謀略(2)
第五十一部です。
また話は急展開いたします。
それではお楽しみくださいね♪
「礼儀などは構わん、面を上げよ」
「〘ははっ〙」
兵庫介と左膳は戍亥様に云われるまま面を上げた。
「して、また何用かな……」
再び面会した戍亥様の表情には、今朝方のような弾けた陽気さは一切無くなってしまっており、どこか物憂げな影さえ帯びて座られていたのだ。
「はっ、此度は飯井槻さまよりの書状を持参し罷り越しました」
「…書状とな…」
何かしらの気疲れを隠し切れぬ御様子の戍亥様は、ひょろひょんから折り畳まれた書状を手渡されたのだが、どうにも心ここにあらずで、文を開かれても、文字がすぐさま頭の中に入っていかれぬ感じで、時だけが無用に過ぎていくように思えてならなかった。
「………相分かった。我らと孫四郎は東の三家討伐組から外され、居残りとされたのじゃな」
〘左様にございます〙
戍亥様からの問いかけにひょろひょんは、いつもの無表情で応じる。
新町屋城に出掛けの際の謀議(一方的に飯井槻さまが話されただけとも云う)に於いて、飯井槻さま御自ら右筆も使わず《居るのだろうか?》に写されたという。『深志弾正』『深志孫四郎』『深志越前守』が連署で生意気にも遣わしてきた。
〖軍役に関することの内〗と記された書面を、それからも幾度も読み返してから。
「越前が東の三家討伐の大将になったのか……。きいたとお……。おほん」
「聞いた?」
瞬間、身も凍るような眼差しをされ兵庫介は一瞬怯むが、直ぐ平静を取り戻す。
「で、用事はこれだけかの」
「左様にございますが、軍奉行を拝命した身でござりますので、いつでも出陣できるよう、軍勢の態勢は整えておかなければなりませぬ故、罷り越しました次第で」
「成程、だが今更無用のことだの」
「何ゆえに、そう申されるので?」
眉を顰め兵庫介は物憂げな戍亥様に質問する。
「んん?ああ、お主にも加わって貰わねばならなかったのであったな」
「何のことでござる?」
その時、パシッ‼パシッ‼と、頭を叩く音がした。戍亥様であった。
「悪いがひょろひょろよ、そちは席を外してくれまいか。たれぞ在る!」
「御側に」
「うむ、ひょろひょろを連れ、表御門の番所に控えておいて呉れぬか」
「心得申した。ささ、ひょうひょん殿参りましょうぞ」
〘くれぐれも慎重にお話を為されませ〙と、兵庫介に耳打ちを残して部屋をあとにした。
その後、代わりの近習が入って来て次の下知を待つ姿勢を取る。
「あの者を是へ」
指示を受け、静かに部屋を出た近習は、間もなく一人の男を連れて戻って来た。
「これはこれは、兵庫介殿。斯様な処でお目に掛かれるとは思いませなんだ」
「お前は、なぜ此処に……」
兵庫介の目前に立っていた人物。それはあの深志弾正が懐刀、垂水源三郎正辰であった。
「この者を知っておるのか」
「先日、御城は蒼泉殿にて接待を受け申しました。が、戍亥様は、いつ、どこで、なんの所以があって此の者と親しくしておいでか」
「そう急くな兵庫介よ、ワシも昨年来より垂水殿からしつこく調略を受けておったのが、昵懇になった切っ掛けかの」
なるほど、伝手を頼ると、ことさらに戌亥様が言ってたのはコヤツのことであったか。
「とは申しても、それ以前から親しくはしておったのじゃがの。ほれ、云うてもワシは、飯井槻さまより兵権を託されておる身の上だからの」
聞けば、戦場で深志側と協議する際には、必ずと言ってよいほど垂水が席に顔を出し、時には重要案件の折衝役を務めるなど、軍奉行と変わらない働きをしていたようだ。
「なんの、拙者如きが軍奉行などとても務まりませぬ。身分も外様の端くれでござりますれば、御隠居様の御寵愛あったればこそ、今では枢機に参画出来得る立場になったのでございます」
などと、自身の出世具合を、妙な言い回しで謙遜してみせた垂水は、コホンと一つ咳払いをして仕切り直しをする。
「では、早速で恐縮ではありまするが兵庫介殿、我が深志家と茅野家の微妙な関係の修復に御尽力いただき、御隠居様に成り代わり御礼申し上げまする」
威儀を正した垂水は、惚れ惚れする様な所作で深々と辞儀をしてみせた。
「左様な事はござらぬ。儂は只、飯井槻さまの御為のみを思い働いておるだけのこと」
部屋から立ち去るひょろひょんから、くれぐれも慎重になどと念を押されたのが気に喰わぬが、これも飯井槻さまの御為、心にもない言葉を吐いて耐えねばなるまい。
無論、本心では深志家をすり身になるまで叩き潰したい。その思いだけは誰にも負けないがな。くそっ!
「いえいえ御謙遜を、兵庫介殿の御尽力により、我が主たる御隠居様の誤解もすっかり解け申し、予てよりの懸案であった御婚儀の件も、つつがなく執り行えると申しても過言ではありますまい」
「…それは誠に痛み入る」
「ついては婚姻の後の、両家の家臣の取扱いについてでござりまするが…」
そら来た。次男坊が引き連れて来る深志家の者共の食い扶持を、我らに肩代わりさせる話だな。
「孫四郎様に付き従う人数は大凡百五十人、これには彼らの妻子の数は含みませぬが、茅野様の負担や誤解を招かぬ様、深志家が責任を以て知行を新たに当家で加増したのちに、遣わさせていただきます」
「えっ?」
「また茅野家の皆々様に対しても、身分も御役目もこれまで通り安堵させていただき、此度の一件が片付き次第、大いに加増させていただきまする」
「は?」
「更には茅野家の政につきましても、今まで通り不都合なく執り行えるよう図らせていただく所存にござります」
「なっ⁉」
深志家側が示した好待遇に、兵庫介は思わず口をあんぐりさせてあたふたしてしまっていた。
「垂水殿よ、儂は飯井槻さまと茅野家の御為になるならば、多少なりとも知行を削られようとも致し方なしと考えておった。それが蓋を開けてみればこの手厚さ、是非聞かせてほしい。一体どのようなからくりがあって、斯様な大盤振る舞いが出来るのだ」
「我が深志家が、此の国の守護職たる国主家を滅ぼし取って代わりまする。よもや、負ける等とは思いになりませぬよな?」
「くっ!」
「これ以上の説明が要りますでしょうか、兵庫介殿」
「っ…」
確かに垂水が申す通りだ。
此の国で最大所領を領有する国主家が滅び、東の三家が滅び、穂井田家が滅び、深志家が国を乗っ取った暁には、深志側に与したものの東の三家や穂井田様との戦に敗れ、為すすべもなく滅んだ土豪連中は申すまでもなく、この期に及んで親深志派になった添谷家や、これに付き従う者共もまとめて皆配下成るか、はたまた順次滅ぼされるであろうしか残された道はない。
爾後、深志家は名実ともに国の主となり、滅ぼした奴らの領地を配下にへりくだった者に褒美として、自由に再配分することなど造作もない。
垂水はこの単純な、単純すぎるモノの通りを儂に説いているのだろう。




