〈3〉お供します
階段を降りきったところでコリンに会った。
「姉御!」
コリン・セヴァリー。十五歳の人足見習いだ。
とはいっても、なんせ細い。女の子とそんなに変わりない体格で、背もオーレリアより低い。顔も童顔、鼻筋にはうっすらとそばかすがある。赤毛に青い目をしたオーレリアの弟分だ。
器用なコリンは、大雑把な父娘のために家事をこなしてくれる家政夫と言ってもいい存在だった。
そのコリンはというと、背に大きな荷物を背負っている。非力なコリンがひっくり返らないか心配になるようなリュックの膨らみである。
「コリン……。どこへ行くんだい?」
「もちろん、姉御のお供です!」
意気揚々と答えるコリンだが、オーレリアはため息しか出ない。
「なんて?」
「ですから、僕も姉御と一緒に行きます。頭に頼ま――ゴホン、ゴホン、いや、なんでもありません」
コリンまで手元から放してしまったら、それこそ父は三度の食事もきちんと取らないのではないのか。ここで首を縦に振るわけにはいかなかった。
「いいよ。あんたは親父についてな」
いつもはオーレリアの言うことに一切逆らわないコリンが、この時ばかりは強い目をしていた。
「いいえ、なんて言われようとも僕は姉御のそばを離れませんから。頭のことなら皆がついてます。でも、姉御はこれから知らない土地に行くんでしょう? 一人になんてできませんよ」
「あんたがいたってたいして変わらないよ」
ズケッと言い放ったら、コリンは目に涙を浮かべてしまった。一番末っ子というか、年若いから、皆がつい甘くなりがちだった。オーレリアも他に比べるとコリンにはそこまできついことを言ってこなかったかもしれない。
「そ、それでも、僕、このまま姉御とお別れなんて……」
グス、グス。
泣かせてしまった。こうなると、オーレリアも弱い。妙な罪悪感を覚えるのだ。
「わかったよ、好きにしな。その代わり、気が済んだら帰りなよ?」
ため息交じりに言うと、コリンは涙を拭いてパッと顔を輝かせた。こういうところが、どっちが女だかわからないと思う。
「はい! 僕、頑張ります!」
――結局、コリンを伴って倉庫に戻ると、オーレリアの実の親だという夫婦が錆びついた倉庫の扉の前で所在なげに立っていた。
「あっ! ユーフェミア!」
二人が嬉しそうに笑いかけてくる。これが両親。
よく、わからない。それが率直な感想だった。
特に母親だ。オーレリアにはずっと母親がいなかったから、接し方がわからない。
しかし、母親は上質な手触りの手袋をした手でオーレリアの手を取ると、涙を浮かべて言った。
「ユーフェミア、これからは私たちと暮らしましょう。もう、あなたにつらい思いはさせたくないの」
つらい思いなんて、したかどうかもわからない。
もし、オーレリアが一般的に『つらい』と言われる状況にいるとするのなら、オーレリアはかなり鈍感だ。毎日、普通に楽しかった。
この二人はずっとオーレリアのことを捜していて、やっとの思いで会いに来てくれたのだ。それなら、あまり邪険にしてはいけないのかもしれない。
母親の柔らかな手を、オーレリアは振り払えなかった。
「あのさ、あたしはずっと『オーレリア』って名前だったんだ。赤ん坊の時は『ユーフェミア』だったとしても、今さら名前は変えられないよ。あたしのことはオーレリアって呼んでくれないかな?」
やんわりと言った。すると、二人はハッとした面持ちになったが、駄目だとは言わなかった。
「ああ、そうだね。わかったよ、オーレリア。これでいいかい?」
金持ちのわりには偉ぶっていないし、柔軟だ。多分、いい人なんだと思う。
これが本当の父親。親父とは随分違う。正反対だ。
「ありがと。……でも、今さら一緒に暮らしても無理なことってあると思うよ。だからもし、駄目だと思ったらそこは諦めて別々に暮らした方がいいんじゃない? たまには顔は見せるけどさ。ほら、あたし、あんまりお上品に育ってないし」
気後れしたわけでもなんでもなく、この両親に恥をかかせるのはわかりきっているので一応断っておいただけだ。それなのに、母親は悲しそうにオーレリアの手をさらに強く握り締めた。
「いいえ! やっと会えた娘ですもの。立派な貴婦人にしてみせますとも」
「い、いや……」
そういうのがまず違う。オーレリアはそれこそ、立派な貴婦人とやらになりたくて生きてきたわけではない。そこをわかってほしい。
しかし、線の細い母親に涙を浮かべられると突っぱねられないオーレリアだった。母親は、オーレリアを抱き締め、ハラハラと涙を零す。
「ああ、この日をどれだけ夢見たことかしら。やっと、神様が私たちの願いをお聞き届けくださったのよ」
困った。
こっちからしたら大げさだなと言いたいけれど、捜していた側からしたら大変な苦労があったのだろう。
そばでグスングスンと一緒になって泣いているコリンに父親が目を留める。
「えぇと、彼は?」
「コリンだ。弟みたいなもんだから、一緒に連れていくけど」
「コリン・セヴァリーです! 僕、一生懸命働きます!」
亀の甲羅のように大きなリュックを背負うコリンを二人は目を瞬かせながら見ていたが、すぐにコクリとうなずく。
「そうか、オーレリアが世話になったね。こちらこそよろしく頼むよ」
「はい!」
こんな子供一人で娘の気がまぎれるのならまあいいかと、すぐに割りきったようだった。
身元が判明してから一時間。
たったそれだけでオーレリアの人生は激変してしまったのである。
オーレリアは、初めて地元を離れることになるのだが――。