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優しき一族。(1)

さて、今回からは数日後の話からになります。



では、お楽しみに下さいませ♪

六月二日




「……今頃かの」

「今頃でしょうな」

「良い天気じゃの」

「良い天気ですな」


碧の紫陽花館の母屋の(ひさし)に腰掛ける兵庫介は、母屋の御簾の内に居られる飯井槻さまと『今日』について、肝心の話を御互いはぐらかしながら言葉を交わしている。



今日は國分川の四条河原で、深志一族が処刑される日でもある。


「見届けなくても良かったのか?」

「良かったのじゃ」

「見届け人は甚三郎様のみで良いと?」

「左様じゃの」


飯井槻さまは左様に(おお)せられ、普段から飲み慣れている『うこぎ』という、生垣に良く使われる樹木の若葉を、侍女たちと一緒に摘み乾燥させて煮出した熱い汁を粗末な木製の器に注ぎ、兵庫介とほぼ同じ動作で同時にゆるり干した。


「国主様もの……ああ御成りとはの」

(うつつ)()(ゆめ)(うつつ)の境目が無くなっておりましたな」

「どうやら心の(むしば)みは、若い時分からの様じゃの……」

「そして年と共に蝕みは(ひど)くなり、自らを将軍家と思うようになられた、と」

「左様じゃ。何故に幾十年にも渡り多量の銭米を浪費してまで、季の松原城を豪華絢爛にして参ったのか、これでわらわは(とく)(しん)がいったわ」

「はじめは(しゅ)()(しき)としての体面、ここ数年は妄想の中の将軍職としての体面……か。されど此度の一件で病もあかるみになり隠居も出来ました。あとは心穏やかに過ごされれば、病も必ずや癒えましょう」


うん。と、飯井槻さまは御簾の中で(うなず)かれ、ふうっと肩の力を抜かれたように息をつかれた。


「飯井槻さまよ」

「……なんじゃ?」

()いておられるのか?」








さて、碧の紫陽花館に於ける普段の飯井槻さまの生活態度は、一昨日まで過ごされていた季の松原城下の茅野屋敷とは、まるで違われている。


それは、何度も修繕したあとが残る擦りきれた着物を、臆面もなく身に纏っていることでもハッキリしており、毎日の食事についても、御自ら管理する田畑で神事にも奉られる稲や菜もの、芋に根菜類が栽培されていて、此れを屋敷で必要なだけを摂り、香也乃の神にも御供えして毎日を過ごされる、『質素』と云う言葉を親に仕付けられ身についた、生活を為さっている。


が、今日の飯井槻さまは、朝から何も召し上がってはいない。


逆に儂は此度の一件での働きを、飯井槻さまと参爺から認められて得た[内定]新領地の視察のため、早朝に大盛雑穀赤米を瓜の漬物と糠味噌汁でかっ込み、残った飯で団飯を固めて塩を刷り込み愛馬に跨がり、近習引連れ昨日帰城したばかりの【神鹿山城】から、崖っぷちと言ってもいい山道を下り向かっていたのだが、その時、不意に聞き覚えのある声に、呼び掛けられたのだった。


「あらあら、兵庫介様にこんなところでお会いするなんて」


と、しっかりしているように見えてその実、頭の中身はふわっふわした色白美人の『ふみ』が、供の地侍と農作業帰りみたいな農婦を連れて、脇に避けながら話しかけてきた。


「おお、斯様な山道で奇遇だな。して、ふみ殿はどちらに参られる途中かな?」


馬を止めて尋ねたところ。


「飯井槻さまより御休みを頂きまして、墓参りも兼ねて村に帰る途中で御座います」

「ほう、休みとな」

「はい、御休みです」


この時期に御休みとは、珍しいな。


「なにか、入り用な物なぞあるかな?例えば道中の飯やら水やらだが」

「あらあら、それならば」

「其れならば?」

「碧の紫陽花館をお尋ね下さいませ」

「はあ?」

「では、私は先を急ぎますので失礼いたしますね」


そう謎の言葉を言い残して、ふみは去っていった。


「なんなんだ?」


兵庫介は意味が分からないでいたが、だからと云って火急の用が碧の紫陽花館に有るわけでもなく、呼ばれもしてはいないので、当初予定通り、新領地[予定]に向かい馬を歩ませる事とした。


だが、また(しばら)く山道を進んでいると。


「えっ?あっ、兵庫介さま?」


今度は供侍連れの『(たま)』に巡り会ってしまった。


「あっ、えっと。朝早くから御出掛けにございまするか?」

「あ、うん。何かと忙しくてな。して、そなた、もしやとは思うが御休みとやらか?」

「えっ?どうして分かるんですか?」

「いや、何、先程ふみ殿と巡り会うてな、」

「あっ、なるほど。そうなんですね」


なにが?


「あっ、大事ありません。こっちのことで……」


なんなんだ。


「して珠殿よ」

「なんでしょう」

「うっ……」

「?」


すっと、眼を自然に合わせてくる娘だな。おじさんドキドキびっくりするわ。


「なんでしょう?」

「あ、いや何、道中の飯か水なりが、足りておるか気になってな」

「ああ、それなら大事ございませんよ。あとひと山越せばあたしの村ですから」

「左様か」

「はい!」


元気良く返事する娘は清々しいな。


「では兵庫介さま、先を急ぎますので御機嫌よう」

「あ、はい。御機嫌よう」


珠は笑顔で会釈し、宮中の女官の間で流行りの挨拶を残し立ち去ろうとした。


「そうそう、兵庫介さま」


道を少しだけ進み、忘れ物があったかのように振り返った珠が、兵庫介に再び話し掛ける。


「ん、どうした?やっぱ水なりいるか?」

「んふふ♪ そうではなくてですね」

「なんぞ?」

「ふみちゃん、なんか言ってませんでしたか?」


含み笑いしつつ、珠は何やら意味ありげに尋ねてきたのだ。


「あっと、確か碧の紫陽花館に行けとかなんとか……」

「では、その様に為されませ。では、御機嫌よう♪」

「はあ?」


そのまま珠は、駆けるように山道を西に降っていった。


「なんなの、いったい」


全く意味が解らないまま兵庫介は、もしも、何かあってからでは遅いと考え直し、一路、碧の紫陽花館に進路を変更したのだった。








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