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ひょんひょろ侍 with 昭和ノスタルジー [其の壱]

さて、皆様サブタイトルにびっくりなされたでしょうか?


まあ、一番びっくりしたのは思い付いた私なんですが(笑)


そんな訳で、昭和時代に散歩に行きましょう。


では、お楽しみくださいませ♪

 平成29年10月18日 (木)


「ファントムが燃えたって?」


 私が毎晩チェックしているとあるネットニュースに、茨城県は航空自衛隊【百里基地】所属の老兵『F-4EJ改 ファントムⅡ』戦闘機が炎上したと言う話題が、トップを飾っていたからだ。


「パイロットとナビは無事か、ああ良かった。良かった」


 私は安堵の息を吐く。


 そして亡くなってから久しい両親の遺影の、その右隣に飾られた一枚の白黒写真と一枚の銭が挟み込まれた小さな額縁を眺めて、あの懐かしくも(ふる)く可笑しな日々を思い出す。


 そうあれはまだ、私が子どもでファントムも最新鋭の戦闘機だった頃の話だ……。










 昭和43年 6月3日 (土)


「ファントムが落ちたの?」


 ボクが昼ごはんを食べに家に帰ると、父ちゃんが先月、知り合いから譲って貰った白黒テレビのお昼のニュースが、米軍所属のF-4ファントムⅡの写真と共に事故の一報を伝えていた。


「しかしまた、えらいとこに墜ちたもんだねぇ。大事(おおごと)大事(おおごと)


 (まる)卓袱台(ちゃぶだい)に母が自分で漬けた野菜くずの漬け物と、オオバコの葉の味噌汁、そして飯椀に山盛の麦と飯が割合四対六のふっくら麦飯。


 そして肝心のおかずはと云えば、一晩鍋に(ひた)して味噌汁の為に出汁をとって味がすっかり抜けてしまった煮干しを、母ご自慢の自家製豆味噌に干したあと軽く一晩漬け、七輪で軽く(あふ)ったのが一人に付き二尾づつ、大きいけど少し欠けた皿に盛られていた。


とても美味しいご飯。


 もう食べたくても食べられない、とっても美味しかった御飯。


 ぼくの家は大変貧しかったけど、それでも両親と六人の兄弟姉妹が食べていけるくらいには、心もご飯の量も内容も豊かだったと信じていた、あの楽しかった日々。


「母ちゃん、大事(おおごと)ってなんのこと?」


 ぼくは麦飯を頬張り味噌汁を口に含んでは咀嚼して、麦の軽く押し返してくる様な弾力と甘味と、味噌汁との口中調味でしか味わえない美味さを堪能した。


 なにより今日は日曜日と言うこともあって、貧乏暇無しでせっせと働く父ちゃんが居ないだけで、上は今年高校卒業のガタイの良い兄から、下は幼稚園に上がりたての妹まで、家族皆(みんな)が揃って囲むおいしい卓袱台が食器の山に埋め尽くされていても、父ちゃんの分だけは隙間(すきま)が空くのでチョッとだけ茶碗が置けるスペースが出来るのが、これまた嬉しかった。父ちゃんには悪いけどね。


「なにってアンタ、作ってる学校に落っこちたのヨ。あ~くわばらくわばら」

「へぇ~。ふ~ん」


 くわばらくわばらって母ちゃん、墜ちたのは(サンダー)じゃなくて幽霊(ファントム)なんだよ?


 国民学校(しょうがっこう)(ろく)に卒業できなかった母ちゃんには学がない。


 だって小さいころに九九を教えてって言った時。


「今忙しいからあとでね!」


 そう言って狭いトタン板と杉材で出来た安借家の、そのまた狭い台所に消えたのを恨めそうに口をへの字に曲げて、僕は母の背中を眺めていたのを思い出す。


 今はもうないあのたった2間の我が家、でも僕には広すぎた我が家だ。


 母は九九が出来なかった。


 より正確には7の段から怪しくなり、お陰で掛け算も割り算も苦手だった。もしかすると算数そのものが苦手であったのかもしれない。


 そんな母が僕たちが寝た後に、曲がりなりにも旧陸軍で工兵下士官だった父にせがみ、夜中に頭をひねりながら算数を始めとして、小学生が習うくらいの勉学を教わっていたのに気付いたのは、中学生に上がってからだった。


 職業系の高校に通っていた兄と姉が就職したのを皮切りに、手が空いたのかもしれない。


 日々の内職はそのまま続けていたものの、僕たちが勉強のことを聞いて来る度に、自分が碌々教えられない事を常に悩んでいたらしく、子供が二人自立したことで勉強をし直そうと思い立ったらしかったのだ。


「ねェ母ちゃん、どこの学校にファントム墜ちたの?」

「ええっ、もう学校は学校だよ。そんなことよりアンタ。さっさとご飯食べちゃいなさい!」


 よくは見ていなかった努力家の母は、ぞんざいな態度で応えて、前掛けで手を拭いながら自分の食べ終わった食器を片付けて、台所の隅に作っている掛棚を机代わりに内職に精を出し始めた。


「ごちそうさまでした!行ってきまぁ~す!」


 僕は今日もご飯がおいしかった旨を、食器を流しの水に漬けながら云うと、封筒の糊付け作業の手を止めていつもこう云うのだ。


「あら、あたしが元気になること云ってくれるねェ~」と、優しく微笑んで

 

 じゃあ、遊んでくるね!


 行っておいで、夕方の放送が流れたら帰って来るんだよ!


 はぁ~い!


 そんな何気ないが温かい会話をしてから、僕は汚れたズック靴をつっかけて撥ねるように表に出た。


「そうだ。今日もあそこに行ってみよう」


 最近、僕が発見して秘密基地化を急いでいる場所がある。


 そこは父ちゃんが言うにはココは古い城跡で、僕が市立図書館で調べたら【季の松原城】とかいう規模の大きな室町時代のお城だったそうで、当時はこのあたりが市の中心地でとっても栄えていたらしい。


 でも、今はそんな面影は全くなくて、お城だった山は木々が生い茂る、ただの丸みを帯びた緑の濃い山に戻っていて、大昔はココが流行っていたんだよって父ちゃんに教えられても、「へぇ~」っとしか答えることが出来ない位にのどかな田園が広がっているだけの、どこにでもありそうな田舎にしか見えなかったのだから。


 だって今の【姫倉市】の中心地は国分川の西側にあって、キレイに整理されて道も判りやすく碁盤の目みたいに区画された地域で、昔の城跡だってこっちの方が石垣が残っていて、見るからに綺麗に整備されている場所だったのだ。


 でもね、県庁所在地のお城の方が天守閣も残っていて、もっと綺麗なんだけどね。


 なんてことを考えながら、国分川の東側の河川敷上を走る旧国道を北に走って10分ちょっと、目的の【季の松原城】跡地に到着した。


〘おや、今日はお早いお着きですね〙


 少しだけ入り組んだ尾根の草生した古道を伝い登った先にある、とっても広やかな台地上の一角に出た僕を、いつものヒッピー姿でプロレスラーのジャイアント馬場並に背が高く、それでいてひょろっとした体格のお兄さんが出迎えてくれた。


「ごめんね。ちょっと早かったかな?」

〘いえいえ構いませんよ。しばらく散歩中の身の上なので〙


 そう云ってお兄さんは…。ううん〖ひょんひょろ〗は、僕を優しく出迎えてくれたのだった。


 


 


 


 

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