飯井槻さまの巻物(2)
第四十一部になります。
さて、ここまでの話はどうですかね?
皆様に楽しんでもらえていたら良いのですが。
ではまた、明日のお話をお待ちくださいね♪
「ここに記されております通り、我らが茅野家の兵四千を除いて三万六千であれば、この他に各々の領主の根拠地にも兵を残してあると考えた方が、無難でしょう」
「それらも含めれば三万六千どころの話では済まぬ」
「敢えて兵数を多く見積もり、総勢四万を超えると踏んだ方がよさそうじゃのぉ~」
何か物思いに更けながら戍亥様が申されると、グッと腕を組み、眉間に太いしわを寄せられた。
もう、どのような奇策があろうとも、軍勢の数の圧倒的優位性という凄まじい現実の前では、吹けば飛ぶような茅野家の軍勢の存在なんぞ、深志家には物の数にも入っていないであろうな。
仮に、我らが死戦覚悟で深志家に対し決戦に及んだところで、敵方に多少の手傷を負わせる事は出来ても、結局のところは壊滅し、良くても飯井槻山城か新町屋城を枕に総員討ち死に、悪くすれば味方にも裏切られた挙句の晒し首であろう。
それに孫四郎を主将と仰ぎ規定通り東の三家に挑んでも、茅野家の軍勢は深志家と諸勢力との体面もあり、大軍の中の一軍扱いが関の山で、せいぜい重要な突入勢力の一方を任されて、深志家の軍勢の代わりにこき使われ擦り減らされるか、孫四郎の采配次第では擦り減るどころか奴共々、此の世から消えてしまいかねない。
いや、間違いなく消えちゃいそうだな、あの阿呆の孫四郎だもんな。うん。
そうなる前にいっそのこと、皮袋や孫四郎ごと深志勢が一網打尽に壊滅でもしてくれないと、どうにもなるまいな~。
「これでは東の三家がどう足掻こうとも、先が知れておるのう」
戍亥様がお天道様を手をかざしながら眺め、昼間なのに途方に暮れる。
無理もあるまい、東の三家は勇ましく戦い、現在までは勝ちまくってはいるが、違う見方をしてみれば、大いなる全周包囲と云う罠に誘い込まれている前兆に過ぎず、ある程度進撃させて、季の松原の御城に接近した頃合いを見計らい、鋭く刃の如き大軍で足止めしたのち攻囲殲滅をされるに決まっているのだからな。
そして先日、茅野屋敷での飯井槻さまとの会話を思い出して嫌になる。
今の深志に戦を挑んだところで、万に一つも勝ち目はない。
「東の三家は勝ち進めば勝ち進むことによって、自ら死地に赴いておるのだな。そうだろう? ひょろひょんよ」
「左様にござります」
「兵庫介よ、それはいったいどういう事なのだ」
こくりと頷くひょろひょんを他所に、戍亥様が訝しりながら此方を見やる。
「さればでござる…」
兵庫介は、先程まで羊羹を乗せていた二枚の奉書紙を丸め板間に置き、更に茶碗と盆を等間隔に並べてこういった。
「この丸めたる紙の一つは深志方の土豪にござる。そしてこの茶碗の一方は東の三家にて、また盆ともう一方の紙は季の松原に籠る深志家が本隊にござる」
「ふむ、してもう一方の離れた茶碗は何を表しておるのじゃ?」
「壱岐守が擁する柳ヶ原の軍勢にござる」
「ほほう」
兵庫介はコトリと茶碗を板間に据え、その前方に紙を置いた。
戍亥様は儂が並べた軍勢に見立てた小道具類を、しげしげと眺めまわされる。
「して兵庫介、これをどう動かすつもりか?」
流石は戍亥様、儂が是から見せようととする各軍勢の機動にすぐさま興味を持たれたようだ。
「では先ず、此方の茶碗を表街道筋まで進出を果たした東の三家の軍勢とします」
「うむ」
「で、此方の丸めた紙を東の三家を足止めする土豪共の軍勢とします」
「ふむふむ」
「で、此方に置いた盆は季の松原城に駐屯する深志の大軍勢と成し、また此方のもう一方の紙は盆にのせ、これを孫四郎が指揮を執る東の三家討伐軍と成します」
「ふむふむ、なるほど。してこっちの茶碗は壱岐守が大将を務める柳ヶ原城の軍勢となるのじゃな」
「左様にござる」
もし、天井に目があると仮定して、兵庫介が置いた軍勢を模した道具類を眺めてみれば、北方には季の松原城を狙い南下しようとする東の三家の軍勢がおり、その行く手を塞ぐように土豪共の軍勢が陣を張り待ち構えている。
その東の三家が向かう先の季の松原城には、二万一千余の軍勢を擁する深志弾正が指揮を執る深志軍主力が待ち構え、その中にあって出陣間近の孫四郎の軍勢が待機している。
この季の松原駐屯軍の西側に深志家次期当主の壱岐守が、本拠地【柳ヶ原城】七千五百の軍勢を揃え、なにかあれば即座に動ける体制で待ち構えていた。
これにかつての国主家二番家老であった穂井田様の監視を行う二千五百の軍勢を差し引いても、残りは三万六千の中で五千騎程余り、恐らくはこのうち東の三家の進撃を阻む土豪の軍勢は二千騎内外であろうと思われ、残りの三千は各地に居残る、例えば鱶池金三郎のような役に立たない数合わせの軍勢や潰しの利く軍勢と、深志弾正でも動かしがたい国主様の直轄軍であろうことは容易に想像できる。
それにしても此の国の守護職である国主家の軍勢が、拙い儂の予想でも一千余騎程度でしかなく、たったそれだけしかいないことに、時代の移り変わりの激しさが如何に強大であるかを知らされた。
「で、これをどうする?」
戍亥様は毛一本とて無い頭に手を置き、上目遣いで各軍勢の行方を問うてくる。
「某が思うに、東の三家は迷わず前方の土豪を打ち破りにかかるでしょう」
「勝てるか?」
「勝てましょう。深志方はよもや包囲が簡単に破られるとは思って居らなんだ様子。その証拠に東の三家の周辺の土豪共は領地を易々と奪われ申しました」
「なるほど」
「恐らく、行く手を阻む軍勢も急遽派遣された者共でしょう。であれば、築いた陣もにわか作りで抱える軍勢も少なく、文字通り数日持てばよいものとなりましょう」
「言われてみればそうやもしれぬ」
戍亥様はまたも腕組みしつつ、置かれた道具類を眺めておられる。
「という事はじゃ兵庫介、わしが察するにこれら土豪共は捨て駒にされような」
「左様にござる。それも深志の狙いと考えて間違いありますまい」
「とは?」
「深志は此の国で下剋上を行いつつあります。であるならば、共に歩む船頭は少なければ少ない程、国を思う様使えるというものでござる」
「その為にも潰せるうちに使い潰そうとして居ると、お主は申すのじゃな?」
「左様」
そのように言った途端、戍亥様は少しばかりほくそ笑んだのを儂は見逃さなかった。
何か、御心の内に隠されて居られることがあるのだろうな。だが今は、それを問いただす時期ではない。
「とすると、勝ちに乗った東の御三方は勢いに乗り更に先を急ぎ、包囲を強める深志の真っ只中へ飛び込んでまいるのじゃな」
こう言って戍亥様は道具類に手を出され、勝手気ままに動かされ出した。
「お主が言いたいのは、つまりこう云う事であろう」
戍亥様が動かした東の三家の軍勢を模した茶碗は、土豪の紙を踏みつけ季の松原の傍に寄った後、孫四郎の紙に再び行く手を阻まれ対峙した横合いを、壱岐守の軍勢に突かれる形を成していた。
「その通りにございます」
「だろうの、これしか無いからの」
もしも同時期に領地と兵員を大幅に減らされた穂井田家か、はたまた深志の次の標的にされ、困ったことに家中が分裂中の添谷家が武力蜂起したところで、無傷の季の松原城の軍勢が差し向けられ抑え込まれ、壱岐守か孫四郎のどちらか、またはその両方から挟まれてしまい、東の三家と同じ憂き目に合うであろう。
もしくは、未だ動かされていない土豪どもを用いて、束の間の抑えを任せたあと、その壊滅と引き換えに同じ構図が出来上がるに違いあるまいし、また仮に、壱岐守か孫四郎の軍勢の機動を読み、これを殲滅しようと企んでも、そもそも七千余内外になるであろう大軍を打ち破る術は余りなく、そうこうする内に挟まれ全滅するのは当然の帰結となるであろう。
その様な場合に於いても未だ、弾正の手元には十分すぎる大軍勢が残され、新たな脅威に対処可能であるのは自明の理であるのだが。
なんたって東の三家や穂井田様、これに添谷様が寄り集まっても総勢八千もあればよく、しかもどの家も距離が離れており連携など考えるだけ無駄で、そこに深志の大軍勢のど真ん中に駐屯している茅野家が加わったところで死ぬだけであろうからな。
もはや各個に撃破される構図しか見えない。しかも深志は烽火台に伝舎の早馬など、情報の迅速な伝達にも怠りが無いと来ている。
まさに飯井槻さまが仰っていた、深志に真正面から挑むのは意味がない通りの構図であったのだ。
ああ、奇襲なんか企まないでよかったわ。
「して兵庫介、此の事、飯井槻さまは御存じであろうか?」
戍亥様が眉間の皺をこれでもかっと思えるくらいに寄せ上げて、兵庫介は問いかける。
「御承知でござりましょう。実は先日、斯様な話をし申した」
兵庫介は包み隠さず、飯井槻さまから即座に否定された自身の素案を披露した。
「なるほどの、左様な事があったのか、飯井槻さまの御知恵を以てしても深志には敵わぬと申すのだな」
「いえ、左様なことは…ありませ………」
こう言い返そうとした兵庫介を、戍亥は左手を上げ押しとどめた。
「もはや、伝手を頼る他なし」
何かを悟られたらしい戍亥様が、儂やひょろひょんと羅乃丞を手で払い、書院から立ち去る様に促された。




