常世に戻りて、偽り晴れて。
本文と事典を通じて何度か書きましたが、飯井槻さまは悪戯が大好きです♪
それに思考方法も、常人とは少々違います。
そんなお話し。
では、続きをどうぞ。
さて、下剋上の夢から強制的に醒まされた深志一族と、それに与した土豪一党は、簡単な現状認識力すらない金三郎の一件があったものの、飯井槻さまの言葉によって同じ様に慌てふためかされた事実は変わらなかった。
ある者は喚きながら何とかせよと土豪どもに云い募り、またある者は何故に誰も大広間に参らぬのか、ホントのところを確かめようと、閉じられた襖を開けて廊下に居並ぶ甲冑武者どもに詰め寄るものの、誰も相手にはしてくれず、またある者たちは、最後の頼みとして弾正の傍に駆け寄り、正気に戻るよう泣きわめく松九郎君そっちのけで催促した。
が、現実は無残である。
自ら進んで事態の収集に乗り出す一族の者も居らぬ中、垂水家の者に手引きされた蕨三太夫が指揮する一隊が、二ノ郭御殿に突入して来たのである。
「遅いぞ!」
「左様謂われても」
刀を懐紙で拭う兵庫介に怒られながら飯井槻さまに一礼しつつ、真っ直ぐ上座に向かった三太夫は。
「後免!」
と一言、弾正に取りすがっていた深志一族の輩を追いたて払い、ついで泪を流すだけの老人の膝から、国主家が嫡男である、真っ赤に目を張らしていた松九郎君を引き剥がして回収した。
「……哀れ。歴戦の猛将も子を喪うと……斯様になるのか」
三太夫はまだ、膝に何者かを抱いたままの姿勢を崩さない老人を見て呟いた。
「ささ、弾正様。参りましょう」
三太夫は捕縛しながらも優しく声をかけ、手を取って立ち上がらせ、ゆるり御殿より引き立てた。
「此でよかろう。余り揺らさず表に出せ」
兵庫介に倒されてからずっと、孫四郎の看病に当たっていた巻右衛門は、運搬しやすい様に四枚重ねの板敷に寝かせ、荒縄でぐるぐる巻き固定してから十人がかりで担ぎ上げ、御殿の外へと連れていった。
その他の深志一族も付き従った近習連中も皆、捕縛されて御殿より引き立てられ、十重二重に柵がされた城下の寺に押し込められる運びとなり、裁きの沙汰を待つ身の上になったのである。
また、深志派一党の土豪どもはそれとは反対側の、小高い丘の崖下の、見るからに寂れた寺に押し込めらる運びとなった。
そうは言っても直ぐ様、これらの作業が行われた訳ではなかった。
この季の松原城内には、深志家が送り込んだ数千もの兵力が存在しており、また彼らを指揮する将の数も、両手足の指ほどは存在していた。
これらの処理を引き受けたのが、元深志家武将・垂水源三郎とひょろひょんであった。
ひょろひょんはまだ御殿の制圧も、はたまた深志一族の捕縛も行われていない段階から活動を始め、不穏な噂を深志家の雑兵に化けさせた神鹿家の将兵と共に流した。
曰く、二ノ郭御殿の深志弾正及び孫四郎と一族全員は、既に裏切りにあい討ち死に。その証拠に御殿からは宴の歌舞音響は聞こえず、静まり返っておるではないか。そうであれば最早戦う道理はない。早急に軍勢は解散し逃げようではないか。
曰く、深志家が下剋上は大成功を収めた。今日より此の国は深志一族のものとなり、反乱も凡て鎮圧された。依って此れを祝う宴会が催され、祝いの使者として茅野家が神事を執り行う。その証拠に御殿は鎮まり、香也乃の神様のお越しをお待ちしておるではないか。そうなれば晴れて軍勢は解散し皆家路に着ける。
などといった、互いに相反する噂がまことしやかに流された。
相反する意見は、内部対立を産む。
何よりも田植えがまだ済んでいない百姓兵にとっては、より話しは深刻であった。
深志が勝っても負けてても構わない。早く帰って田植えなり農作業をしないと、来年の食い扶持が得られない。そこに此の噂が広まった。
聞けば相反する意見だが、たったひとつ共通する魅力的な部分があった。
どっちに話が転がっても、深志家の軍勢は解散せざるを得ないという部分だ。
そして百姓兵らの間で瞬く間に希望が産まれた。
兎にも角にも、深志一族が執り行う宴なり神事なりが有れば、やがて我らにとって良い話が舞い込んで来ることとなるだろう、と。
それは、意外な形でやって来た。
深志家当主、深志弾正が腹心の垂水源三郎なる武将がもたらせた、深志弾正、孫四郎及び一族の国主家に対する反逆罪による茅野家による捕縛。
深志壱岐守が拠る柳ヶ原城と、出陣中の深志越前守の軍勢から遣わされたという使者が、両者の敗死を報せる為、季の松原城の主要な三つの御門にほぼ同時に着いたのが、彼ら百姓兵の運命を自ら決めさせる口火となった。
万と居た、深志勢は一挙に自壊した。
「と、まあ此れがの、わらわがひょんひょろらに、やらせた仕事の顛末なのじゃがの。其れにしてもひょんひょろめ、垂水の行動に合わせ三つの御門に『ニセ』の使者をぶつけるなぞ、生半には出来ぬ仕様じゃの♪」
茅野主従と、保護されて上座に一人座らされた松九郎君以外、たれも居なくなった大広間で、生首が入った丸い化粧箱の蓋を順々に取り中を覗き込む。そして……。
「これ邪魔なのじゃ!」
そういって『戌亥某』と書かれた短冊状の紙を取っ払い、やおら化粧箱に手を突っ込み、生首の鼻をもぎってパクリ。
「あっまーい♪」
飯井槻さまは頬に手を当て、満足感に満ち溢れた御顔を為されたのだった。




