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命名

 ゴドウィンの執務室を出たリシャールは、新しくなったセイラの部屋の前でノックするのを躊躇っていた。


 き、気まずいっ! 竜の子の魔力に当てられていたとはいえ、セイラの身を危険に晒してしまったのだ。


 どんな顔して会えばいいのか分からない。


 逡巡している内に向こうからドアが開いた。


「あっ」「あっ」


 同時に固まる二人。


 「す、済まなかったっ!」「ご、ごめんなさいっ!」


 同時に謝る二人。


 先に立て直したのはリシャールの方だった。


「な、中に入ってもいいかな?」


「ど、どうぞ」


 まだぎこちない二人だが、新しくなったセイラの部屋は、以前の倍の広さがあり、これならペット? と一緒でも不自由なく過ごせそうだ。


 リシャールは部屋を見渡し、中に居ないことを真っ先に確認した。


「えっとその・・・アレは?」


「アレ?」


 セイラはキョトンとしている。


「ほらあの噛み癖のある・・・」


「あぁ、クロウのことですか?」


「クロウ?」


「はい、名前が無いと不便なので付けました」


「・・・黒いから?」


 だとすればなんて安易な命名基準!


「それもありますけど。最初見た時、鳥かな? 黒いからカラスかな? って思ったからですかね」


「あぁ、なるほど。それでクロウね」


「クロウに会いに来たんですか?」


「いや、君に謝りに来たんだ」


「私に?」


 セイラはまたキョトンとしている。


「あぁ、その・・・僕の軽率な行動で君を、いや君達を危険に晒して申し訳なかった。許して欲しい」


「あぁ、いいんですよ。気にしないで下さい」


「いや、それじゃ僕の気が済まない。何か僕の出来る範囲でお詫びしたい。何でも言ってくれ」


「うーんとそれじゃあ・・・あ、そうだっ!」


 セイラはポンっと手を叩いて、


「あの・・・今回の抜け出しの件をなかったことに・・・」


 リシャールは思わず破顔した。あぁ、セイラが最初に謝った理由はこれね。


「あぁ、いいよ。ただし今回だけね」


「やったぁー!」


 セイラが無邪気に喜んでいる様を見ながら、こういう所は年相応なんだよなぁってリシャールは思っていた。


「あ、それでシスター・マリアはどこに? 彼女にも謝りたいんだけど」


「今、クロウにお食事を取らせています」


「アイツ、まだ食べるのか・・・」


 さっきあれだけ食ったのに。


「色々食べさせてみようと思ったんですが、肉、魚、卵、といった動物性タンパク質は一切口にしないんですよ」


「へ、へぇ~それはまた」


 本当にベジタリアンかよっ! 見た目詐欺にも程があるだろっ!


「仕方無いからまた菜園に連れて行って貰ってます。私も着替えてこれから行く所だったんですが、一緒に行きます?」


「あぁ、いや、僕はクロウだっけ? アイツに接近禁止令が出てるんだよ」


「接近禁止令?」


 セイラが首を傾げる。


 うん、そうだよね。意味分かんないよね。


 リシャールが事の経緯を説明するとセイラは悲しそうに、


「そうなんですね、残念です。リシャール様とも仲良くなって欲しかったのに・・・」


「そんな訳だから、シスター・マリアには後日改めて謝罪するよ。そろそろ王宮に戻らないといけないし。セイラ、危険は無いと思うけどくれぐれも油断はしないように。あとそれから抜け出し厳禁っ!」


「か、畏まりましたっ!」


 セイラは見事な敬礼で応えた。




◆◆◆◆◆




 王都から馬で三日、霊峰の麓にある町エインツに諜報部隊の総勢10名が到着した。


 目の前には霊峰『ラース・ダシャン』を含む峻嶺な山脈が広がっている。


 彼らはこれから二名ずつに分かれ、それぞれが領主館、冒険者ギルド、宿屋、酒場などに散って情報収集を行う。


 当然ながら全員が目立たない町民の姿である。


 諜報部隊の隊長は部隊員を前に最終確認を行っていた。


「各員の持ち場に関しては以上だ。質問のある者はいるか?」


「集める情報は邪竜関連のものだけでよろしいのでしょうか?」


「いや、もう一つある。アズガルド帝国に関してもだ」


 部隊員の間に緊張が走る。


 アズガルド帝国とは、目の前に広がる山脈を国境にして、セントライト王国と隣接している軍事国家である。

 

 表立って敵対している訳ではないが、国境付近でのいざこざは絶えず続いている。


 帝国の狙いは鉱山資源で、この付近の山からは良質なミスリルが産出される。


 ミスリルで作った武器防具は、高価だが非常に頑丈なので求める人は多い。


「不穏な動きをしているという噂がある。合わせて調査してくれ」


「了解しました」


 部隊員達と別れた後、宿屋の一室を仮の前線本部とし、盗聴防止の魔道具や進入阻止のトラップを設置し終えた隊長は、この町に着いた時の異様な雰囲気を思い出していた。


 淀んだような、粘り着くような濃い瘴気に町全体が覆われ、昼間なのに薄暗く感じられる。


 町行く人々は皆一様に元気が無く、まるで何かを恐れているかのような印象を受けた。それに、


「っ!」


 この時折感じる地面の揺れは一体なんだろう?


 それに伴って響いて来るこのうなり声のようなものは?


 隊長は言い知れぬ不安に襲われ身震いした。




◆◆◆◆◆




 セントライト王国の南側には肥沃な穀倉地帯が広がっている。


 その大地を巡り長年に渡って対立しているのが、隣国であるルーフェン王国で、現在は停戦状態にある。


 隣国との国境沿いに構えた砦の前に、王家の紋章をあしらった豪華な馬車が止まった。


 馬車から降り立ったのは、軍服を身に纏った金髪碧眼の美丈夫で、リシャールの兄にあたる、セントライト王国の王太子エルヴィン・セントライトその人である。


 表向きは視察という名目だが、王太子自らが停戦状態にあるとはいえ、最前線まで赴いて来たのにはもちろん理由がある。


 ここ最近、隣国が停戦協定を無視するかのような挑発行為を繰り返しているのである。


 相手の出方次第では再び戦争状態に陥ってしまうので、それを避けるべく相手方とギリギリまで交渉するためにエルヴィンは遣って来たのだ。


 交渉が決裂し、戦争状態になったら、エルヴィンはそのまま王国軍の指揮を取ることになる。


「殿下、ご足労頂きありがとうございます」


「将軍、状況はどうなっている?」


 砦の守護を任されている将軍は、渋い顔でエルヴィンに告げる。


「良くありません。敵は演習と称して一個師団を国境沿いに展開しております。いつ攻め込んで来てもおかしくありません」


「将軍、まだ『敵』ではない。言葉には気を付けるように」


「はっ! 申し訳ありません」


 そう、まだ国境を越えていない以上、相手がどれだけ軍事行動を取ろうとも表立って抗議することは出来ない。


 そのために水面下で交渉を進める訳だが、ここまであからさまだと交渉する事自体が難しいかも知れない。


 エルヴィンは頭を抱えそうになるのをグッと堪える。


 北側ではアズガルド帝国が不穏な動きを見せているという。


 王国の未来に不安を感じなからも、エルヴィンは目の前の戦いに集中する。

 

 

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