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〈17〉涙

 アーヴァインは、オーレリアを捕まえていた男を腕で絞め落とした。白目を剥いて倒れた男を放り、アーヴァインは怒鳴りつけたいのを一瞬我慢したような顔でしゃがみ込んだ。


「怪我はないか?」


 助けてもらった。そのアーヴァインを、オーレリアは次の瞬間に突き飛ばしていた。

 悪気があったわけではない。オーレリアは必死だっただけだ。


 倒れている子供が動かない。ぐったりとしたまま――。

 オーレリアはゾッとして、転がるように子供のもとへ急いだ。ドレスが汚れるけれど、そんなことはどうだっていい。


「おい、大丈夫かっ?」


 オーレリアは子供に被さって声をかける。子供に意識はなかった。鼻血を出し、口からも血を吐いて顔が血まみれだった。


 もう少しオーレリアが強ければ、助けてやれたのに。

 こんなに小さい体で怖かっただろう。痛かっただろう。そう考えたらひたすらに悲しくて、涙がボロボロと溢れ出た。


「ごめんな、助けてやれなくて……っ」


 何か周りが騒がしかったけれど、オーレリアの耳には入らなかった。子供の体を抱き寄せると、肩に手がかかる。


「下手に動かすな」

「えっ」


 アーヴァインの声に振り返ると、いつの間にか似たような軍服の青年たちが何人かいた。その軍人たちがゴロツキを捕まえて縄を打っている。


「昼食を取りに行くところだったんだが……。お前のところのコリンが血相を変えて走っていて、これは何かやったなと思って。来てみて正解だった」


 助けてくれたのに、アーヴァインは少しも悪くないのに、オーレリアは素直に礼が言えなかった。


「もう少し早く来てくれたら、この子も助かったのに。こんなに小さい子が死んじゃうなんてつらすぎる……っ」


 口に出したら余計に苦しくて、また涙がポタポタと落ちた。

 アーヴァインは子供の死に目にも落ち着いていた。それもそのはずで――。


「勝手に殺すな。生きてるぞ」

「へっ」


 そう言われてみると、いつまでもあたたかい。

 ほっとした半面、急に体から力が抜ける。そんなオーレリアを、いつの間にか近くにいたコリンが支えてくれた。


「姉御、こういう時は無茶するんですから。僕も生きた心地がしませんでしたよ」

「うん、ごめん」


 コリンには素直に謝れる。コリンは、顔をしかめたような複雑な笑みを見せた。


「姉御がこういうのを見過ごせない人だから、僕はここにいられるんです。僕だってこの子と一緒なんですから」

「ああ、そうだったな」


 コリンはスリなんて高度なことはできない、ただのかっぱらいだった。店先の食べ物を盗んで、走って、捕まって打ちのめされて。

 ズタズタのボロボロになってもまだ盗みを繰り返そうとするコリンを、オーレリアが庇って家に連れて帰った。


 コリンは盗まないと食べるものがなかった。だから盗みを繰り返していただけだ。食べさせてやれれば何も盗まずにいられる。それだけのことだったのに。


 それから、アーヴァインの部下の中に医術を齧ったことがある人がいて、その人が男の子を診てくれた。


「血を吐いていますし、臓器が傷ついているようです。治療院に連れていった方がよろしいかと」

「わかった。じゃあこの子供を治療院へ運んでから戻る」

「中尉、そちらのご令嬢のこともお送りしてから戻られますか? まだ仲間が潜んでいないとも限りませんし」


 そこまで面倒をかけたくはない。

 兄が近くにいるはずだから、合流すればいいだけだ。この薄汚れたひどいナリの理由(わけ)を説明しなくてはいけなくなるけれど、仕方がない。


 ゴロツキたちが喚きながら連れていかれる。そんな中、オーレリアはアーヴァインに子供を託した。


 兄が心配しているだろうから、早く戻った方がいいのはわかるけれど、夢中で走っていたせいで来た道を覚えていないオーレリアだった。


「なあ、コリン。兄さんがいる雑貨屋ってどっちにあったっけ?」

「僕もこの辺りの土地勘がないのでわかりません!」


 張りきって答えられた。


「だよな」


 結局、オーレリアはアーヴァインに頼るしかないのだ。恐る恐るアーヴァインを見遣り、人生で多分一番媚びを含んだ声で言った。


「なあ、この子を治療院に連れていって、それから、安物のジョッキを売ってる、可愛い宝石箱が並んだ雑貨屋に連れていってくれないか?」


 自分で言ってから、なんだそれはと思った。当然、アーヴァインも目を細める。

 怒られるな、と思ったのに、怒られなかった。


「とにかく、まずは治療院だ」


 アーヴァインはそっと男の子を横抱きに抱えると歩き出した。


「あ、うん!」


 オーレリアはアーヴァインの後ろに続く。コリンはさらにその後ろに続く。歩いていくのだから、ここからそんなに遠くはないのだろう。


 それでも、ハラハラとしながらオーレリアが歩いていると、治療院は本当に近かった。裏路地を行った先に、外まで行列のできている治療院がある。医者の数が足りないのだろう。かなり待たされそうだ。


 けれど、アーヴァインは列を無視して遠慮なく中に入った。オーレリアとコリンも迷惑そうな顔をされつつも慌てて中へ入る。


「順番を守ってくださいっ」


 中にいた中年の女性に言われたけれど、ぐったりとした顔中血まみれの男の子を見て、急患だと判断してくれた。


「ああっ、こちらにどうぞ」


 部屋にいくつも並べられたベッドのひとつに案内され、若い医者が飛んできた。

 男の子は途中で意識を取り戻していたのに、寝たふりをしていたようだ。うっすらと目を開けて、また閉じた。


「うん、あばらが折れている。しばらくは安静にしていないとね。ちょっと入院しようか」


 寝たふりを決め込んだのは、多分、治療費が払えないからだ。少し良くなったら夜逃げするしかないと考えているのが手に取るようにわかる。


 医師は簡単な処置をすると、また慌ただしく他の患者のもとへと去った。看護師が男の子の血まみれの顔を拭いて綺麗にしてくれる。

 狸寝入りの男の子の横に立つアーヴァインに、オーレリアは言った。


「助かったよ、何から何まで悪いね。治療費はうちの父さんに頼んでみる」


 金はあるんだから、こんな時に使わないとと押せば出してくれるだろう。その分何かで返せというのなら、オーレリアが働いてもいい。そうなると、ジョッキなんて買ってもらっている場合ではない。

 そこでアーヴァインは、今まで見たどんな時よりも柔らかい表情をして溜息をついた。


「いや、ここは俺が持つから気にするな」

「え?」

「俺にだって少々の稼ぎはあるから、これくらいは払える」

「でも、あんたは関係ないじゃないか」


 オーレリアは多少なりとも関わったつもりでいたが、それはオーレリアの勝手な言い分だったのかもしれない。


「お前だって関係ないだろうが」

「いや、でもさ……」


 なんて言い合いをしていると、当の男の子がカッと目を開けてオーレリアを睨んだ。何故睨まれたんだろうと思ったが、これは野性の野良猫の怯え方と同じだ。


「あんた、金持ちのくせになんでおいらのこと助けるんだよ? こんな汚いガキを、なんで……っ」


 ボロを着て、いつ体を洗ったのかもわからない。けれど、そんな着替えたり洗ったりして綺麗になるものは汚いなんて言わない。

 オーレリアは、男の子が横になっているベッドにドス、と手を突くと、顔を低くして言った。


「あんたは汚くなんてないよ。汚いってぇのは、さっきのヤツらみたいに性根の腐ったヤツのことさ。汚い子供なんていないんだよ。だから、あんたはこれから、ああいう汚い大人にならないように生きていきな」

「な、なん……っ」


 凄んだつもりはないのだが、怖かったのかもしれない。男の子は目に涙を浮かべていた。


「あたしと、あんたのこと助けてくれたこっちの兄さんに誓いな。いいね、わかったね?」


 強引に結んだ。

 スリは、どんなに上手いヤツでも短命だ。三十歳以上のスリなんて見たことがない。大体が捕まって監獄行き。強制労働の末に体を損なって早死にする。

 そんな生き方をしてほしくない。今ならまだ変れる。


 人様の生き方に押しつけがましいことを言うべきではないとしても、それでも関わった以上は生きていてほしいと思うから。

 男の子はそっぽを向いた。その背中に、オーレリアは言う。


「困ったら、コーベット商会に行きなよ。『オーレリア』って名前を出せば多分わかってくれるからさ。じゃあね、しっかり治しなよ」


 男の子の頭をわしゃわしゃと撫で、オーレリアは治療院を出る。

 この時、アーヴァインは憎まれ口も叩かなかった。ただ静かにつぶやく。


「俺も様子を見に通う」

「うん、ありがと」


 この時、アーヴァインは優しかった。

 コリンは、空気になったみたいに何も言わなかった。


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