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〈10〉社交界

 そういう具合で、オーレリアがこの屋敷に来てから五日ほどが経った。

 その頃になってようやく、オーレリアが欲しかったものが届いたのだ。


「わぁ! これだよ、これ!」


 ふんわりと可愛らしい、夢のような部屋の中、ひと際異彩を放つ、()()

 大きめがいいと頼んだ。見事に大きい。大きな(たる)だ。


 オーレリアは早速、立ったままでその樽の上に肘をついてみた。丁度いい。この上にタンブラーなんかを載せて立ち飲みするには最適だ。オーレリアはずっと、倉庫で樽をテーブル代わりにしてきた。

 この高さがいい。椅子なんか要らない。樽に寄りかかって飲み食いするのがいいのだ。


「ありがとう、母さん!」


 すっかりご満悦ではしゃぐ娘を前に、母は、それはよかったと言って笑えないようだ。欲しがるものが変だと言いたいのかもしれないが、欲しいのだから仕方がない。


 母は乾いた笑いを零していた。母が去ってから、今度はメイドのケイトがやってきた。おかっぱの女の子で、女の子という表現が実は似合わない年齢であると判明したのはつい昨日だ。


「お嬢様、お茶をお持ちし――」


 ケイトが持っていたトレイをひっくり返しそうになったのは、部屋に鎮座する樽の存在感のせいだろうか。


「ああ、ありがと。ここに置いてくれ」


 てんてん、と樽を叩く。


「えぇ、そこですか?」

「うん、ここ。この高さが丁度いいんだ」


 ケイトはティーカップを樽の上に置くと、ポットから紅茶を注いでくれた。紅茶は美味しいけれど、できればブランデーをたっぷり足してほしいというのが心の声である。


 樽にもたれて紅茶を飲んでいるオーレリアに、ケイトはなんと言っていいのか言葉が見当たらないふうであった。


「なんだ、樽のよさがわからないといった顔じゃないか。ほら、代ってあげるよ。ここに肘を突いてもたれてみな」


 樽の向かい側を差すと、ケイトは疑わしげな目をし、それからおずおずと近づいて樽の上に肘を突いた。


「な? 悪くないだろ?」


 オーレリアが笑いかけると、ケイトは照れたように言った。


「え、ええ。思ったよりは……」

「だろ?」


 樽のよさが伝わって、オーレリアも嬉しい。

 まるで違う世界に飛び込んだつもりが、気がつくと違う世界だろうとどこだろうと自分を貫いてしまうオーレリアなのだった。



     ◆



 それからさらに数日。

 夕食の席で父に言われた。


「オーレリア、実はね、早く君をお披露目してくれと周囲から言われていてね」

「お披露目って?」


 当のオーレリアはまったく意味がわからないのに、母と兄は青ざめていた。ついにこの日が来たかとばかりに。

 よく見ると、父も何やら冷や汗らしきものをかいている。どうしたんだろう、とオーレリアは首を傾げた。


「社交界というヤツだ。平たく言うと、皆がお洒落をして、踊ったり音楽を聴いたり、話したりして親睦を深めるんだよ。若い男女はそこで結婚相手を見つけるものなんだが――」

「ああ、兄さん、そこでエリノアを見つけたの? なんて言って声かけたのさ?」


 のん気なことを言うオーレリアに、父は少し疲れた様子で続ける。


「私はね、行儀作法だけでその人のすべてを測れないと今は思っている。でも、皆がそうじゃあない。粗野な振る舞いをすれば陰口を叩かれ、笑いものにされるだろう。私は大事なオーレリアがそんな目に遭うのは我慢ならないんだ」

「じゃあ、行かなきゃいいんじゃない?」


 サラッと答えたオーレリアに、父は水のない場所で溺れたような仕草をした。面白いなとしか思わなかったが、父は真剣だった。


「い、いや、そういうわけにもいかなくてだなぁ……」


 そこで母が助け船を出す。


「お父様にもお立場があるのよ。断れないこともおありなの」


 父の仕事というのは貿易商だった。それから、爵位は子爵だそうだが、オーレリアはその爵位がどの程度のものなのかがよくわかっていない。


 その仕事上、父にとってつき合いというのは重要なのだ。ここで絶対、何があっても行かないと突っぱねるほど、オーレリアは子供ではないつもりだ。


「わかったよ。行くよ。音楽を聴いて、あとはなんだっけ? 踊るんだった?」


 行くと言ったのに、何故か皆が不安な顔をした。


「踊るって、どんな踊りだか知ってるかい?」


 兄がボソリとつぶやいた。知るわけがない。


「さあ?」

「男性と女性が一組になって一緒に踊るんだ。ワルツとか……」


 でも、と兄は言葉を切った。


「絶対に相手を投げ飛ばしちゃいけないよ。というか、その前にダンスの練習をしなくちゃいけないんだけど、僕で相手が務まるかなぁ……」


 その、投げ飛ばす前提で言うのはやめてほしい。もう今さら投げない。


「ダンスもだけど、所作も少し習っておいた方がいいわよね。ラングフォード先生にお願いしようかしら」


 母がそんなことをぼやく。

 そこで兄は何か閃いたらしかった。ポン、と手を打つ。


「そうだ、アーヴァインだ。あいつなら簡単に投げ飛ばされないし、身長もあるからオーレリアと並んでも見栄えがする。僕はエリノアを連れているから、エスコートもアーヴァインに頼もう。うん、そうしよう」

「えすこーとってなんだ?」


 まずそこからわからないオーレリアだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 樽~!! 樽が来ましたっ、10話までです! 私にとっては、拝読した五十鈴様の作品の中で群を抜いた男勝りなヒロインです! 口調もサバサバしてて最高だし、でもなんだかんだ優しいのがいいですね。…
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