参の家老の戍亥様(2)
第三十九部になります。
皆様、初めて出てきた参爺の一人、戍亥様はどうでしたかね?
大分すっとぼけた感じの爺さんですが、これでも茅野家の軍事を担当してきたので、たぶん、えっと、相当な人物の筈です。
それでですね、いつか最初の項に人物事典的な何かを作りたいとも思っています。
では、第三十九部をおたのしみくださいませ♪
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「はて、何をしておいででございまする」
囁くような抑揚のない声を発して、誰かが奥書院に入って来た。
笑うのを堪えるため、口と腹を押さえた板間でのたうち回っていた兵庫介は、転がりながら後ろを向くと、青空の青さを、そのまま映しこんだような直垂を着用した若者が、ひょろひょんと共に盆に茶碗を乗せて涼し気に立っていた。
「おお、茶を持ってきてくれたのか、いつもながら気が利くのうひょろひょろ殿よ、それに、そちらの涼やかそうな若武者もの、いや有り難く頂戴いたすぞ」
妙な舞を止め、戍亥様は上座の前に座られた。が、なぜだか今度は満面の笑顔で顔を左右に揺らし始められたので、もうこれ絶対ワザとやってるとしか思えない。
「兵庫介様もお召し上がりくださりませ」
涼やかな笑みを浮かべた若者は所作も美しく座り、流れるような動作で茶碗を戍亥様と儂の前に据えた。
「思い出したぞ!お主、ひょろひょんの供侍の片割れか!」
「その節は挨拶も致さず、誠に失礼を致しました」
丁重に頭を下げて先日の詫びをした若侍は、茅野勢の集結地である田穂乃平で出会ったひょろひょん配下の一人で、名を〖狩間羅乃丞公俶〗と申すそうだ。
うん、もうね。危なすぎる名は勿論、さねや伊蔵と同じく飯井槻さまの命名である。
まあ、ですよね。名も姓もやばいわ!あの姫御前はホントに馬鹿じゃないかな。
ま、まあいい、取り敢えずは一旦落ち着こう。兵庫介は茶碗に照準の定まらない手を伸ばし、幾度か取り落としそうになりながら、くいっと一気に茶を口に含んだ。
「やはり都の茶は格別じゃな、心が和むのぉ~」
「有り難き御言葉にござります」
落ち着き払った仕草で、丁寧な辞儀をする清々しい若侍の姿は、とてもではないが、あんなに駄目すぎる姓名を付けられた者とは、とてもではないが思えず、此の涼やかな若武者が、会う人、会う人に対して、アレを名乗っておるのかと考えると、余りにも不憫過ぎて涙を禁じ得なくなってしまった。
「どうか為されましたか?」
目頭を押さえて俯く兵庫介を気遣い、優し気な口調で問うてきた羅乃丞に、大丈夫だ、問題ないと応じ安堵させたが、そんなことはお構いなしに、茶に合う御茶請けを所望する戍亥様の無邪気さに、多少の苛立ちを覚えてしまったのは内緒の話だ。
だが、お茶請けを所望された当の羅乃丞はと云えば、あらかじめこうなることを予測していたのか、スッと黒いナニカを二切れ、奉書紙に乗せて恭しく差し出してきたのだ。
えっとなんだコレ、唐菓子か?
「小豆を用いた羹を冷やし固めた品でございまして、名を羊羹と申しまする」
「へぇ~?」
羹ってなんじゃらほいの田舎者である儂にとっては、全く以て謎の代物だが、出されたからには喰わねばなるまいな。うふふふ♪
季の松原に参ってからこっち、美味い物にありつきまくって来た兵庫介は、誰憚ることなく期待に胸躍らせた。
「では、頂くと致そうかのう」
戍亥の爺様が先の尖った小さな棒切れを羊羹に刺し、ぱくっと一切れ口に放り込んだ。
「おほう♪なんとも甘いのう」
恐る恐る様子を窺っていた兵庫介も、辛抱溜まらず後に続く。
「あま⁈うま‼」
口に入れた黒い物体は、力を掛けずとも歯でつるりと切れ、舌の上に軽やかな小豆の香りと蕩ける甘さが一気に拡がっていく。
先程の茶の苦みも、このぬるりとした菓子の味わいに深みを与えて、何ともはや、美味すぎだ!
「京に赴く役目がござりました故、皆さまに食して頂こうと思い買い求めて参りました」
こともなげに言う羅乃丞は、茶のお代わりも手早く用意し終えると、儂らの前に静かに置いた。
其れに釣られる様に、儂と戍亥様は手を伸ばして口直しの茶を飲む干す。
茶の苦さと濃さが変えられたのか、はたまた淹れ方を変えたのか、濃い茶にも関わらず、渋みが抑えられ逆に旨味が増しており、お陰で羊羹の小豆の香りが引き出され、ゆったりとした気分にさせられた。
「貴殿はこの様な技法、どちらで仕入れられたのか」
兵庫介は茶と羊羹の味に、心の底から感服して尋ねる。
「拙きわたくしの技量を御褒め下さり、誠に有り難い限りです」
仕草の綺麗な辞儀をして、羅乃丞はまず礼を述べる。
「その、わたくしめは、恥ずかしながら亡き父以来の連雀商人の出にございまして、御社様に拾われるまでは、京の都を中心に各地で商いをしておりました。その折に、お世話になっておりました公卿様にお願い致しましたところ、戯れにならばと、お教え頂きました次第でござります」
成程な、つまりは商いの為に必要な知識として仕入れたのか。
「左様に大層なものではありませぬが…」
白い肌を紅くさせ恥ずかしがる姿に、何やら催しそうになってしまう。あっ、いかんいかん!
「では、失礼ながら其方の祖父殿は、如何なる出自であろうか」
「わたくしの家は代々、都の治安を御守りする家系であったそうなのですが、祖父の代に落ちぶれてしまいまして、以後、父の代には商人の真似ごとをして世を渡る身の上になっておりました」
「ほほう、して、他に身に付けた技は御持ちであるかな」
「連雀商人と云う仕事柄、様々な御人と巡り合う機会を得まして、多くの事を学ばせていただきました。その縁のお陰を持ちまして、今の身の上でありましょう」
まるで、清水が柔らかく湧きせせらぐように、羅乃丞は自らの身の上話をこんこんと語った。
それにしても飯井槻さまは斯様に都の文化的教養を身に付けた若者を、ようもまあ見つけたものだと感心した。
商人の、いや、その中でも連雀……、商人などというのは、例えそれが不浄な金で、しかも僅かばかりの小銭であっても、足元に儲け話が転がっていれば喜び勇み、泥にまみれ地べたを這いずってでも稼ごうとする、得体のしれない者達である。
左様に卑しい身分の者共でも、飯井槻さまは差を設けることもなく、分け隔てることもせず、自ら進んで近付かれ、親しく深く心と言葉を交わさねば、こんなにも善き人材には巡り会えなかったであろう。
『飯井槻さまは、人の知恵や優れた技術を愛する御方だから』
飯井槻さまの、人物を身分で判断しない性格を表すのに、茅野家家中ではよく使われている言葉だ。
確かに謂われてみれば、彼女の人に接する性格を上手く言い表せている言葉ではあるのだが、何故だか兵庫介には腑に落ちない言葉であった。
ナニかが、決定的に抜け落ちているようでならないのだ。
それは何かと問われても、彼は未だに応えられないのだが、それが判れば、予てより飯井槻さまから出題された、深志家の下剋上の意図や首謀者も自ずと判るやもしれぬ。そんな風に兵庫介は考えていた。
まあ、全く見当もつかないがな。
「さてと、此度は畏れ多くも飯井槻さまから軍奉行を任されたそうじゃな、兵庫介殿よ」
腕組みしながら沈思黙考していた兵庫介を他所に戍亥様は、彼が新町屋城まで出向いてきた用向きについて問う。
「はっ、左様でございまする」
「軍法を学びに参ったのか」
「左様にて」
「ならば、お主とのみ二人で話をせねばなるまい。人払いを」
その言葉に、戍亥様の近習共が立ち上がり書院を去ろうとする。
「それには及びませぬ」
城内に入ってからこっち、戍亥様への挨拶以外は押し黙っていたひょろひょんが、茅野家参番家老である戍亥様の命に異を唱える。
「何故」
さっきまでのおどけた姿は何処へやら、戍亥様はあからさまに不機嫌な顔を為された。
「御社様の命にて、我らも同席するよう申し付かりました」
元服したての頃より、幾多の戦場や修羅場を潜り抜けて来た戍亥様の気迫に押されもせず、ひょろひょんは平然とした態度で、此処に同席する理由を述べる。
「…なれば、飯井槻さまの念書なり持っておろうな。もし出まかせであらば、飯井槻さまのお気に入りとて容赦は致さぬ」
いつの間に近付いたのか、刀を一振りすれば、首が二つばかり飛ぶ距離まで戍亥様はひょろひょんに寄っておられた。
「ここに」
それでも無表情の姿勢を崩さぬひょろひょんの、すらっと伸ばされた左手に促された羅乃丞が脇から進み出て、一通の文を懐から取りだし戍亥様の前へ丁重に差し出した。
「ふむ」
戍亥様は文を寛げ、ざっと一読する。
「相分かった。さすれば披露致し申そう」
再び柔和な表情に戻った戍亥さまは、文の内容に納得された様子で、書院を去ろうとしていた近習の一人を呼び寄せ、背後の引き戸付きの小さな棚から一巻の巻物を持ってこさせた。あ~怖かった。
「お前たちはもうよい、次の間に控えておれ」
その命に従い近習と小姓たちは、戍亥様と我らに一礼を残し書院から出て行った。
「これが茅野家の軍法にございまするか」
堪らず兵庫介は巻物ににじり寄ってしまう。
「いんや、これは偽りの巻物じゃ」
「へ?」
戍亥様はにっこり笑うと、懐をまさぐり四つに折り畳まれた懐紙を一枚取り出された。
「本物はこれじゃ」
「なんと」
「我が近習や小姓とて油断はならぬ。この御時世、用心に越したことはないからの」
「な、成程」
流石は飯井槻さまが信用為され、武家の要である軍事を司る参番家老を、一身に任されて居られるだけはあるわ。
兵庫介は密かに感心しつつ、板間に広げられた一枚の秘書に目を奪われる。
「読み終えたならば、そこの火皿にくべよ」
ちびかけ寸前の蝋燭が灯された火皿を、そっと目前に置かれた。
「へ?あの、記憶だけに留めよと申されますので?」
「左様、他言は無用じゃ」
戍亥は念押しする。
「…判り申した」
「基本が判れば左様に難しいものではない。要はおつむの使い方次第と云うやつじゃ」
「で、ありまするか」
兵庫介は訝しりながらも、差し出されている紙を食い入るように読んでゆく。が、肝心の内容はたったの一文、『知るところを知れ』これしか書かれていなかった。