ひょんひょろ侍〖戦国偏〗神鹿勢出陣。
国主様の弊害は留まるところを知らず、それを取り去っても未だ払えぬ悪霊の惨禍の如き様を想像しながらお読みくださいませ♪
「出立!」
獣さえあまり寄り付かぬ入り組んだ山地の、そのまた複雑な山頂を削ってむやみやたらと攻めにくく造作された【神鹿山城】を、どっと出陣した神鹿勢三百人は、参の家老で兵庫介の叔父でもある『神鹿十兵衛国親』が大将を務め、配下に馬廻衆を率いる『右左膳』、物見衆を率いる『蕨三太夫義親』、一の備を率いる『蔦巻右衛門利登』、二の備を率いる『神鹿左京太夫依親』、そして本隊は『神鹿十兵衛国親』が直卒する陣容であった。
「左膳」
「ははっ、何でありましょうや十兵衛様」
「兵庫介殿から新たな繋ぎは無いか」
「今のところは御座いません」
すまなそうに左膳は応える。
「左様か、ところで左膳。俺に今度の戦務まると思うか」
「務めて頂けねば困り申す」
当惑した様子で左膳は応える。
「いや、そうではないな、そうではないのだ」
「……」
首を振り十兵衛は目を瞑る。
「つまり、兵庫介殿の代わりが務まるかと、そう云う事なのじゃ」
いつになく真剣な眼差しで左膳に十兵衛に問う。
「左様な事など、拙者には解り申さぬ」
「で、あろうなぁ」
十兵衛は兜の隙間から指を突っ込み、首の後ろ辺りをしきりに掻く。
「あっ!」
「うん?」
途端に軍勢があわただしくなる。
「あ~あ…」
「な、なんだ。どうしたのだ一体⁉」
十兵衛が慌てている間に、小分けにされた集団が軍勢のあちこちに形成され、不意の敵襲にも備える体制を整えてしまったのだ。
「こ、これなに?」
「殿様考案の陣形に御座います」
「何故に斯様な仕様になったのだ?」
「申し上げにくいことながら、十兵衛様は先程、周囲に頭を掻くとの宣言なしにうなじ辺りを掻かれましたな」
「それが如何した?」
「実は殿様の薫陶により、我が神鹿勢は以前の神鹿勢とは、その仕来りも質が違い申す」
「なんと!」
「昨日大まかにご説明いたしましたが」
「さ、左様であったかの」
はあ~。と、左膳は深く嘆息するしかなかった。
この御仁、少人数の軍働きには申し分ないが如何せん頭が古い。
ここのところ戦にも出ず、あちらこちらの作事普請にばかりに立ちまわっているせいか、どうやら神鹿軍の様変わりようにも気付いてはおられぬ様子だ。
此の二、三年の間に、神鹿家の軍制は激変した。
勿論、そうしたのは誰あろう亡き父上の跡を継いで神鹿家の当主となった兵庫介。その人であったのだが、代わりに先代までの重役連中は軍事ことから順次に外される代わりに、内政や作事普請事業に当てられていくか、隠居する運びとなった。
とは云っても、これらは代々そうした神鹿家の仕来りに沿ったもので、兵庫介当人が仕組んだ訳でもなかったが為に、誰からも異存が出てはいなかったのだが、先代が割合長寿であったためと、当の兵庫介が先代が老いてから誕生した後継ぎであったのも重なり、彼の年齢とつり合い、尚且つかつての重臣と若手武将との間を取り持つ、緩衝的な役割を担う丁度良い年齢の将が全く以て足りなくなっていたのが頭痛の種であった。
この原因は、とりもなおさず国主家が、無益にも度重て京などへの出兵を繰り返した所為で、無駄に有益な将兵が命を落とし凡そ払底してしまったのが根底にあり、なんとかその若手と老将の間に立ち緩衝剤的な役割を果たせそうな人物は、今や蔦巻右衛門か、兵庫介の一族で十歳年上の神鹿左京太夫くらいしか残ってはいない。
「だから殿様は陣形の的確な変更や荷駄の小者の戦力化、事前に敵の動きを探索する為に物見を増やすなどの、若手中心でも戦に支障が無い様な策を講じておったのだが、未だそれらは完成の域には達しておらぬし困りどころじゃ」
詰るところ、茅野家随一の武功集団である神鹿家は、優秀な下級、中級指揮官がまだ揃ってはいないのだ。
せめて兵庫介が指揮を執っているのであれば、状況に心配は無いのだが。
「幾十通りもの新たな陣備や対処要領についてはみっちり教え、こやつらでもやれるようにはなったが、されどまだそこまでじゃ」
備ごとの戦経験はあるものの、全軍を挙げての実戦経験がない以上、彼らのやる気だけではどうにも力量が測れない。
また上級指揮官にしても、百か数十の部隊指揮の経験はあるが、全軍を統率して手足の如く動かすなどといった芸当は経験したことがない。
もしかすると予期せぬ事態に対処できず、あっという間に全軍が崩壊する可能性も秘めているのだ。
どんな時代でも、優秀な戦略や戦術、諜報力や兵器を持っていたとしても、これらを巧みに運用して現場で生かすことが出来なければ、絵に描いた餅でしかないのは古今の史書が教えてくれる事実であった。
現場が付いて来れぬのでは意味がない。
左膳は頭が痛くなる。
現在の神鹿勢が、その域に達しているのであろうか。
後世になって、やれこうすればよかっただの、何故この手を用いなかっただのと云っても、実際にその時代に行き試したところでうまくいくか解らぬと同様、戦ごとに限らず広義での組織運営が、そもそも直ぐにはどうこう出来ない状態に置かれている場合もあるのだ。
その点で言えば、此の国総ての軍勢が同じ悩みを持っていたともいえる。
どの家も、三十年にもわたる国主様の暴走のお陰で、家政は貧窮し軍勢の力量は落ちるばかりであったからだ。
これらの事態にいち早く気付き、軍制改革に乗り出していたのは下剋上を企んだかどで処断された〖深志家〗一党と、我ら飯井槻さま率いる〖茅野家〗のみだ。
深志家は『深志四条文』に代表される、此の国の軍備の拡大と情報網の整備を志向したものの、飯井槻さまの悪戯じみた謀によりあえなく崩壊し、茅野家は戦には使用可能な最小限の軍備のみで対応させ、その間に経済の発展と内政強化を行い蓄銭しつつ、諜報網の整備と衰えた軍備の再建、及び軍制改革を志向した。
それが未完成ながらも、既に試される時期が来てしまったのだ。
「で、大将がこの御仁か…」
これで勝てるのか、いや、勝ったにしても無用な損害を被ってしまっては元も子もない。
「殿様はどうお考えであるのか」
暗澹たる気持ちで愛馬を操り難儀な山道を歩ませている左膳は、
御大将が仕出かしてしまった陣形のまま進みながらも、気が気ではなかったのだ。
「使番じゃ!」
「殿様からの使番が参ったぞ!」
軍勢の前方から聞こえ飛んでくる呼ばわりに、ハッと我に返った左膳は、御大将である十兵衛に促して使番を呼び込み文を手渡させると、自らも内容を確認する為に馬を近付けるのだった。
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