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令嬢は樽と共に  作者: 五十鈴 りく
本編

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25/84

〈25〉くさい

「うわぁ、姉御、なんですかその匂い!」


 家に帰ってさっそく香水をつけてみた時のコリンの感想がこれである。

 コリンは鼻がいい。ちょっと涙目になっていた。そんなに臭いか。


「いや、香水をもらってさ。つけてみたんだけど……」

「なんて言ったらいいんでしょうね。キツイ匂いですけど」

「つけ方がわかんなくて。量が多かったのかもな」

「姉御にはそんなの必要ないですよ。いつもの方がよっぽどいい匂いしてます」


 なんの匂いだろう。ワインか。


「う~ん、落としてくるよ。もらった手前悪いけど、あたしもあんまり好きじゃないし」


 不評だったので、オーレリアは丹念に手洗いし、手首につけた香水を落とした。それでもほんのりと残り香がある。



 そんなことがあった翌日も、ハリエットはやってきた。


「近くのティーハウスでお茶でもしませんこと? ハチミツとスコーンによく合う紅茶を出してくれますの。とっても美味しいので、ぜひ一度味わって頂きたくて」


 香水よりはハチミツとスコーンの方がいい。


「少しなら」


 またそれかと思われそうだが、ハリエットはそれを顔には出さなかった。


「ええ、お忙しいのに私のわがままにつき合ってくださってありがとうございます。本当に優しくしてくださって、嬉しく思っておりますのよ?」


 ニコニコとそんなことを言う。

 実はそんなに多忙ではない。なんとなく、悪かったなと思ってしまうオーレリアだった。


 思えば、啖呵を切っているところに惚れ惚れしたというのだから、少々のボロは出しても大目に見てくれたりするのだろうか。

 そうだといいのだけれど。


 もらった香水をつけていないが、突っ込まれた時に出せるように持っていくことにした。小さなポシェットを手に、オーレリアはハリエットと出かけた。



 ティーハウスとやらは、オーレリアが興味を持って見ていなかったせいでどこにあるのかよくわからなかった。馬車に乗っていたのは少しの時間だから、それほど遠くまで来たわけではないようだが。


「今日は貸し切りにしてもらったから、気兼ねは要りませんわ」


 この短時間のために貸し切るこの無駄。お嬢様の考えることはやっぱりわからないとオーレリアはしみじみ思った。


 ティーハウスは想像していたよりもこぢんまりとしていて、確かにたくさん客が入っていると気忙しいかもしれない。ピンクの壁紙、フリルのカーテン、白いテーブルセット。女性向きの店だ。


 女の子たちはこうしたところでお喋りに花を咲かせるものなのだろうか。

 席に着くと、向かい合ったハリエットが小首を傾げた。


「あの香水はお気に召しませんでした?」


 さっそく来た。

 オーレリアは昨日もらった小瓶をポシェットから出し、机の上にコツンと載せた。


「あまりつけ慣れていなくて、加減がわからないのです」


 正直に言うと、ハリエットはほっとした様子だった。


「まあ、そうでしたの? こう、手首に少しでよいのですわ。手をお出しになって?」


 えー、と内心では嫌がりつつも、オーレリアは手を差し出す。

 ここ数日、何やらこの令嬢に振り回されている気がしないでもない。何をやっているのやらな、と自分でも思うところだ。

 ハリエットの細い指がオーレリアの、令嬢にしては硬い手に触れた。


「……オーレリア嬢は最近まで、ご自分がコーベット家のご令嬢であることをご存じなかったのでしょう? 毎日働いていらしたのですね」


 労働に明け暮れた手。ついでに言うと、喧嘩もして硬い拳なのだが。

 そんな、労わるように手を包み込まれても、つらかったのではない。楽しかったと言っても皆が信じないだけだ。


「まあ、色々とありました」


 それ以上訊いてくれるなというふうに返しておく。

 育ちのいいお嬢様に逐一説明したら引くだろうから。説明が面倒くさいだけとも言う。


 ハリエットは、悪いことを思い出させたと恥じ入り、ややうつむいてオーレリアの手首に香水をつけたのだが――。


「あら……。ごめんなさい。手が震えてしまってかかりすぎてしまいましたわ」


 そんなに緊張することだっただろうか。

 またコリンに臭いとか言われてしまう。オーレリアは、ハハ、と乾いた笑いを零した。


「ああ、お茶が来ましたわ。頂きましょう」


 上品な大きさのスコーンに、黄金色のハチミツとクリームチーズが添えられていた。本当だ、美味しそうだ。

 ただ――。


 せっかくの紅茶もスコーンも台無しにする香水の匂いである。


「とっても美味しいですわ」


 ハリエットは紅茶を口に含み、微笑んでいる。

 オーレリアは手首に香水がたっぷり染み込んでいて、ティーカップを持つと余計に香水の匂いを強く感じた。紅茶の匂いなんて何もしない。匂いが味を左右するから、その紅茶を飲んでみてもちっとも美味しくなかった。口の中に嫌な味が広がるだけである。


 不味い。

 不味いなぁ――と思いながらチビチビと飲んだ。


 カップの半分くらい飲んだ頃になって、ああ、もう無理だと思う瞬間があった。

 とても、飲めない。


 カップを持つのもつらくて、鉛の球を持たされているような気がしてきた。無理だ。

 オーレリアの手からカップが落ちた。残っていた紅茶もろともカップはテーブルの縁に当たってから床に落ちた。カシャン、と音が鳴って、多分割れた。


 それでも、拾うどころか、そちらに首を向けることすらできない。

 オーレリアは、椅子ごとひっくり返った。痛いような気がしたけれど、痛くなかったのかもしれない。体の感覚が変だ。まったく力が入らない。


 なんだろう、これは。

 床に転がっていると、ハリエットの声がした。


「あなた、運が悪いとしか言い様がありませんわね。赤ちゃんの時には攫われて、こうしてやっと戻ってきたのにろくな目に遭わないのですもの」


 先ほどまでのキラキラとした輝きを持った声ではなく、もっと陰鬱な響きだった。


 ――どうやら、油断してしまったらしい。


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