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〈2〉頑固なふたり

「おい、このバカ親父(おやじ)っ!」


 オーレリアと父が暮らす家は下が事務処理用の仕事場、二階が居住スペースになっている。外の鉄階段をカンカンと音を立てて上りきった後、オーレリアはドアを吹き飛ばすほどの勢いで開け放った。

 父は机に新聞を広げ、火を入れていないパイプを咥えていた。


 ガドフリー・アドラム。

 四十八歳になるが、未だに筋肉は盛り上がり、着ているシャツがはち切れそうだ。頬には船乗りの頃についたという傷が走っていて強面である。短く刈り込んだ髪も針金さながらに硬い。


「いきなりバカとはなんだ、このバカ娘がっ!」


 この口の悪さはしっかり受け継いでいる。そんな程度では今さら怯まない。それこそ、ヨチヨチ歩きの頃から罵倒されて育ったのだから。


「倉庫に変なオッサンとオバチャンが来た。親父と話したって言ってたけど、アレ、なんなのさ?」


 すると、父は咥えていたパイプを一度、ガチッと音を鳴らして噛み締め、犬歯を見せた。


「何って、聞いたろ? てめぇの親だよ」

「はぁっ?」


 一気に身体中の力が抜ける。まさか、資金繰りが苦しくなってオーレリアを売り飛ばしたのだろうかと疑いたくなったほどだ。

 深々と嘆息し、オーレリアは髪をかき上げる。


「じゃあ、あたしの目の前にいるダメ親父はなんなのさ? 母さんに逃げられて男手ひとつであたしを育てた親父は、あたしのなんだっての?」


 すると、父はハッと鼻で笑った。


「俺は生まれてこの方、所帯なんざ持ったことがねぇよ。女も捨てたこたぁあっても、逃げられたためしはねぇ」

「そんなわけあるかっての。この大ぼら吹きが!」

「てめぇ、親に向かって――っ!」


 言いかけて、急にやめた。浮かせかけた腰も落ち着ける。

 それから、いつになく細い声でボソボソと言った。


「いや、親は親でも育ての親だ。本当の親は、さっきのアレだ。あの顔を見りゃわかんだろ」


 あの奥方は、オーレリアとよく似ていた。それは当人がどれだけ否定しても変わらないことだ。


「あの人たちにも言ったけどよ、てめぇは俺が拾ったってだけで、血の繋がりなんざねぇんだよ」


 似てないとは思っていた。喧嘩っ早い性格は似ているかもしれないが、外見に似たところはない。

 けれどそれは、オーレリアがどこをとっても母親似に生まれたからだと信じていた。この父に似なくてよかったな、くらいに軽く考えていた。


「そんなこと、今の今までひとっ言も言わなかったじゃないのさっ!」

「言う必要がなかったからだ。でも、本物の親がてめぇのことをずっと捜してたっていうじゃねぇか。ここが潮時ってこったろ」

「はあぁっ?」

「本物の親んところに帰れって言ってんだよ」


 それだけ言うと、父は新聞に視線を戻した。オーレリアは苛々(いらいら)してその新聞の上に激しく手を突いた。


「あたしはもう、はいそうですかって従うほど子供じゃないんだよ。一人でだって生きていける年なんだ。嫌だね。お断りだ」


 思いきり凄んでみるが、そんなものが通用する父ではない。底冷えする三白眼で見返してきた。


「子供じゃねぇってんならわかるだろうが。先方はコーベット商会の会長で爵位も持ってる。わかるか? 大金持ちだ。これはな、願ってもない幸運なんだよ。何がお断りだ、このバカが。どこにこんな幸運をみすみすドブに捨てるヤツがいやがる?」

「ここにいたっていいだろ。コーベット商会なんて知らないよ。あたしは、あたしがしたいようにする」


 父はいきなり、丸太のような腕でダンッと机を叩いた。腕っぷしが強いのは知っているが、本気で叩いたらしく、机が――割れた。逞しい人足でも、ここまで怒った父を目の当たりにしたら(すく)み上がる。


 それでも、オーレリアは引かなかった。

 父の本心はわかっている。だから、ここでうなずけない。


「うるせぇクソガキだな。さっさと出ていけ! もうここにてめぇの居場所なんざねぇんだよ!」

「親父はいつだって、恩知らずは人のクズだって言ってたじゃないさ。ここまで育ててもらって、それで? ここではいさよならってのが恩知らずじゃないっての?」

「うるせぇって言ってんだろ! 出てけっ!」


 ――こうなると駄目だ。話にならない。

 お互い短気で、何度も殴り合いの喧嘩に発展した。それとも、殴り合ってでも気持ちをぶつけた方がいいのだろうか。


 父は、口には出して言わないけれど、オーレリアのことを心配している。荒くれの男だらけのこの場所で、女らしさの欠片も持ち合わせずに育った娘が心配で気が気でないらしい。


 知っていたけれど、それはあんたの娘なんだから仕方ないじゃないかと思っていた。

 それが、拾った子だと。それなら、他所に預ければよかったと後悔もあっただろうか。


 こうやって乱暴に追い出して、喧嘩別れになってでもオーレリアがマシな暮らしを手に入れられるのならそれでもいいと考えているのが手に取るようにわかる。

 乱暴で短気で、けれど情に厚い。それを知っているから。


 わかっているのなら、素直に従うのが恩返しなのか。

 またいつか、ほとぼりが冷めた頃に会いに来て話をしたら、お互いに素直なことが言えるだろうか。


 多分、言えないなと思う。

 いつまで経っても二人は頑固で意地っ張りだから。

 それでも、心の奥ではちゃんとわかっている。繋がっている。


 オーレリアはクッとひとつ失笑した。


「わかったよ。じゃあね、バカ親父」


 バチンッと荒い音を立ててドアを閉めた。何ひとつ持ち出さず、カンカンと階段を降りる音を立てて出ていく。

 住み慣れた町は、それでもいつもと何も変わりない。


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