下剋上。
下剋上にて一旦、兵庫介と飯井槻さまの物語はおわりです。
あしたは慶長の世に引き継がれます。
遅くなりまして、申し訳ありません。
では、お楽しみに♪
飯井槻さまは、湯呑み茶碗を両手で握りしめ、スッ、スッ、と、床を擦り兵庫介に向かい足を進まれる。
「それを話す為に、わざとらしくも儂を誘い込んだのか?」
ジリジリ近付いてくる飯井槻さまに、兵庫介は内心ふるえ怯えている。
斯様なバケモノじみたモノと長年に渡り付き合い、しかも此まで巡りあったことが無かった種類の『ニンゲンらしきナニカ』だから故だ。
こう感じた傍からジットリ。汗の束が、彼の背中を伝い流れた。
「ふししし♪ よもや赤ん坊の頃より知る、わらわが怖いかの?」
屈託のない、年相応の十代の弾けるような笑顔に戻された飯井槻さまは、妙義殿が新たに運んできた『うこぎの煎じ湯』を、たっぷり注いだ素焼きの粗末な器に、自身が両手で抱えていた同じく粗末な碗とを交換して、兵庫介の居る庇の隣に立ったかと思った途端、ストンと座られた。
「わらわの下剋上は凡そ成った。国主家は時を左様に掛けずして枯れ草の如く自然と無うなり、他家も内争いや疑心暗鬼が尽きぬ様、とっくに手は打ってあるからのう♪ 勿論こちらも枯草のお仲間じゃ♪♪」
ニッカリ傍らで笑い、飯井槻さまは『うこぎの湯』を飲まれる。
だが儂は恐ろしゅうて恐ろしゅうて、湯を飲む気にもなれないでいる。
「兵庫介は意気地がないのわらわ如きにのう、ふししし♪ もしや其方の股についとるのは節くれだった枯れ枝と、それに巻き付いた皺った烏瓜の日干しかナニカかの?」
相も変わらず卑猥な奴だ。親の顔が見て見たいわ。
あっ、知ってました。
「まあの、確かにわらわの父は六郎じゃがの。それよりもじゃ、実はの、深志も茅野も目指していたところは大体同じでの、ただ手段が違うただけなのじゃ」
「と、とは?」
兵庫介は、少ししどろもどろに成りながらも、飯井槻さまと云う名の大蛇に睨まれた蛙のように身動きが抑え込まされており、悲しいかな話を聞かざるを得なくなってしまっていた。
「考えてもみよ兵庫介よ。どっちの家も此の国の立て直しを目指して立ち上がり、国の変革を目指しておったのじゃ。詰るトコロの、両者の間の違いと云えば〖国主家〗の扱いの違いのみ、極論じゃがこれだけだと云ってもよいの」
そう……。なのか?
「そうなのじゃ。じゃがの、これが一番の曲者での。父も旦那もわらわもの、此の国一番の癌は紛れもなく〖国主家〗の存在そのものモノじゃと断じていたのじゃが、深志家は此の国は〖国主家〗あったればこそ! そう思っておいでであったのじゃ」
ふむ、なるへそな。意見が平行線だな。
「左様じゃの、だから滅んでもろた。まあそういう事なのじゃ。そうの、わらわを怖がるでない、乙女心が疵つくわ」
いやいやいや、その発言も尋常じゃないのだが?
「左様かの? わらわは只今乱世のただ中におって、日夜命のやり取りをしておる積りなのだが、お主は違うとでも云うのか?」
うっ‼
「じゃろが、うっかりも左様に重なると如何にお主であっても次の瞬間には、奪衣婆に身ぐるみ剥がされ三途の川の渡し賃も足らぬ事になっておるやもしれんぞ。気を付ける事じゃな、ふししし♪」
あああ、やっぱ怖いよ此の御人。
「まあ良いわ。それよりもじゃ、兵庫介にはやってもらわなくてはならぬ事があったのじゃ」
はあ、早く逃げ出したいので何なりと。
「あのな、いい加減にせぬとわらわも怒るぞ?」
誠に申し訳ありませんでした!
「……ほんに憂い奴じゃのお主は(笑)」
勿体のうございます。
平伏した兵庫介の頭を優しく撫でながら、飯井槻さまはニッコリ微笑む。
「での、話と云うのはの」
はっ!
「これより直ちに西の国境の西端城に赴き、此の国への侵入の機会を窺う他国の者共がおっての、うざいので蹴散らして参れ」
「畏まってござる!して兵は如何ほど?」
未だ床に伏したままの兵庫介は、上目遣いで飯井槻さまに御伺いを立てる。
「兵庫介よ、ほんにお主は抜け作よの色々と、あのなよく聞くのじゃぞ? わらわが何故に深志との対決に一兵も失わぬよう手を配って滅ぼして、また直参軍を解散もさせずに手元に残しての、お主の軍奉行職も解かずに居たのか、斯様な事態を想定して負ったとは思いもせなんだのか?」
はあ、申し訳ありません。
「全く、教育のし甲斐があるやつじゃ。既に現地には伊蔵を派遣しておるでの、奴と示し合わせ、途中でどこぞを〘散歩〙しておるひょんひょろも、引きずり連れて行くのじゃぞ。 以上、何かある無しに関わらず、必ず連絡は絶やさぬ様気配り致せ」
「仕った!!」
こう叫ぶように任務を承知した兵庫介は、神鹿山城で待って居る右左膳と蕨三太夫や蔦巻右衛門に対して、すぐさま出陣を伝える早馬を走らせ、自身は飯井槻山城の麓に待機中の、茅野直参軍のもとへと愛馬を駆けさせていたのだった。
飯井槻さまお気に入りの忠臣、いや『忠犬、ひょご公』が、得意の戦で名を世に馳せるのは、まさにこの時からであった。




