第1話 出動!灰レンジャー!
「観自在菩薩!行深般若波羅蜜多時~?」
声が聞こえたので右の方へと首を動かすと、目の前に嬉しそうに微笑む若い女性が見える。
何か言葉を話しているのだが、さっぱり意味が分からない。
「照見五蘊皆空~」
今度は左側から声がした。
見れば、若い男性が同じく、嬉しそうに俺に変な顔を向けている。
あ、あれか。
にらめっこだな。
よく分からないが、きっと彼らは“鬼畜BA団”の怪人なのだろう。
とても日本人には見えない容姿なのではっきりと分かる。
深緑の瞳に金髪の女、灰色の瞳に薄茶の髪の男。
いや、それだけならカラーコンタクトを入れて髪を染めれば、日本人でもそうなれるな。
だが、それ以上に日本人とは明らかに違う、彫りの深い顔面の造形。
これはさすがにごまかせない。
明らかに“鬼畜BA団”に所属する戦闘員や怪人の特徴だ。
フフン、奴らのくだらないにらめっこ勝負などという茶番に付き合う暇はない。
すぐさま起き上がってぶちのめしてやろう。
灰レンジャーである俺の必殺技、「グレーゾーン先手防衛スキャンダラスブレイキングニュース」をお見舞いしてやるぜ。
だが、起き上がろうとしても手足がまったく動かない。
クソッ、拘束されてしまっているのか。
ヒーローの力を持ってしても、この拘束は振りほどけない。
さすがは“鬼畜BA団”、圧倒的技術力だ。
物量チートの異名は伊達ではないということだな。
研究開発にまわせる人的資源も豊富なようだ。
致し方ない。
奴らの茶番に付き合うほかないだろう。
捕虜に対する人道的な扱いは○ーグ陸戦協定で定められているからな。
よほど反抗的な態度を取らなければ酷い扱いを受けることはないだろう。
だからね?酷いことしないでくださいね?お願い。
そう心の中でへりくだりつつ、自分なりに面白いだろうと思われる顔をし、男の顔を睨みつける。
……くっ……なんで舌が鼻の穴に入るんだ……。
色々とビッグサイズというワケか。
だが、負けはしないぞ。
進め一億、金の玉だ!
金で得た偽りの経済大国の地位の力を思い知るがいい!
万が一、俺が負けるのならば、いっそ殺すがいい!
だが、俺の命は奪えても、心までをも奪うことは出来ないぞ!
*
ダメでした。
舌を両方の穴に行ったり来たりさせるのにはさすがに耐えられなかった。
『面白いことするぞ、面白いことするぞ』という前振りが有れば『何やってんだこいつ』で済んでしまうことが、『笑わないぞ、笑わないぞ』という気持ちを強く持てば持つほど、ダムは強度を失うことを失念していた。
さぁ、殺すがいい……。
落ち着け。
そしてよく狙え。
お前はこれから一人の人間を殺すのだ。
悟りの境地へと至り、ただ大人しく、輪廻の巡りの中へと還る事を是として泰然自若とはかくあるべしという気構えでいたが、予想に反して、男は先程より嬉しそうな顔をして対面の女に話しかけている。
「度一切苦厄!舎利子!色不異空?空不異色!」
男がそう言うと、それに応えるように女が声を上げる。
「色即是空、空即是色!受想行識……亦復如是♪」
ぐぬぬ……何を言っているのか、さっぱり分からない……。
まるでお経かスワヒリ語のようだ……。
だが、彼らは一向に俺を害する気配を見せない。
なんだかんだで、やはり先進的なんだな。
国際協定を遵守するとは、なかなかに見上げた性根だ。
褒めて進ぜよう。
あ、グOンタ○モは勘弁してね。
あそこはヤバイってよく耳にするから。
だが、喜ぶのも今の内だ。
やがて俺の仲間達が貴様らの首領を打倒し、そして貴様らは烏合の衆と化すのだ。
あとは雪崩を打って瓦解するのみ。
それまではせいぜい勝利の余韻に浸り、美酒に酔うがいい。
出来れば俺もその場面に立ち会いたかったが、まぁ、別にいつものことなので気にしない。
灰色だからな。
幻の○ックスマンだからな。
司令が『君は黒……というほど闇を抱えてないから……うーん……間を取って灰色でいいか』とかいう慧眼にも程がある的確な判断の元、俺は灰レンジャーとしての道を歩み始めたのだ。
言われてみればその通りで、自分自身、何が特徴なのかが分からない。
『プレーンヨーグルト』という愛称をつけられて、自身で妙に納得してしまうくらいだ。
出来ればリーダーたる赤色が良かったが、加入がやや遅れてしまったのでそこまで望むのは贅沢というものだろう。
目立たないおかげで諜報員としてはかなり活躍した方だと思うが、そこは地味なのでカットされがちだ。
だが、俺は俺の重要性を信じている。
司令もきっと分かってくれている。
だって、こないだ時給が50円上がって、850円になったもの。
素晴らしい上司を持てて俺は幸せ者だ。
急に目線が高くなる。
な、なんだ。
目の前に、先ほどから何度も目にした若い女性の顔が出てきた。
ちょっとビックリする。
ホントにちょっとだけだよ?
チビってないよ?
しかし……敵ではあるが、可愛らしく見えるなぁ……。
ヒューッ。
パツキンのチャンネーだぜ。
ギブミー。
ギブミー、ユア……ダッコ?
ギュッと抱きしめられる。
ヒューッ。
物量チートだな。
しかし、いつの間に拘束を解いたんだ?
抱き上げられるなんておかしいだろう……。
特徴らしい特徴はないが、年相応に体重は備えられている。
しかも、足が地に着かない。
彼女は俺の手を取り、自分の頬へと引き寄せる。
「舎利子♪是諸法空想♪不生不滅~?」
だから、そのお経かスワヒリ語みたいなのやめろって!
言葉の壁は厚い。
ふと気付く。
彼女の頬に引き寄せられてる手……オレノオレノオレノオレノ?
喫茶店の店長ー!店長ありがとー!
司令ー!司令見てるかー!?
フラーッシュ!
……思わず混乱してしまったが……俺のなのか?
小さすぎる。
まるで赤ちゃんみたいだ……。
そのことに気付くと急に不快感を……いや、それが原因じゃない。
何だ……?
「不垢不浄!不増不減!」
男の慌てたような声が耳に入る。
「是故空中無色!?……無受想行識」
女は一瞬驚いたような顔をするが、再び理解できない言葉を口にしながら柔和な笑顔を俺に向ける。
彼女が俺の背を叩くリズムが心地よく、そして優しい。
*
赤ちゃんでした。
あと、チビってないって言いましたけど、前も後もガッツリチビってました。
なんという失態。
なんという恥辱。
我、齢19にして、失禁の快ら……恥を知る。
日本の平和、ひいては世界の平和のため戦っていた俺が、赤ん坊の時分にまで引き戻され、しかもよく分からない世界にテレポートさせられるとは……。
しかも特殊なプレイを無料オプションでセルフサービスさせられるとは……。
さすが“鬼畜BA団”……卑劣な手を使わせれば他に並ぶものないとまで言われた奴らだ。
なんという悪辣さ。
なんという底意地の悪さ。
同じ意味の言葉を繰り返した気がするが、そんなことを気にする余裕がないほどハラワタが煮えくり返る思いだ。
だが、そんなことで挫けるほど俺はヤワじゃない。
すぐに元の世界に戻ってみせる。
そして再び、卑劣な“鬼畜BA団”に正義の天誅を下すのだ。
「あぶー、あばぶー、ぶ、ばーあー(見ていろよ、悪党ども)」
「無限耳鼻舌身意~?無色声香味触法~♪」
「あぶー、ある、あっばーす(裁きの日は近いぞ。震えて待て)」
「無限界乃至無意識界。無無明?亦無無明尽?」
「あぶー、ある、かーすぃむ。あっ、ざふらうぃー(天網恢恢疎にして漏らさずだ。俺は漏らしたけど)」
「乃至無老死~♪亦無老死尽~……無苦集滅道!」
「あっ……」
あっ、これ不毛だわ。
*
それから7年の歳月が経ちました。
「アンリ?アンリ~?」
遠くから母さんの声が聞こえる。
「アンリ、呼んでるよ」
目の前の、倒木の一部をベンチにして座っている赤い髪の少女が俺に告げる。
「……聞こえてるよ……。どうせまた薪割りだろう」
ぼやくように俺は呟く。
「頑張ってね。もうすぐ冬だからね」
「そうだけどさ……」
振り上げていた木剣を肩に置き、ため息をつく。
「そんなに大きなため息つかないの」
「そのくらい見逃してくれよ」
「ふふふ」
じっと見つめる彼女の顔は、嬉しそうな……あるいは面白そうな笑顔を俺に向ける。
彼女は6歳。
俺のひとつ年下である。
だが、ほぼ唯一の同年代であり、幼馴染と言える存在である。
「シビラ……俺が剣を振り回してるのを見てるだけじゃ、桃レンジャーにはなれないぞ。ちゃんと訓練しろよ」
既に彼女は俺の中で戦隊の一員になっている。
赤い髪だが、赤レンジャーは俺だし、女性と言えば桃色という安直な考えの下、桃レンジャーに任命した。
あくまで、俺の中で、だが。
「一応、ちゃんとした人に教わってるわよ。ただ季節が季節だから今はお休みなだけ。そんなこと言うなら、レンジャーを目指してるのに剣を振り回してるアンリこそちゃんとしてよ」
「ちゃんとしてるじゃないか。リーダーの赤レンジャーは剣とか、そういうカッコイイ武器だって決まってるんだ。大体、レンジャーの訓練に季節なんて関係な――」
「アンリ~!?」
母さんの声が再び聞こえてくる。
極めて大きな声で呼んでいるせいか、少し怒気を孕んで聞こえるような気がする。
「ほら、怒ってるわよ。未来のレンジャーさん」
「ああ!もう!」
先にも述べたように、俺は日本に帰れないまま7年の歳月が過ぎた。
まだ帰還は諦めていないが、未だに帰還の手がかりは見つけられていない。
俺はまだ幼い。
そして、この世界を知らない。
知らないことだらけだ。
だが、必ず帰る手段はあるはずだ。
その点では決して諦めてはいない。
いや、諦めてはいけないのだ。
元の世界に置いてきた――あの場では置いていかれた立場のような気がするが――仲間達が心配だ。
相手は強大な悪の組織なのだ。
あの秘密基地を葬り去ったとしても、その後がどうなったのか分からないのでは、不安でしょうがない。
灰レンジャーとかいう微妙なカラーリングな俺だったが、キチンと役割はあったのだ。
俺の代わりを務められる者など……あんまりいないと思いたい。
島根で850円って結構な額ですよ?
譲れねーわ。
そんな取りとめもないことを考えながらシビラに手を振って別れたあと、激しく誰何された方へと向かう。
しばらく歩くと、すぐに母さんの姿が見える。
その顔は鬼の形相……ではなく、困ったような笑顔で俺を迎える。
「またシビラちゃんと遊んでたんでしょ?ごめんね、邪魔しちゃって」
優しい母である。
見た目は明らかに“鬼畜BA団”の戦闘員そのものなのだが、既に見慣れてしまって、不快感を抱くどころか、安心感を覚える。
「ううん、フィリップの世話で大変なんでしょ。こっちこそ、ごめん。ちょっと遊びすぎちゃった」
今年生まれたばかりの弟のフィリップ。
まだまだ言葉を交わすこともできず、ちょっとしたことで泣き出す。
なかなか世話の焼ける奴だ。
その面倒を四六時中見ている母には頭が下がる思いだ。
母は偉大なり、だな。
「アンリは相変わらず……なんというか……聞き分けが良いわねぇ……。それだけ迷惑かけてるってことかしら……?ごめんね、アンリ」
そう言いながら俺を優しく抱きしめ、頬に軽くキスをする。
「あはは……いいよ、母さん。父さんが村のみんなと狩りに出かけてるんだから、残った男手の俺が頑張らなきゃ」
「んー♪良い子良い子♪……本当にごめんね。母さん、今日も精一杯、美味しい食事を作るからね」
「うん、ありがとう。楽しみにてる」
「うん、そうしてそうして♪」
今度は抱きしめながら、頭を撫でてくれる。
ヒューッ。
そうした会話を終えたあとも幾たびも言葉を交わしつつ、二人で連れ立って、家へと向かう。
まだ秋も中頃を過ぎたあたりだ。
冬に備えて、色々と準備をしなければならない。
それぞれの家で、そして、時にはこの村全体で力を合わせて。
ふと空を見上げる。
雲は灰色に、そしてところどころ、さらに灰色を重ねてどす黒く染まっている。
灰色は……気が重くなる色なんだな……。
見つめる空は、冬の気配を色濃くし始めていた。