それから、好みの女性は。
絶対に無理だという女性のタイプは。
――色々と考えたら急に疲れた。こんなので好きだと思っている自分は厚かましいのかもしれない。
さっきまでの勢いがどこかに消えた。
「……この辺にさ、あんたの口に合うような店はないかもしれないけど、少しくらい我慢しておくれよ」
ボソ、とつぶやくと、隣を歩くアーヴァインも淡々と返してきた。
「そんなに口が肥えているつもりはないから心配するな。お前が食べたいものでいい」
「あたしの?」
「俺に好き嫌いはない。食べ物とも思えないような臭いのする珍味とか、そんなのじゃなければ食べる」
好き嫌いはないらしい。そこで少しほっとした。
「あたし、パプリカが苦手なんだ。ピーマンみたいな顔して甘いのが。食べれなくはないけどさ、好きになれなくて。あと、食後のチョコレートケーキもあんまり好きじゃない」
そんな話をすると、アーヴァインは何故か少し笑った。
「そんなものが苦手なのか? 意外だな」
「そうかな?」
こんな他愛のない会話が嬉しかった。だからか、少しだけ素直に言えた。
「あのさ、ごめんな。あいつらの悪乗りにつき合わせて。すぐふざけるんだから困ったもんだよ」
すると、アーヴァインは立ち並ぶ店の看板を眺めながら言った。
「いや、ある程度はああいう展開も予測していた」
「へ?」
「ユリシーズから軽く話を聞いていたから」
兄はここへ来たことはないが、オーレリアやコリンから聞いた話をアーヴァインにもしたのだろう。喧嘩っ早い連中がいると。
「そうなのか……。やっぱり兄さんが来た方がよかったのかもな。あたしと似た顔の兄さんに殴りかかったりはしなかっただろうし」
「まあ、あいつみたいに穏やかだと喧嘩にはならないだろうな。そもそもが兄だから殴る必要もないし」
あんただって殴られる筋合いはないだろう、と言いそうになって言わなかった。なんとなく、言いたくないと思ってしまった。
アーヴァインがもし、あの喧嘩が筋違いではないと考えてくれているのだとしたら、どんな顔をしていいのかわからない。
「えっと、こっちの店のシチューはあたしが小さい頃から食べていた味なんだ。あっちの店のホットドックは親父の好物で、三日に一回は食べてる」
ごまかすようにして言うと、アーヴァインは、じゃあと言って定食屋の方を指さした。
「シチューにするか?」
「うん」
久々だから、そろそろ食べたかった。
コーベット家の食事は、食材も料理人も一級品だけれど、立派過ぎる。時々はこういう力の抜けたものが食べたくなる。クズ野菜を美味しく仕上げた女将自慢の一品だ。
しかし、オーレリアとアーヴァインは店の中で明らかに浮いていた。下町の定食屋に身なりのいい客などいないのだ。明らかに異物としてジロジロと見られたが、女将はオーレリアに気づいてくれた。
「あれ? あんた、オーレリアかい?」
「そうだよ、おばさん」
恰幅がよくて、口が大きくて、声も大きい、懐かしい顔だ。オーレリアがほっとして答えると、女将はオーレリアを上から下まで眺めた。
「事情は聞いたけどさ、本当なんだねぇ」
実は金持ちの家の子で引き取られていったという話だろう。
「まあね。ちょっと親父の顔を見に来たらおばさんのシチューが食べたくなったんだ」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるねぇ。美味しいものをたくさん食べてるんじゃないのかい」
「おばさんのシチューが好きなんだ」
そんなやり取りをしていると、女将の目がアーヴァインに向かう。その目がなんとも言えず笑っている。
「さっそくイイ男を捕まえたんだねぇ。うん、あんたにはこれくらいじゃないと」
「……おばさん、シチュー二人分! 腹ペコだから急いで!」
オーレリアはさっさとアーヴァインの腕を引っ張り、勝手に席に座った。女将がニヤニヤしている。頬杖を突き、そちらを見ないようにした。
そうしたら、アーヴァインがいきなり切り出した。
「あのな、この間の社交パーティーのことだが――」
オーレリアが飛び上りそうなほどに動揺したのを、アーヴァインは気づいただろうか。
「そ、それは、あれだ。食べてからにしよう」
今、そんな話をしたら何も喉を通らなくなってしまう。間違っても、案外楽しかったなどとは言ってくれるな。
アーヴァインは納得してくれたのか、うなずいた。
「そうだな。そうしよう」
首の皮が繋がった思いだった。
しかし、女将の特性シチューの懐かしい味に舌鼓を打つどころか、その話が気になって仕方がない。
思えば、こうしてアーヴァインと差し向かいで食事をしたのも初めての経験だった。軍人の前に貴族なのだ。あのうるさい祖父の手前、テーブルマナーはしっかりと躾けられていたと見える。こんな砕けた店でさえも綺麗に食べていた。
だから、オーレリアも丁寧に食べるのは苦手なのに、精一杯背伸びをしていた。そのせいで食べるのが遅かったけれど、アーヴァインはそれを静かに待っていた。
食べ終わったら、あの話をしなくてはならないのだが。




