〈27〉知らんぷり
二人きりの部屋の中、アーヴァインはオーレリアが薬を飲み込みやすいように喉を摩った。
オーレリアに痺れが残っているから、なかなか手間取っているようだ。結構長いこと口をつけたままでいた。吐き出されたら薬がもうないから。
オーレリアがやっと薬を飲み込むと、アーヴァインはオーレリアの頭を膝に下した。腹立ちまぎれに床に放り出されても仕方がないところなのに。
やっぱり、アーヴァインは何も言わない。無言でじっとしている。もしかすると、まだオーレリアの意識がないと思っているのだろうか。
そうかもしれない。もし意識があったら、こういう飲ませ方はしない気がする。そもそも、その場合は自分で何とか飲めという話になるだろうけれど。
覚えていないから。
こうしないとちゃんと飲めないから。
――まあ、そうなのだが。
もう考えたくない。寝よう。
オーレリアは現実逃避してアーヴァインの膝の上で眠った。だるいのは薬が残っていたせいかもしれない。
それからしばらく。
アーヴァインの方はというと、いつまでもオーレリアが目を覚まさないので不安になったようだ。頬をサワサワと撫でられて、オーレリアは目を覚ました。
そうしたら、アーヴァインは心底ほっとした様子だった。
「体の具合はどうだ?」
妙に優しい声で訊いてくる。
少し頭が痛いような気がしたものの、たいしたことはない。もう起き上がれる。解毒薬は本物だ。
「ん、平気……」
平気だからこそ、穴があったら入りたい。
今回の迷惑は、今までで最大級だ。まずどうやって謝ったらいいのか、わからない。
オーレリアが上体を起こしてうつむいていると、アーヴァインの手がオーレリアの頭に載った。
「起きられるのなら帰るぞ」
帰るけれど。
前にゴロツキと揉めた時にはクドクドと小言を言われた。今回もオーレリアの不注意でしかないのに、アーヴァインは今回に限っては何も言わない。叱らない。
どうして――。
妙に優しい。
これは、あれだ。オーレリアが弱っているからだ。
親父もそうだった。いつもはすぐに怒鳴るくせに、オーレリアが本気で落ち込んだ時には何も言わない。少し離れたところから見守っていた。あの眼差しに近いものがある。
けれど、その優しさがかえって申し訳なくなる。
アーヴァインは、オーレリアの手を引いて立たせてくれた後も体を支えたまま歩いた。
このティーハウス自体はハリエットに無理を言われて場を貸しただけで、立場上逆らえなかっただけのような気がする。オーレリアたちが出て行く時、誰も顔を出さなかった。
アーヴァインは馬車を拾い、オーレリアを乗せてくれる。自分も隣に座った。
ハリエットのことをあまりに何も訊いてこないから、オーレリアの方から口を開いた。
「なんで何も訊かないんだ?」
そちらを向かない。向けない。
「訊かなくても予想はつく。誘い出されても、相手が女だから油断したんだろ?」
まさにその通りである。ぐうの音も出ない。
図星を刺されて動揺に震えるオーレリアに、アーヴァインは落ち着いた声音で言った。
「あの女、妙にお前に敵愾心を燃やしてたが、まあ理由なんてお前が知るはずないな」
顔が嫌いだそうです。
いや、顔だけではなく、いろんなところが嫌いだから顔も嫌いというところだろう。
「それで――」
そこで言葉を切り、アーヴァインはオーレリアのことをじっと見たが、オーレリアはなんとなく目を逸らした。気まずいのはオーレリアだけなのかもしれない。
「それで、お前は俺があの女に出された条件をどこまで把握している?」
「ど、どこまでって、次の社交パーティーにはグレンダのエスコートをするっていう……」
「知っているなら話は早いな。次は理由を作って休め」
「……その次は?」
「出てこい」
そこで、アーヴァインは不敵にニッと笑ってみせた。
「このまま泣き寝入りは性に合わないんじゃないのか?」
もちろんだ。
けれど、この時、オーレリアはとても弱気になっていた。それは、今までの人生で一番。
だからだろうか。アーヴァインが笑いかけただけで心臓がギリギリと痛んだ。
――痛い。なんだろう、これは。
オーレリアが不可解な痛みに顔をしかめたせいか、アーヴァインがオーレリアの顔を覗き込んできた。
「どうした?」
「いや、別に……」
別に、なんでもないから気にしないでほしい。
ただ、心臓が妙にうるさくって、手が震えるだけだ。
さっきの薬のせいかもしれない。なんて厄介な。
薬、と思い出して、オーレリアの視線が一度アーヴァインの唇の辺りをさまよう。
――あれは、現実だったのだろうか。
寝ぼけただけだったかもしれない。そうかもしれない。そういうことにしておきたい。
間違っても、あの時に意識があって覚えているなんて、アーヴァインに知られてはいけない。
心音が、本気でおかしい。
このまま死ぬんじゃないだろうかと思うほどおかしかった。
けれど、死ななかった。生きているうちに馬車が屋敷に着いて、アーヴァインは遅くなった理由を兄に包み隠さず話していた。その間、オーレリアは一切口を挟まなかった。
ただ黙って聞いていて、なんとなく揺れるアーヴァインの手を眺めていた。




