夢現の宴の……転た寝に。
転た寝気分の夢を、無惨に覚まして参りましょう。
では、お楽しみくださいませ。
「参りましょう。飯井槻さま」
老武士からもたらされた、皆様お着きになられました。との申し出に寄り、上座以外開け放たれた大広間に、飯井槻さまが御出座しに為られた際にも、再度湧くかの如くに土豪どもから溜息がもれたが、どうした訳だか深志一族からは感嘆の声も溜息も漏れず、妙に冷めた視線を浴びせかけられただけどあった。
まあ、飯井槻さまのおふざけの所為なので、儂からは何とも言えないがな。
実際問題として、今宵の宴に飯井槻さまは香也乃の神様としてお越し下さいなどとは、深志の誰からも請われてもいないのだ。
にも関わらず、飯井槻さまは予め用意されていた席順すら無視して、深志一族と傘下土豪どもの間の空いている隙間に居を構えたので、奴らの態度はあからさまでは無くとも、間違いなく心根は不満で一杯であろうな。
実のところ、飯井槻さまに用意されていた席と云うは、一段高い上座からみて左手先頭にあった。
さてこれを、少し視点を変えて、御殿の天井から眺めて見よう。
二ノ郭御殿の大広間を長方形として見た場合、上座からハの字に広がって、片側六席づつ用意されているのが深志一族の座席であり、形としては未だ姿は見せないが、ハの字の右側一番上に深志孫四郎、ハの字の左側一番上に我らが飯井槻さまが座るように計画されており、当然上座には、これも未だ姿が見えぬが深志弾正が座するように為されていたのだ。
これに対して下座側は、深志家傘下に与する土豪どもの席となり、横に交互に配列され二十席ばかりが並んでいる。
で、ちょうど両者の間に、配膳や酒の手配りを行いやすいように人が通り抜けれる道的なモノを、ワザワザ作っていたのだが、そこに飯井槻さまが左手から現れ、道を塞いで東向にドッカと座したのだから、深志一族としては折角の宴に水を差されたみたいで堪らないであろう。
しかも悪戯決行中の当の本人は、御顔そのものを大扇を丸くくねらせてまでして完全に隠してしまい、その上で素知らぬ振りを決め込んでいるので、此の場所から速やかに退いてもらおうと画策する深志側は、誰かがやんわりと引いて頂きたいと御伺いを立てても、対応する侍女兼巫女の二人に同じくやんわりと拒絶される始末であった。
「御苦労なこった」
「左様ですな」
「全くです」
兵庫介、巻右衛門、羅乃丞の三人は、皆したり顔で苦笑いである。もちろん近習や馬廻もである。
これでも我らは飯井槻さまの性格を、大体は見知っているつもりだ。
絶対あれ。楽しんでやっている。
飯井槻さまはそう云う御方だ。でなければ、我らとて遂忘れがちになってしまうのだが、彼女は帝にも繋がりを持つ藤原御一門に列し、香也乃の神様を御身に委ね囲い靈ひ、此の国の一等の名家、茅野家の姫御前にして御当主なのだ。
詰まり正真正銘、本物の。。。
『貴種』
なのだ。
左様に高貴過ぎるにも程がある、本来であれば御姿すら拝むことも出来よう筈のない御方が、「なんじゃ~♥」などと領民と親しく楽しく接しており、どころか、ひょろひょんや伊蔵に羅乃丞など、どこの馬の骨とも知れぬ素性の者共を抱えて使いこなすなぞ、通常ならば有り得ぬ事なのだ。
だがそれを、自然体にやってのけられる飯井槻さまの凄まじさ、恐ろしさを、此れから得々とお主しらは味わう羽目になったてしまったのだ。
まあ、宴には相応しいやも知れんが。
とは言っても、恐らく肝心の扇の中の人は、笑いが堪えきれずに到底、余所様には御見せできないお姿に御成りであろうよ。涎くらいは自分で拭けよと言ってやりたい。
「弾正少弼様、孫四郎様、御入来!」
そうこうするうち偉そうな呼ばわりが起こり、大広間に集う飯井槻さま以外が、我らも含め一斉に平伏する。
そしてそこへ、近習二人に大蝋燭二本を持たせた孫四郎が現れ所定の位置にさっさと着座した。
しかし、戦場以外では久しぶりに会うたが、相変わらず化け物染みた体格と背のデかさだわい。
兵庫介は僅かに頭をずらすようにして、孫四郎を観察しながら呟く。
次いで、一人の童を抱えた弾正が、上座をドスドス力強い足音と共に、これまた大蝋燭を捧げた近習二人を伴って入ってきて、これまた上座中央の厚い円座に座った。
「皆々、面上げられませぇ!!」
弾正の近習が発した声音により、この大広間に参集せし人数(飯井槻さま除く)が、一斉に恐縮しつつ面を上げる。そして……。
「「おおっ‼松九郎君が参られておる‼」」
土豪どもの幾人かから、驚きの声で以て弾正が抱えた童の名が上がったのだ。
ほう、初めて見たが、アレが阿呆の嫡男か。
兵庫介は弾正の右膝の上で呆けている、年の頃は数えで十か十一歳の国主様が長男を眺めた。
それにしても、あの阿呆は一向に表には出てこぬな。数年前なれば、呼ばれもせぬのに出て回っていた癖に。
「みなのもの、たいぎである」
「「「ははっ!!」」」
大広間に居並ぶ儂も含めた(飯井槻さま除く)有象無象の輩が、労いの弁に応答する。
ただ、松九郎様が言葉を発する前、囁きかける様に弾正が「せーの」と言ってたような気がしたが、まあ、いいか。
「のう爺、コレでよいか?」
「十分に御座います」
「そう?でもあのもの、そっぽ向いたままじゃぞ?」
「……左様で御座いまするな。では爺が、少し怒って差し上げましょう」
「うむ」
いっちょ前にふんぞり返って見せては居るものの、威張っている場所は相貌の皮が弛みきった通称『皮袋』が膝の上、その歳で未だに独りでは何も出来ぬか、小わっぱよ(笑)
「内膳正殿、なんのおつもりかな?」
飯井槻さまは、そっぽを向いたまま。
「聞いておるか内膳正殿」
飯井槻さまは、素知らぬ大扇持ち。
「どうしたのじゃ、爺?」
「今暫し御待ちあれ」
子供に催促されるという、大人としての屈辱を味はされた皮袋は、コホンとひとつ咳払いしたあと、こう優しげに問う。
「内膳正殿よ、何か御不満でも御有りかな?有るならば聴こうではないか」
我が儘な娘子の駄々っコネを、優しく爺様があやすように語りかけてきた。
「聴いて頂けまするとのことで、宜しいか?」
「んん?あ、あ、構わんぞ、宴の前じゃ、何なりと申すが良い」
それまで飯井槻さまと同じく、東の方角に体を向けていた巫女装束の侍女の珠が、臆するでもなく上座の皮袋こと深志弾正に正対して、再度重ねて話を聴くか確認した。
寧ろ、その真摯さに圧されたのは、弾正の方だったかもしれない。
「左様か。なれば羅乃丞殿よ。アレを……」
「畏まりました」
気圧されたままの弾正を横目に見ながら珠は、傍らに控えていた羅乃丞に、ここまで持参させていた丸型三重の化粧箱を、大広間の中央に一個づつ順に並べさせた。
「それは、なんだ?」
正体が掴めない弾正は、勘繰る。
「我らが『かの者』と、呼び名していた便利なる者共の……」
羅乃丞は全ての蓋を取る。
「「う⁉おお!!」」
「首級にござります」




