優しき一族。(5)
優しき一族。おわりです。
明日はサブタイトルが変わりますが……。
では、お楽しみ下さいませ♪
さて、産まれたときよりずっと知っておる。と云うのは、その人のひととなりを多少ながらも理解している、筈か若しくはその気になっているものである。
でだ、その気になっている儂から云わせて貰うと、儂に色々小言を云い募りながらも実際には、全然別の話をしたいのではないか?
儂は既にそう思ってしまっている。
そう云えば、奇しくも今日は『深志一族』が季の松原城下は東に流れる國分川の南の畔にある刑場『四条河原』で、深志弾正以下、土豪共も含め百六十余名が処刑される日でもある。
もしかすると、ここら辺が飯井槻さまの何かしらの御気持ちの琴線に、キテいるのかも知れんな。
触れた、だったっけ?
まあ、いい。とりあえず此の話をぶつけて、飯井槻さまの御様子を伺うと致そう。
良い具合に妙義殿が『うこぎ』の煎じ湯を運んで来たからな。
そして話は、優しき一族。(1)の冒頭に巻き戻るのである。
「悔いておられるのか」
兵庫介は率直に聴く。小手先勝負とか気を利かせるとか、そんなのは面倒くさくて出来やしない性分だ。
「悔いては、おらぬ」
「左様か、ではなんで勿体振って儂を呼び出した」
兵庫介は御簾に正対し、じっと中を窺う。なんだって飯井槻さまらしくもなく、御簾に綴じ込もりっきりなのか、まるでらしくないではないか。
自由気ままに奔放に気の向くままが、当世の飯井槻さまの持ち味であるはず、斯様に消極的とも取れる態度を御取りになったのは…………。
「旦那が亡くなった時以来か……」
やべー。開けちゃいけない襖を開けてしまった。のかも知れんな、こりゃ。
が、今更そんなことを気にしても仕様がない。なんたってアノ? いや、此の飯井槻さまが儂を頼りにしてくれているのだ。でなけるば、あんな回りくどいやり方だったとは云え、古馴染みの儂を呼び出すわけはないからな。
それにしても、やっぱり厄介でめんどっちい姫御前さまだな。
「で、今回はなんだ? 話によっては力に成っても良いぞ」
「深志孫四郎の連歌に追い立てられておった時分には、助けては呉なんだのにか?」
くっ! よく覚えておいでで……。
季の松原の茅野屋敷で飯井槻さまが「まあ、来たぁ!」叫んび、儂が廊下で強かに腰を打ってしまった、あの出来事の折りの話だ。
「アノ時分は致し方なかろう。それよりアンタ、出立する儂らの邪魔をするような振りして、ひょんひょろに隠し巻物を渡しただろう?」
「なんのことやら、不憫なる耳故にのう」
なんだかな。
「儂がな、見逃すとお思いか?」
「ご免なさい。わらわがやりました」
んん?飯井槻さまの癖に、いやに素直に白状したな。どういう御積もりなんだ。
たぶん、巻物を手渡したのであれば、あの時だろうなあとカマをかけただけなんだがな。なにか変だ。
そう勘繰っていたところ……。
「つい最近までとある国に、とても優しき一族がいました」
唐突にも、もう少し遠慮があるだろうってくらいに、いきなり昔話風の話を飯井槻さまが始めやがった⁉
なに、なんなの、いったい。
「とても優しき一族は、優しさ故に義理堅く、義理堅い故に世の中に疎かったのです」
ねえ、飯井槻さまよ。アンタなに話してるの一体?
「左様に世間知らずの一族は、空の御城に住むように為られた、恩ある守護職様を世間から隠すそうと画策をはじめ、また一族の跡継ぎではあるけれど、聡明なれど軟弱故に世間様からの評判も宜しくない嫡男も、一族上げて盛り立てる算段もしはじめたのです」
ふむ、それは国主様と、深志壱岐守の事だな。
「彼らは此の国と守護職様の為、新たな一族の跡取りの為に健気に献身的に働き、四つの条文も新たに設け、旧い制度を改めましたが、働けば働くほど隠せば隠す程に重臣をはじめ、世間との解離が甚だしくなってきたのです」
成る程な、飯井槻さまは深志弾正と一族の仕出かした事柄を、昔語り風にして話されているわけか。
「そこで一族は考えました。国主家と一族の跡取りと、此の国を守り立てる仲間逹が是非とも必要であると、左様に一族は考え仲間を増やすことに決めましたが、かと言うて、そう易々と出来よう筈もなく、そこで一族は、やがては自らの身を滅ぼす手段に手を染める決意を致しました」
深志が国主家を敬う、護ろうとした。だと……⁉ なんだ、それは……。
だが、兵庫介の疑念を余所に、いつもとはあきらかに違う口調の、飯井槻さまの語りは終わらない。
「一族は先ず敵を創る事とした。最初はしがない小土豪であったが即座に潰れ土豪は逐電した。罪状は国主家への反抗とされました」
ああ、そうだったな。てか、飯井槻さまの真意はなんだ?
「次いで次いでと、実質的には一族に反抗的な土豪を潰して回って居たところ、いつの間にか三十一家もの土豪逹が与党となった。条文も制度改めも、これ総て跡取りの企みでしたが、一族は此まで名を為さしめる事とて無かった跡取りの為にと思い、喜んで協力した結果でもありました」
まあ有能ではあったな、暗い方向でだが壱岐守は。
「でも、御殿に隠して養生中の守護職様の心の歪みは広がるばかり、それに一族の改革を横暴だと反発する、貧乏暇なし二番家老を追い込み排除したところ、今度は昔から仲の宜しくない東の国境を護る三家の奉公衆が、一族を排除しようと謀反に及び、遂に
此の国にも『戦国の世』が現出してしまった。そして真しやかに一族をうしろから指してあけすけに、国中皆がこう噂しあったのじゃ……」
『下剋上』じゃとな。うふふ♪
実際のところ、此の優しい一族は壱岐守を中心に纏まり、一族きっての世間知らずである壱岐守を、一族上げて補佐し合い、足らぬところや行き過ぎなところは、弾正を中心に一族をあげて気を配りつつ、一介の幕府奉公衆から三番家老にまで引き立ててくれた、大恩ある国主家の恩為に尽くしてきただけ……。
彼らが真剣にやって来たことは、ただ、それだけなのであったのだ。
「深志はの、ひとの世には珍しい程に、素朴で純な一族じゃった。あれらが純粋なことは、国主家に直接繋がる者をたれひとりとして害したり、また追放や隠居なども行わなかった事を見れば、明白じゃ」
だが、世人はそうは絶対取らない。必ずや、善からぬ裏があるに違いないとしか受け取っては呉れまい。特に斯様に乱れた世の中ではな。
飯井槻さまは続けて云う。
彼らが排除したり討滅したりしようとした家は皆、『国主松九郎』君が治世を行う頃には、余りに愚かすぎて時代に付いて行けず、どころか糞の役にも立たない上に、寧ろそのうち、謀反などの火種になる危険性が高かったのだ。
空に頭が跳んでしまった国主様に成り代わり、われらが新しき国主家と此の国をもり立て、国主様が願った『日ノ本中に国主家の名を轟かせる』夢を叶えるのだ。
「正しく夢であったの、まあの、わらわも云わせて貰えば深志の奴等が潰そうとした家々は、わらわも何れは潰す積もりでおった家々での、その点ではわらわの茅野家は残そうとしたのは賢明であったし愚かでもあったの、それに夢ばかりを優先させては見えておっても、取捨選択は現実的に成らざるを得なかったのは、壱岐守の確かな力量故じゃな。ふししし♪」
そんな具合だから、真から現実としての下剋上を企んでいた、わらわの茅野家にコロッと負けるのじゃ。
そう云って、自ら御手にて御簾を開けた飯井槻さまは、バケモノとも妖獣とも、鬼神にも見える鬼気迫る御顔を成され、スッと立ち上がった。
結果として、彼女が率いる茅野家は勝った。
勝ったが故に、当然の帰結として深志家一党『百六十余名』は、間もなく死に逝かざるしか無くなったのだ。




