〈12〉エスコート
オーレリアの特訓は、実を結んだと言うにはかなりお粗末な結果であった。
ラングフォード夫人が音を上げた。けれど、投げ出さなかっただけすごいと言える。一応、期限一杯は見てくれたのだから。
「……口を開きませんように。私からできるアドバイスはそれだけです」
「ああ、なるほどな」
てん、と手を打ったら、夫人に睨まれた。
「ひどい人見知りだということに致しましょう。なるべく、ご家族の陰に隠れ、会釈をする程度になさいませ。それなら、相手が勝手に騙されてくれることでしょう」
投げやりに言われたが、それはなかなかの作戦だと思えた。
「先生、頭いい」
褒めたのに、キィッと猿のような声を上げられたのは何故だろう。
オーレリアはとにかく、窮屈な時間がやっと終わったのでご機嫌だった。夫人の手を握り締め、笑顔で挨拶する。
「先生、ありがとう。出来の悪い生徒でごめんな」
夫人は『まったくだ』と言いたげだが、気にしない。
どう考えても、皆が一様に『ごきげんよう』なんて挨拶を交わし、同じような受け答えをする。そんなの、気持ち悪い。腹に思っていることを溜め込んで笑っている。そういうのは性に合わないのだ。
◆
そうして、ついに社交界デビューの日がやってきた。
まず招待状が届き、返事をして初めてそこに出席するものらしい。
今回は、ナントカ伯爵の誕生パーティーだそうだ。たったそれだけで、そこまで親しくもない人を呼びつけるのかとオーレリアはびっくりした。
赤の他人の誕生日を祝うことになるとは思わなかった。
「――というわけだから、先生の作戦を採用するよ」
ハハッと笑ったオーレリアは、いつも以上にコテコテに飾りつけられていた。
冬場の湖に似た色のドレスに、霜がついたみたいなフリルがふんだんに使われている。オパールとダイヤのティアラ、ネックレス、イヤリング。体が重い。
化粧までされた。鏡を見たが、違和感しかない。
嫌だなぁと思いながら渋々出てきたのだ。
「あ、うん。妙案……」
兄が諦めを口にした。どうせそうなるのはわかっていただろうに。
「さて、僕はエリノアを迎えに行ってくるから、向こうで会おう。今にアーヴァインが来るはずだから、先に行っちゃ駄目だよ」
「うん? アーヴァインが?」
何しに来るんだろう。向こうで合流すればいいのに。
聞いた気もするが、忘れた。ああ、はいはい、と知ったかぶりをして兄を送り出す。
父と母は、なんとなく青ざめている。
「オーレリア、君は美人だからいろんな男が声をかけてくるかもしれない。でも、自分で断らないで、私たちかユリシーズか、アーヴァインくんに断ってもらいなさい」
「そんな、子供じゃあるまいし」
「口を開かない、だ」
「う~ん」
面倒くさいな、とオーレリアは嘆息した。
そんな時、アーヴァインが到着したのである。正直、よく来てくれたなと思う。オーレリアのダンスの相手にとのことだが。
ダンスだけはなんとか様になるように仕上がったので、足は踏まないはず。
「やあ、アーヴァインくん。今日はありがとう。無理を言ってすまないね」
父がほっとした顔をした。そんなに無理を言ったのか。
この時、アーヴァインはいつものシンプルな軍服よりも少し洒落た軍服を着ていた。正装だか礼服だか、式典の時に着るのだろう。深紅の縁取りに金の肩章、胸には階級章、なかなかに凛々しい。
「いえ、こちらとしても他のご婦人の誘いを躱せるので助かりました」
ああ、お互いに利害が一致した。なるほど、とオーレリアは納得した。
「ありがとう。娘をよろしくね」
「はい」
アーヴァインは母ともそんなやり取りをしているが、何か妙な気もする。大げさだ。
オーレリアは、アヒルの尻みたいにフワフワした扇を広げると、口元を隠してニヤリと笑った。アーヴァインが一瞬怯む。
「特訓の成果を見せてあげるよ」
「行儀作法のか? 勿体ぶってないで今すぐ見せた方がいいんじゃないのか」
「違う違う。ダンスの方。行儀作法は、まあ、人見知り作戦で乗りきる」
バッサバサと扇で扇ぐオーレリアの様子に、アーヴァインが半眼になった。
「まあ、そんなことだろうとは思ったが」
「ひどいな。少々は身についてるだろう?」
「少々すぎて判別がつかない」
はぁ、と嘆息したアーヴァインが手を差し出してくる。お手――。
「あれ? ここで踊るのか?」
思わずオーレリアが首を傾げると、アーヴァインが呆れた目をした。
「違う。エスコートを頼まれた」
「えすこーとってそもそもなんだよ?」
「…………」
そこで慌てた母が口を挟んだ。
「社交場に出席する女性は一人では出席しないの。必ず男性につき添われて行くのよ」
それが『エスコート』なるものだそうだが、正直、それは必要な風習なのだろうか。
「なんでそんな面倒なことをするんだ?」
「女性が一人でいると危ないもの」
しかし、アーヴァインの顔が、『こいつは危なくないけどな』と語っていた。そこはオーレリアも認めるところである。
それでも、そうした決まりがあるのなら仕方がない。オーレリアはアーヴァインの手に、ダンスを始める時のようにスッと優雅に、と気をつけて手を重ねた。お互いに手袋をしているので、直接触れ合うのではないが。
アーヴァインは、オーレリアの手を自分の腕にかけ直させる。腕を組むと笑いが込み上げてきた。
「え? 腕組んで歩くの? 酔っぱらいのバカップルみたい」
「口を開くな。行くぞ」
出かける前から疲れたとでも言いたげなアーヴァインだった。
兄がアーヴァインにオーレリアを託した理由のひとつとして、もしオーレリアが暴走した場合、アーヴァインなら物理的に止められると思ったからではないかという気がした。
暴れないし。大人なんだから。
そう自負しているオーレリアだったが。