ねがい
そうだ。
ゾンビの掃討だけでも大変だろうけど、もっと厄介なのは人間だろう。
いくらなんでも、たった一年や二年で世界中の人間がゾンビに成り果てたとは思えない。
調べてみないとわからないが、当然生き残りがいるだろう。
僻地の軍事基地や研究施設、あるいは原子力潜水艦のように、いろんな人工の隔離空間にいる人々。
たまにくる商人だけが外部との交流、みたいな田舎の村落。
いわゆる未開地で暮らしている人々。
この地球にだって、年単位でそういう隔離環境にいる人々は結構いる。
それぞれは少人数かもしれないが、集めたら……もしかしたら億単位で残っている可能性だってある。
そんな彼らが、異世界の亜人種が転移してきたって知ったら?
嫌な予感しかしねえぞオイ。
『実はその事なんじゃがな……それもあって蛇の女、つまりエキドナに頼んだのじゃよ』
「え」
思わず振り返ると、エキドナ様はウムと俺を見てうなずいた。
「ユウ、おまえが召喚される時に大量のゾンビが作られたという話は、そこの森の娘に聞いたのであろ?」
「はい」
「実はその件じゃがな。
結論からいうと、人間族どもはユウの召喚に味をしめたようでな、その後も何度となく、この世界からエネルギーを吸い上げておるんじゃよ。しかも今度は被召喚者ぬきでな。
この意味がわかるか?ユウ?」
「……なんですって?」
つまりそれは。
この世界の人間を魔力源として何度も吸い上げ、ゾンビを追加作成していたって事か?
おい。
ちょっと待てよオイ!!
「ユウよ、怒りはもっともじゃが落ち着け」
「……」
エキドナ様の静かな瞳に、俺はなんとか落ち着いた。
「……よしよし、ようこらえた、強い子じゃ」
「あの、子供扱いは」
そういうと、エキドナ様はふふふと楽しげに笑った。
いつも思うけど、なんか妙なとこがお袋そっくりなんだよなこのひと。
なんでなのかね?
「すでにあちらの召喚施設は破壊しておるし、関係者も潰しておる。
かりにあの女が画策し、再び人間族に知恵を授けたとて、そうやすやすと再開はできぬよ」
「そういうものですか?」
「たとえば、そうじゃな。
まったく無教育の者に、いきなりこの世界の便利な道具を作らせようとして、できると思うか?」
「なるほど、できませんね」
高度な技術を使うには、設備もそうだけど人間側にも知識や訓練が必要。
なるほど、すでに手を打ってあるということか。
「問題はのう、いったいどれだけの人間を吸い上げたのか、総量がよくわかっておらんという事じゃ。
その確認の意味もあって、わらわが来たわけなんじゃよ」
「そうだったんですか」
なるほど、そんな問題があったのか。
「道理で、いきなりエキドナ様がくるわけだ……世界規模の問題と認識したんですね?」
「うむ、そういうことじゃ」
エキドナ様はそういうと、大きくためいきをついた。
「さらにいうとのう、知っておるかユウ?
おぬしが攻めた魔大陸じゃが、すでにほとんど全滅状態じゃぞ」
え?
「なんですかそれ?」
「それを言いたいのは、わらわたちの方なのじゃがな」
「……冗談じゃなく本当に全滅なんです?」
「うむ、本当にじゃ」
魔大陸が全滅?
魔王ひとりを倒すにも難儀して、異世界から俺なんか呼び寄せていたってのに?
いったいどうやって?
「まず、こちらと向こうの時間の流れは異なる、これはわかっておるな?」
「あ、はい」
何年も、何年もかけて魔王討伐した。
俺は向こうでは若者じゃなくなり、おっさんになりかけていた。
本来の予定ではあの日、あの時に戻り……それと引き換えに全ての経験を失うはずだったのに。
だけど、戻ってきたらわずか二年とはいえ時間がズレていた。
これが何を意味するか?
おそらくだけど、あのクソ女神は本来の予定にない事……つまり俺とマオの種族変換……をするかわり、俺との約束である時間操作をサボったんだろうと考えている。あいつならやりかねん。
問題は、それでも十数年でなく二年とズレずに戻ってきた点だ。
それに婆ちゃんやエキドナ様の話からすると、俺が戻ってからの2日やそこらで数年以上過ぎてるっぽい。
たとえ時間の流れが違うにしても、何かおかしくね?
これは、あれか。
両方の時間が同期してないって事なのかもしれないな。
「連中は神話時代の破壊兵器を持ち出したんじゃ、おぬしも勇者時代に見たであろう?」
「あーうん、みた、みました」
勇者として基礎訓練を受けていた時、興味をもって見せてもらったっけ。
あのSFじみた……星をも砕くって噂の古代兵器を使ったって?
「あれを使ったんです?
でもたしか必要なエネルギーが莫大すぎて、ただのオブジェになってると聞いたけど?」
こんなもの使えるエネルギーがあればとっくに魔族なんか殲滅できてるし、貴方にご迷惑をかけずにすんだんですがねって、説明してくれた神官はそう言っていたはずだ。
そりゃそうだと俺も思ったもんだが。
『わしらの試算ではな、少なくとも百万人分の魔力や生命力に相当するエネルギーをつぎ込んだのではないかと言われておる……それにより兵器として使えるほどに満たされたのじゃろうよ』
「百万人分て……いったいどこからそんな」
地球と違って向こうは機械文明じゃないから、そんな莫大なエネルギーはいらないし持ってないはずだ。
『その事を掴んだ時に真っ先に心配されたのは、そちらの世界の状況じゃ。
そなたの召喚時に出たゾンビはせいぜい二百もないはず。
いくらゾンビに備えがない世界とはいえ、その数なら対処できたじゃろうよ。
70億であったか?
そんな星のきらめきにも似た人々の前で二百じゃぞ?
たとえそれで二万の犠牲が出たとしても、大きな問題にはならなんだはずじゃ』
「はい、俺もそう思います」
地球全土にあまねく広がり70億、しかも分単位で増え続けている人類だ。
たとえ最悪の事態だったとしても、おそらくゾンビが殺す数よりなお、人口増加の方が多いだろう。
たった二年たらずで人類が滅ぼせはしないはずだ。
『じゃが、それが二百でなく二十万、いや二百万だったとしたら?
一度ではなく、小分けにして何度も何度も。
しかも今度は特定個人の召喚でなく、エネルギーを搾り取るためなのじゃから条件も異なっておるじゃろ。
ぶっちゃけた話。
ひとの中で群れる傾向のある人間に焦点を絞り、集会の最中なんかにゾンビ化が行われたとしたらどうじゃ?』
「それは」
無数の熱狂で揺れるライブ会場。
多くの支持者であふれかえる誰かの演説の場。
そんなところを狙って、ゾンビ化が発動したと?
ゾンビ汚染は空気感染しないが、ひと噛み、ちょっと傷つけられただけでも発生する。
しかも、軽度にちょっと噛まれた程度だとすぐには発現せず、ちょっと風邪気味くらいの症状の影に隠れて全身に広がり、そしてある瞬間に一気に発症する。
しかもこわいのは、それだけじゃない。
なんでもない人が唐突にゾンビになる事が、歪んで伝わったら?
最悪の場合。
誰彼の区別なく、あいつはゾンビになるかもって理由だけで魔女狩りが行われるかもしれない。
そしてその背景で、ひそかにどんどん広がっていく。
そう。
人口密集地であればあるほど。
そして、特に風俗が乱れていればいるほど。
すさまじい速さでゾンビ汚染は広がっていく事になる。
「つまり……最悪、もはや地球人類には反撃困難になっていると?」
『エキドナに頼んだのは、その確認もあるんじゃ』
婆ちゃんの声が響いた。
『そやつは大陸単位じゃが、そういう調査をした事があるからのう』
「確認『も』ですか?」
『……ユウよ、そなた気づいておらんのか?それとも知らぬふりをしておるのか?』
え?
「ユウ」
やさしい声にエキドナ様の方を見た。
「そなたには、考えたくない未来かもしれぬが……。
もし、この世界の人族が滅びてしまったらどうする?
そこに一匹、いや、マオもいれば二匹じゃが……取り残されたおぬしらはどうなるのか、ということじゃ」
「!!」
「わかったかの?」
「……はい」
その意味を理解して、俺はうなずく事しかできなかった。
とめる声があるのもきかず、相棒さえ捨てて俺は地球に戻ってきたのに。
優しくしてくれた人たちを捨てて、俺は帰ってきたってのに。
相棒は、泣き叫びながら俺に無理やりついてきた。
そしてこの人たちは。
もう縁もゆかりもないはずの俺を心配して、はるばる遠い異世界まで調べにきてくれたってのか。
なんでこの人たちは、こんなに優しいんだろう?
「こら、泣くでない男子が」
「な、泣いてねえよ!」
エキドナ様も、婆ちゃんも……マオまでもが優しい顔で俺を見ていた。
だから、泣いてねえっての!!
しばらくして落ち着くと、話が再開された。
「とりあえず、そのトウキョウとやらに向かおうではないか。わらわに乗っていけば早くつくぞ?」
「そりゃ助かるけど、でも」
エキドナ様の下半身は巨大な蛇体だが、その移動速度は驚くほど速い。
おそらく、何も問題なければ一日で東京につくだろう。
けどその話が本当なら、もう東京なんて。
それに、母が確実にゾンビだというのなら……。
だけどエキドナ様は言い切った。
「親子の情というものは理屈では割り切れぬもの。
ユウ。
そなた、実際にその目で見ずに納得できるかや?」
「で、でもっ!」
「その感情的な反応が証拠であろうが。違うかや?」
「……」
くっくく、と見透かすように笑われた。
「それにのう……いや、それはまぁよいか。
とにかく、行ってみようではないか。
かりに、そなたの生家がもはや無人でご両親もゾンビとなっておったとしても、そこは、そなたの生家には違いないのじゃ。
もうなにもないというのなら……せめて別れくらいはしてやれ。な?」
「……うん」
「いい子じゃ」
そういうと、エキドナ様はにっこりと笑った。
オノコ
アイヌ語で男性のこと。ちなみに女はメノコ。
エキドナ様が話しているのはアイヌ語ではないが、類似の古い言語なので訳語として使用した。