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飯井槻さまの巻物(1)

またサブタイトルが変わります。


今回からは飯井槻さまの巻物になります。


では皆さま、のんびりお読みになって下さいませ。

「ちゃちゃっと読み込んで覚えてくれの」

「はあ……」


 読めも糞もないであろう。


 茅野家秘伝の軍法が書かれた秘書が読めると期待しておったのに、実際に差し出されたのは、貧相な懐紙に(した)められた僅か八文字でしかないのだから、儂の気の抜けようは半端ない。


もしかして、飯井槻さまに遊ばれてるのかな儂?


なんだろ。謀叛てどうやったら成功するのかな?


「まあ、一応覚えました」

「なれば燃せ」


 不穏すぎる考えで頭が一杯になりかけた兵庫介は、戌亥様に言われるまま手元に蝋燭の灯った火皿を引き寄せ、懐紙に火を点け燃やした。


「これからは任せたぞ」


 燃え尽きる懐紙を突きつつ、ニコニコ笑顔の戍亥の爺さんは儂の手を握り大層喜んでいる。


 それに反して兵庫介はと云えば、これだけの為に半日かけて新町屋城まで赴いたのかとガッカリし、気負い込んでコリコリになっていた肩の緊張も一気に抜けきってしまい、徒労に満ちた表情も隠せないでいた。


 これのみで儂にどうしろと云われるのだ、飯井槻さまよ。


 軍事(いくさごと)と云うのは、先ず事前の情報集めから始まり、いざ戦に備えて、数々の縁起かつぎを含めた仕来りの準備やら、適切な軍勢の用意やら、蓄えるべき物の集積やらと、実際の戦に及ぶまでの間にしなくてはならない雑事が多く、九割方これらに忙殺される日々といっても過言ではあるまい。


 だが、茅野家の秘伝の書にはこの様な重要事項について、一切書かれてはおらず、書くことさえも放棄していたのだから、軍奉行の大役をいきなり任され、神鹿家由来の知識と経験しか持たない兵庫介が当惑したのも仕方がなかった。


「ワシは此度、飯井槻さまより(いくさ)目付(めつけ)を仰せつかってのう、突然のこと故弱ったのじゃが、兵庫介を試されよと仰せつかったのでな、ならば、そうすることに決めたのじゃ」

「で、ございまするか…」

「その際に下されたのが、この陣羽織よ♪」

「…左様で」


 またも立ち上がり、陣羽織をフリフリ舞い踊り始めた戍亥様にもはや、笑いすら起きない。


「はい、もういいです……」


 そう言って兵庫介はこの話を打ち切ることにした。







「では、こちらをご覧下さりませ」


 羅乃丞は神妙な顔を覗かせ、戍亥様の寝屋の板間の上に置かれた巻物を指示(さししめ)した。


「これをどこで手に入れた?」

「本日、御社さまよりお預かりいたしました」


 飯井槻さまから、とな。一体コヤツがどうやって手に入れたのだ?


「直に手渡された(まき)(ふみ)にござりまして、戍亥様と兵庫介様に託すように仰せつかりました。詳しい経緯は分かりかねますが、内容が内容にて新町屋城内にて吟味せよと、申し付かっております」

「あ、そうなんだ」


 まあいい、いずれ手にした種明かしはさせてもらう。しかし軍奉行に成らされた途端、早速、茅野家の枢機に関わることになったか。


 そんな身分に引き上げられた事実に兵庫介は、嬉しくもあり、またむずがゆくもあった。


 てか、飯井槻さまは矢張り喰えない御方だ、右も左もまるでわからぬ儂をコキ使う気満々なのだからな、やれやれ。


「これには、御社さまが直接お会いになられた弾正や孫四郎をはじめとした深志重臣より伺われた話や、同じく御城内で見聞き為されました事なぞを、本日、孫四郎との休む間とてない連歌の合間を縫いながら、細目(こまめ)に纏められたものにござります」

「えっ、この分量をか?」

「左様でござりまするが、何か不都合でも」

「……いや……」


 軽く巻物が一巻分ある。どういう頭の使い方をすれば、僅かな時でこの様な代物が出来得(できう)るのか。


「飯井槻さまは賢くあらせられるからのう」


 戍亥様は、うんうんと頷き、読みごたえ満載の太い巻物の感想を述べられた。


「あっ、うん、ですね。それでは中身を吟味致すとしましょうか」


 しかしこれは、なんとまあ立派な太巻きなこと。


「飯井槻さまの御手を、我らが知恵を出し合うことで、少しでも(かろ)うするお助けになればよいがのう」


そうなれば一番良いのだがなぁ~。しかしだな、この巻物に記されている凄まじい数の文字の羅列を見た瞬間、一気に気が失せそうになってしまうのはなぜだろうな。


「僭越ながら(わたくし)が読み解きまするが、よろしいでしょうか」

「頼む」

「畏まりました」


 羅乃丞は、太巻を丁寧に紐解きサラリと寛げた。


「国主家に反旗を翻した東の三家の対処を任された、深志派の土豪五家は、包囲網を破られた上に各個に押しまくられ既に敗亡いたし、抑えに派遣された土豪共も成すところなく陣地に引き篭もったままであるそうな」

「おおう確かに。ここにほれ、深志が援軍として土豪三家を派遣したが、東の三家との兵数の差から手をこまねき、陣から一歩も外に動けぬと記されておるぞ!」


 あっ、すっかり戍亥様の変な踊りで調子を狂わせられておったが、儂はまず最初に戍亥様にお伝えしなくてはならなかったのは、この『東の三家の勝利』ではなかったのか?


 これ伝え忘れていた儂、いろいろヤバくない?


「ああ、それなれば心配せずともよいぞ兵庫介、既に先程定番からの報せで伝えられたからの。それにこの飯井槻さまの巻物を読めば一目瞭然じゃからの」

「申し訳ござらぬ」


 深々と頭を下げ謝る儂を、戍亥様はそんなことより巻物を見よと催促される。ありがたい。


 でもまあ、戍亥様の仰る通り、確かに東の三家の快進撃がつらつら書かれておるらしいのだが、ついでに『それ見た事か、ざまあみ晒せ』とも書かれているのが、無性に気になってしようがない。


 てかね、戍亥様も読むのに苦労されておるようなのに、それが僅かでも読み解けると、物凄く嬉しいみたいな、なんとも云えぬ可愛らしい顔を為さるのが、儂にはなんか悲しくて辛くてたまらない。


 ああ、いつものんびりした茅野家中では例外的に一番の猛将と云われる御方なのに、台無しだわ。


 しかし巻物に書かれた文字をなぞりながら、冷静に読解を進める羅乃丞を横目で眺め、よくもまあ、こんな蛇がのたくったみたいな汚い字を、すらすらと判別出来るもんだと感心する。


 飯井槻さまが書かれている字ときたら、心の叫びとも思考のうねりともつかぬ、性根の歪み切った文字列が、整然と記された正規の文章に入り交じり、摩訶不思議な文体を織りなしておるのだから、読み手にとっては堪らないであろうにな。




〘我らが事前に調べましたところ、蜂起直後の東の三家の軍勢は凡そ(およそ)二千五百余、されど、今や兵四千余にまで膨らんでおりますれば、たかだか近場の土豪三家を赴かせたところで、無しの(つぶて)にございましょう〙


 ひょろひょんはいつもの無表情に押し殺した声で呟く。


何故(なにゆえ)それほどまでの大所帯になったのだ?」


 兵庫介が不思議そうな面持ちで尋ねる。


「はじめは様子見を決め込んでいた周辺の地侍や、働き場である戦の臭いに引かれて集まって参ったものの、どっちに付けば得かの値踏みを量りかねていた牢人共や野武士どもが、東の三家が敵の五家を続けざまに打ち破り、楽々と拠点を切り取って行く様を見て、三家に(くみ)する方が得だと考えを決めたからにござります」

「なるほどな」

「風見鶏の牢人や野武士共を味方に引き入れるとは…やりおるのう」


 儂と戍亥様は感嘆の声を発する。


「はい、これに三家に味方をするならば、今年の年貢は免除するとの約定を取り付けた敵方の百姓らも加わったことで、深志方も予期せぬ大軍になったと聞き及んでおります」


 羅乃丞が商人らしく理路整然(りろせいぜん)と、現在の東の三家の状況を応えていく。


「……にしても、よもや勝ちに勝っておるとは意外ではあるの」


 戍亥様が、予想もして居らなんだと云わんばかりの表情で、ひとりごちる。


 恐らく戍亥様からしてみれば、東の三家は反旗を翻しはしたものの、強大な深志家の圧力に碌な策も持ち得ず、味方になってくれる家も居らず、領地を確保するのに汲々(きゅうきゅう)とし、下手をすれば出戦(しゅっせん)もままならぬ状態と思うておったのだろう。


かく言う儂も、かつてはそう思っていた。


 だがそこは、流石に戦上手で鳴らした東の御歴々方だ。先ず間違いなく、恐らくそこには飯井槻さまとひょろひょんらの入れ知恵があったであろうが、同じく戦上手として鳴らす戍亥様の予測に反し、相対する敵を素早く打ち破ったのは、紛れもなく東の三家の実力なのだから驚かれるのも無理はあるまい。


「ん?今ちらりと読めた様な気がしたのだが、えと、なんだって、三家を討つべく御城に寄せられた深志家の軍勢の大将の名が、あの馬鹿力に読めたのだが、見間違いかな?」


 巻物の文字の書きなぐり具合がひどすぎて、訳が分からないよ。


「いえ、確かにその様に書いてあります」

「うむ、間違いないのう」


 羅乃丞と戍亥様が同意する。


 よぉぉく目を凝らして文字を眺めていたら、成程分かった。


 孫四郎が父である皮袋に言い募り、奴の回りを戦に()けた者達で固める事を条件に、東の三家の討伐軍の大将に指名された、とな。


 何の御冗談かは知らんが、あんな力だけの阿呆に大事な一軍を任せるとは、深志弾正は手の込んだ自刃の方法を考えたもんだ。


「深志は自滅する気でおるのか?」

「深志越前守や戦慣れした歴戦の武将を側に付けてはいますが…」


 う~ん。と、戍亥様と羅乃丞が考え込む。でしょうね。


「実際に采配を握るのは、あの突撃馬鹿だからなぁ。数が多ければ多いほど手に余り、()(とも)な指揮など期待するだけ無駄なんだが……」


 軍勢は数が多ければ良いというものではない、その戒めは古今の史書が口を酸っぱくしながら繰り返し教えてくれる。馬鹿が何も考えず、意地や見栄だけで掻き集めだけの大軍勢は、どう転んでも負けるとな。


 和歌や短歌、音曲などには興味が持てない兵庫介は、古今の兵書や農学本と云った実用書にはだけは興味を持ち、暇になると寝る前に読んでいたので、ついつい得意げな顔になって、孫四郎軍の敗北を予想して胸まで張って悦に入っていたところ。


「兵庫介、あまり声に出して言いたくはないのじゃが、どうやら我ら茅野家は、残念なことにそのバカの軍勢に加わるみたいじゃぞ」

「へ?」


 兵庫介は気の抜けた声を発し、思わず戍亥様を二度見してから、掴みかかるように巻物を押さえ付けてジッと見据えた。


「くそ、我らは災厄に巻き込まれる側になるのか……」


 もうね、絶望的な未来しか見えてこないんだが、どうしよう。


 こうなれば致し方無し。どうにかこうにかやりくりして、兵を一兵たりとも無駄に失わず、出来る限り全員を連れ帰る術を取り敢えず考えようか。


 まあ、いつもながら、今は全く思いつかないのだがな。


「羅乃丞よ、何か良い策はないか?」


兵庫介は恥を忍んで羅乃丞に問うた。ちょっとでも兵を生き残らせる手が直ぐにでも欲しいのだ。


「流石に、そこまでは思い付きません。申し訳ありません」


 微笑みながら困った顔をした羅乃丞が答えた。やはり無理な話であったか。


「されど、主であればよい手を思いつくやもしれませぬ。また畏れ多きことながら、飯井槻さまでありましたら、或いは……」


 口籠(くちごも)りつつ解決策を考え付きそうな人の名を挙げる。


〘無理ですな〙


 相変わらずの無表情ぶりを発揮していたひょろひょんが、手短に応える。


「……だよね」


 兵庫介は素直に肩を落とし、落胆する。


〘そうではありません。弾正ならば無碍に息子を貶める手立てなど致さぬ筈。でありますれば大軍を催し、尚且つ戦を挑むからには、必ずや勝つ手段を講じておりましょう〙

「そうであればいいのだがな」


 ひょろひょんは弾正がやるからには、必勝の策で戦を仕掛けているであろうと申したが、実際に戦を行うのは馬鹿力だけが自慢の一人戦上手の男、孫四郎なのだ。


 ただ一人か少数で戦う合戦ならばいざ知らず、いくら周囲を戦好手で固めたところで、あやつはそれらを無視して無謀な策を取ったならば、誰がそれを掣肘(せいちゅう)出来得(できう)るのだろうか。


「それにしても、何と云う恐ろしい兵の数じゃ」


 戍亥様が呻くように呟いた。


 巻物に曰く。深志方の総勢、実に三万六千余であると。


「間違いなく、此の国始まって以来の軍勢でありましょう」


 羅乃丞も、やや困惑気味である。


「ふうむ、想像していたよりも一万チョイばかり多いなァ」


 兵庫介は既に二日前、高台の上から大蛇(おろち)の群れのような深志の兵共を眺めているので、二人ように初々しい反応は示さなかったが、もし真正面から戦に及ぶ破目になれば、茅野勢に万に一つも勝ち目がないのは判っていた。


「ここ、季の松原に二万一千の軍勢じゃ」

「それに、南の穂井田様の監視に二千五百人ほど置いてありまする」

「深志の本拠地、柳ヶ原にも、七千と五百も兵が控えているのか」


 う~~ん。と、ひょろひょん以外の儂を含めた三人が、巻物を前に雁首(がんくび)並べて唸りを上げてしまった。


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