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〈1〉今さらな真実

 海鳥の声が反響する、広い海辺の倉庫。

 壁に空いた小さな穴から、太陽の光が筋になって漏れる。人が動くたびに舞う埃が、光を受けて輝いた。


 倉庫の中にはワインが詰まった樽がぎっしり、所狭しと置かれている。

 とはいえ、この倉庫に保管しているのは安酒の部類だ。これがすべて馥郁(ふくいく)たる貴腐(きふ)ワインなどの高級品であればいいが、そんなものはない。


 けれど、この安っぽいアルコールの匂いに、オーレリアは母乳よりも親しんで育った。それというのも、父がこうした酒樽を船から積み下ろす荷場(にば)人足(にんそく)(かしら)だったせいだ。母は物心ついた時にはすでにいなかったので、オーレリアは父を始めとするむさい男集団に育てられた。


 初潮の時などは近所のおばさんが世話を焼いてくれた。今年で十八になるが、おかげで筋骨隆々の人足からも『(あね)さん』だとか『姉御』だとか言われるほど逞しく育っている。

 細身ではあるが、男たちと一緒になって荷物を運んでいたので、筋力は並の女性よりあるだろう。


 そんなオーレリア・アドラムの日常が、ある日を境に一変することになる。

 しかし、この時はまだ、目の前の夫妻が言わんとすることがまるでわからなかったのだ。



「君が、ユーフェミアなんだな……?」


 見ず知らずの口髭の似合う紳士が、オーレリアを見つめて涙を浮かべている。隣にいる夫人も、感極まってハンカチに顔を埋めてすすり泣いた。

 非常に言いづらいが、何やら人違いをされている。オーレリアは波打った金髪をぞんざいにかき上げ、目を(すが)めた。


「誰それ? 知らないよ」


 オーレリアは男物の綿シャツと、茶色のパンツをサスペンダーで吊るという出で立ちである。こんなシルクハットやドレスを身に着けたお上品な知り合いはいない。


「ユーフェミアなんて子、知り合いにもいないし。悪いけどさ、他所で(たず)ねておくれよ」


 金持ちっぽいからいけ好かないと、ろくに知りもしないで噛みつくつもりはない。それでも、関わり合うには違いすぎる。普段なら、すれ違うことすらないような人たちだ。

 倉庫にいる男たちは気が荒いから、鋭い目をして夫妻を見ていた。きっと居心地も悪いだろうに。


「い、いや、君がユーフェミアなんだっ」


 紳士が裏返りそうになる寸前の声をなんとか落ち着けながら言った。年の頃は五十くらいだろうか。大人しそうな紳士だ。この近辺の下町に長時間いたら身ぐるみはがされるに違いない。


 その大人しそうな紳士の言うことがよく吞み込めないオーレリアは、仕事が捗らないと内心で苛立った。うちで使っているヤツらは、気はいいけどちょっと怠け癖があって、父かオーレリアのどちらかが時々どやしつけないとサボるのだ。あまり長く目を離したくない。


「おじさん。あたし、急いでるんだ」

「お、おじさんではなく、お父様と呼んでくれないか……」

「は?」


 ザワザワ。

 人足たちが集まってくる。ほら、手が止まった。


 この紳士たち、なんの手違いがあったのか、オーレリアのことを『ユーフェミア』という名の娘と勘違いしている。まるで自分たちの娘だとでも言いたげだ。


 オーレリアとしては見ず知らずの夫婦でしかない。そんなはずはない。軽く苛立ちを覚えて追い払おうとした時、ハンカチで顔を押さえていた夫人が泣き腫らした顔をオーレリアに向けた。


「ユーフェミア……」


 ――違う。

 それなのに、年のわりには艶やかな金髪を結い上げている夫人は、オーレリアによく似ていた。もちろん、オーレリアはこんなに上品ではないし、儚くもない。ただし、顔かたちは似ている。


 目の色も同じ、ブランデーのような琥珀色。

 背もやや高めですらりと姿勢がいい。森の色をしたドレスが金髪を引き立てている。


「あたしは、オーレリアって言って、ここの人足頭の娘さ。ユーフェミアじゃ――」


 苦し紛れに言ったオーレリアの言葉を紳士が遮る。


「アドラム氏とは先ほど話したよ。君がここにいると教えてくれたのも彼だ。アドラム氏は、十七年前、当時船乗りだったそうだが、その時に荷物に紛れて積まれていた赤ん坊を見つけたと打ち明けてくれたよ」

「なんだそれ」


 思わず声が漏れた。呆れてしまった。

 あの親父(おやじ)はまた適当なことを言ったものだと。


 残念ながら、オーレリアはアドラムの娘だ。そうでなければ、こんなガサツに育っていない。目の前にいるようなお上品な夫妻とは作りが違う。顔が似ているのは、どう考えても他人の空似。それ以外に何があるというのやら。


「ユーフェミア、君は赤ん坊の頃に誘拐されたんだ。でも、その時の実行犯は追い詰められて海に身投げをした。だから、君がどこへ消えてしまったのかわからずじまいで、国中手わけをして捜したけれど、捜し出せなくて……。赤ん坊に泣かれて鬱陶しくなった犯人が始末してしまったんだろうと言われたが、私たちは君はきっと生きていると信じて諦めなかった」


 ふぅん、と他人事のような声を漏らしてしまった。しかし、二人には夢中で聞こえなかったらしい。


「あの時、犯人にそそのかされて手引きをしたハウスメイドが病みついて、病床で懺悔していたと聞いたのが三年前だ。ユーフェミアを停泊中の船に隠したと。その船は使われる予定ではなかったのに、他の船に不備が見つかって、急遽出航することになったそうだ。ユーフェミアのことは身代金をもらったら返すつもりだったと慌てたが、攫った子供が行方知れずになったことを知るのは犯人たちだけだから、金だけそのまま騙し取るつもりをしていたらしい……」


 その船の中に隠されていた子供がオーレリアだというらしい。

 残念ながら、証拠はない。


 ――いいや、本当にないのか。こんなによく似た顔を前にして。

 オーレリアは額に手を当てると、はあぁ、と盛大にため息をついた。


「おじさん、おばさん、ちょっと親父に会って訊いてくるよ」


 本来なら、オッサン、オバチャン、である。おじさん、おばさん、はオーレリアなりに丁寧に言った方であるのに、お上品な夫妻は面食らったように固まっていた。

 オーレリアはその脇を通り越し、倉庫を出た。


「おお? 姐さん、どちらへ?」

「親父んとこ。後のこと、頼むよ。怠けたら後でシメるから、しっかりやんな」


 筋骨隆々な人足に凄んでから、オーレリアは父親のもとへと急いだ。編み上げブーツの底はひどく乱暴な音を立てて石畳を蹴った。


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