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令嬢は樽と共に  作者: 五十鈴 りく
本編

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26/84

〈26〉用意周到

 紅茶に何か薬が入れられていたらしい。

 それに気づかれないようにわざと香水の匂いでごまかしたのだ。なかなかに用意周到である。

 あっさりと引っかかった手前、向こうが上手(うわて)だったということにしておきたい。


 何を盛られたのかはわからないが、指先まで痺れている。意識はあるが、ろくに動けない。頑張れば、陸に打ち上げられた魚程度にはピクピクできるくらいか。


「聞こえているでしょう? でも、返事はできないのではなくて?」


 その通りだ。よくわかっている。この薬の効果は実験済みなのか。

 それにしても、相手を見くびってしまった。これが男だったら油断なんてしなかったのに、相手が育ちのいい令嬢だからと甘く見た。

 令嬢がこんなゴロツキみたいな手を使ってくるとは世も末だ。


 しかし、ハリエットがこういうことをする理由がよくわからない。

 あれか。またアーヴァイン絡みか。

 知らないところで買う恨みまで計算できるはずがない。


 ハリエットがオーレリアのすぐ横にいて顔を覗き込んでいるのがわかる。


「どうして私がこんなことをするのかと思っているのでしょう? 当然ですわよね」


 フフ、と笑う声はいつもと違う。どうもハリエットは大層な猫かぶりのようだ。それもかなり上等の被り物である。


「そうですわね、理由のひとつとして挙げるなら、あなたの顔が気に入らなくって」


 顔。それは不可抗力と言わせてほしい。


「それから――」


 勿体つけた口ぶりでゆっくりと言うハリエットは、尻尾を押えているネズミをいたぶる猫みたいなものだ。楽しいのだろう。


「ずっと憧れていた殿方を横取りされたグレンダ嬢が気の毒でしょう? 少しお手伝いをしてあげたくなったの。ほんの気まぐれですわ」


 横取りって、何も取っていない。勝手に話を作らないでほしい。

 大体、嫌な気まぐれだ。グレンダとは仲が悪かったのではないのか。

 普段は別々に行動しているくせに、たまに手を組むとか、厄介すぎる。


 それから、ハリエットはカチャカチャと机の上のティーセットから何かを探っていた。ナイフか、フォークか――できればスプーンであってほしいけれど、先が尖ったものを手に持った気がした。


「今に()()()が来ますわよ。いい子にしていらして?」


 どうせ動けないし。

 というか、迎えとは誰だろう。ハリエットと出かけたのを知っているのは、母やコリン、屋敷にいた人だ。父と兄は仕事で出かけていなかった。


 その迎えとやらは、どれくらいかして来た。時間の感覚がまったくわからない。遅かったのか早かったのか、どちらだろう。


 荒々しい足音が床から伝わる。それで誰が来たのかわかってしまったオーレリアは犬になれそうだ。

 自分で扉を開けたのではなく、どうやらハリエットの息のかかった手下が扉を開けたようだ。その相手を中へ入れる。


「お早いお越しですわね。アーヴァイン様」


 弾むような声でハリエットが言った。それに対し、アーヴァインは聞いたこともないほど低い声を出す。


「あんな手紙を寄越しておいてよく言う」


 ハリエットは手紙が好きだな。思えば、あの手紙から始まったのだった。

 クスクス、と耳障りな笑い声がする。


「オーレリア嬢と二番街のティーハウスでお茶を飲んでいます。ところが、少し痺れ薬が混ざっていて、オーレリア嬢が身動き取れなくなってしまいました。うっかり手が滑ってお顔に傷でもつけてしまわないうちにお迎えに来てくださいませと。――ね? お手紙の通りでしょう?」


 倒れているオーレリアの上にハリエットが銀色の光を構えているのが朧げにわかった。落とすだけで刺さる。さすがに避けられる気がしない。困った。


「……それで、俺を呼びつけたからには何か用があるんだろう?」


 相当怒っている。それはそうだろうけれど。


「お話が早くて助かりますわ。ええと、次の社交パーティーですが、オーレリア嬢のエスコートをされませんように」

「それだけか?」

「いいえ。オーレリア嬢ではなく、グレンダ嬢のエスコートをして頂きたいのです。もちろん、ダンスも踊って、仲睦まじく過ごしてくださいませ」


 ハリエットとではなく、グレンダと。

 一体、ハリエットは何をしたいのだろう。アーヴァインに対する態度もどこか冷めていて、好きというのとは違う。本当に、日々の鬱憤が溜まっていて憂さ晴らしをされている気がしてきた。


「なんでそんなことをお前が言う? グレンダにそこまでの義理があるのか?」

「吹けば飛ぶくらいの義理しかございませんわ」

「だったら――」


 言いかけたアーヴァインの言葉をハリエットが遮る。


「私、オーレリア嬢のような方が順調に幸せになるのが我慢なりませんの。あなたがオーレリア嬢ではなくグレンダ嬢をエスコートして現れたら、皆さんオーレリア嬢は捨てられたとお思いになりますわ。それで今後も堂々と社交場に顔を出せるとしたら、出したらよろしくてよ。いい笑い者になりますから、私はそれを眺めて楽しませて頂きますわ」


 『捨てられた』の前に、別に何の関係もないのだ。婚約してもよかったのに、前に断られているし。

 大体、笑い者になっても特に困らない。求婚者が減るくらいの影響ならむしろ願ったり叶ったりで。

 その点、オーレリアは逞しいのだ。


 アーヴァインも気にしなくていい。こんなのは脅しで、本気でやるだけの度胸があるかどうかもわからない。少々顔に傷がついたからといっても、脅しに屈するのは傷がつくよりも嫌なことだ。


 突っぱねていい。

 オーレリアはそう思うけれど、アーヴァインにはできないのだろうか。


「断ったらその手が滑るわけか?」


 断ればいい。少しも恨まない。

 むしろ、アーヴァインが飼い馴らされる方が我慢ならない。


「ええ、そういうことですわ。ちなみに、私、普段からお行儀よく過ごしていますから、あなたたちが私についてどう仰っても、誰も信じませんわ。大体、もみ消せるくらいの伝手(つて)はございますし」


 犯罪をもみ消せる伝手ってなんだろう。駄目だろう、それは。

 貴族社会、少し考え直した方がいいと思う。


「今だけ口約束をして、当日にすっぽかしてもいけませんわ。またあの手この手でオーレリア嬢に危害を加えてしまいたくなりますもの」

「お前……」

「お返事は?」


 こんなことばっかりしていると、そのうちに足元をすくわれる。賢いつもりならそこを考えたらいいのに。

 それでも、ここは完敗だ。手も足も出ない。声も出せない。

 自分で自分が情けなくて、アーヴァインに申し訳なくて仕方がなかった。


「わかった。ただし、一度だけだ」

「あら、どうしてそんなに偉そうに仰るのかしら? お立場を弁えて頂かないと」


 本当にいい性格をしている。陰湿とはこういうのを言うのだろう。

 せっかく綺麗な顔をして綺麗なドレスを着ているのに、自分で全部台無しにしている。残念な令嬢だ。


「まあ、ここは寛大に許して差し上げますわ。では、あなたからグレンダ嬢をお誘いくださいね。きっととても喜んでくださいますわよ」


 多分、すごい形相でアーヴァインはハリエットのことを睨んだのだろう。あら怖い、なんて言っている。どこまで本気か知らないけれど。


 ハリエットは机の上に何かを置いた。手に持っていたフォークかナイフか何かだ。

 ここでハリエットのことを押さえつければ丸く収まるのかと言うと、彼女のことなら何か手を打ってあって、アーヴァインがハリエットを押さえた瞬間に罠にはめられそうだ。


 アーヴァインもそこのところがわかっているのだろう。下手には動かない。

 ハリエットはそれに満足したのか、さらに机の上に何かを置いた。


「ここに解毒薬を置いていきますわね。もちろん、飲まなくても一日もすれば痺れは取れますけれど。大丈夫、薬は本物ですのよ。間違っても殺す気はありませんもの。では、ごきげんよう」


 そう言い残してハリエットは去った。

 薬があるのなら飲ませてほしい。言いたいことが山ほどある。


 アーヴァインは、まず倒れているオーレリアを抱き起した。


「おい」


 頬を何度か軽く叩かれたけれど、感覚が麻痺している。ごめん、と声が出ない。

 アーヴァインがため息をついたのがわかった。そこからはもう、声もかけてもらえなかった。オーレリアが返事もできないでいるから、意識がないと思ったのかもしれない。


 目はうっすら開いているけれど、虚ろで見えていないと判断されたようだ。ぼんやりとは見えるのに。


 オーレリアはアーヴァインの膝に下された。

 アーヴァインはその体勢で解毒薬の瓶の蓋を開ける。解毒薬を自分の手の甲に少しだけ落とし、匂いを嗅いだ後に舐めて毒ではないか確かめている。


 毒だったらアーヴァインの方がやられてしまうじゃないかと、オーレリアは不安になったが、解毒薬だというのは本当なのだろう。少なくとも、アーヴァインは信じたようだ。


 飲ませようとして、オーレリアのうなじの辺りに手を添えた。唇を結んだままだったオーレリアの口を開かせて、そこに薬を流し込む――と思ったら、アーヴァインは薬を自分で煽った。


 なんであんたが飲むんだ、と突っ込みたくても突っ込めないオーレリアだったが、アーヴァインは薬を飲んだわけではなかった。口に含んだのだ。それがわかったのは、アーヴァインが口に含んだ薬がオーレリアの口に移されたからである。


 痺れているから、何もかもがぼんやりしている。硬いような柔らかいような、押しつけられた唇。こちらの閉ざした唇を開かせる舌が薬の苦さと一緒に入り込む。ぼやけて見えづらかった視界は完全に塞がれていた。


 ――これは、誰だ。


 オーレリアは今、自分を抱き寄せて薬を飲ませている男がアーヴァインではないような気がした。オーレリアの知るアーヴァインは、こういうことをしない男だと思えたからだ。


 それとも、これは人助けのうちに入るのだろうか。

 だとするのなら、あり得るかもしれない。その場合、誰が相手であろうと同じようにして薬を飲ませるのだ。それこそ、グレンダ辺りだとしても、命に関わればやるのだろう。


 人助け。

 そう、人助け。

 これは、決して、したくてしていることではない。


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