集結地、田穂乃平。【改稿版】(2)
さてさて、この笑顔あふれる愛らしい娘子…。もとい、麗しい御姿を陽光に披露する姫御前さまは、本来の御名を茅野千舟と云い、正式な官名では【藤原内膳正千舟】と申され、御年は数えで十七歳の茅野家当主である。
彼女は守護職である国主家の治める此の国で、茅野郡と彌窪郡、それに錐隈郡の一部を領有する守護代で、先々年、父上が見つけて結ばせた夫を流行り病で亡くしたため、まだ若年の身でありながら致し方なく代を継ぎ、一族と配下の者どもを率いて、この田穂乃平と呼ばれる自領の南の端に広がる草原だらけの盆地に参じたのだ。
さてさて、彼女の官名である内膳正とは、畏れ多くも朝廷より賜わりたる正式な官名で、対外的にはこれを名乗りにしていた。
…のだが、肝心の親族や家臣領民においては【内膳正様】や【茅野殿】などとは誰も言わず。一般的には茅野家の長女に対する通称である【飯井槻さま】と呼ばわれていた。
この【飯井槻】とは、元来はとある地名を表す言葉であった。
彼女の居館【碧の紫陽花館】という、平安の頃に築造されて以来、茅野本家が住まう寝殿造りの屋敷の後背に、茅野家の詰めの城である【飯井槻山城】という防備の薄い小城が築かれている小山があるのだが、その山の名が【飯井槻山】と云ったのだ。
彼の山は、まるで飯椀の中身である飯粒を、そのまま逆さまにひっくり返したみたいな、または女性の乳房の様に優しくこんもりとした山容を有しており、この御姿から【五穀豊穣・子孫繁栄】といった自然の豊かさを人々に連想させて久しく、万葉の昔から神山の一つとして歌にも詠まれているほどに由緒正しき神聖な場所でもあった。
そして何よりも香弥乃大宮の祭主でもある彼女にとり、誠に相応しい通称として、【飯井槻さま】の由来になる所以でもあったのだ。
その為もあってか、此の国に留まらず遠く都人にとっても、彼女の官名や氏よりも寧ろ、こっちの呼ばわりの方が深く浸透してしまっており、当の飯井槻自身も小さき頃より慣れ親しんだ通称に愛着を持っていて、例えば茅野家の領内で、いきなり【飯井槻さま】などと身分に関わらず、気軽に誰かに呼び止められようものなら「なんじゃ~?」と、にこやかに笑って近寄っては、誰彼構わず立ち止まって話をするのが彼女の領内での日常の風景になっていたのだ。
左様に、由緒正しき家柄の生まれである飯井槻さまであったのだが、当の本人は、この件に関して全く意に介しておられぬらしく、現に今も自由奔放に、御顔をニヤニヤさせながら颯爽と丘を飛ぶかのように自陣の陣幕の前まで軽やかに駆け下りている。
…のだが、生来のおっちょこちょいの所為なのかどうなのか、地面より飛び出た小石にけつまずき、『きゃっ!』と嬌声を上げたかと思うと、そのまま白く美麗な御顔を草塗れにしながら自陣の陣幕の内側の中に、やおら転がるように滑り込んでいったのだから、彼女の砕けてとぼけた人柄の一端が、伺えようと云うものであった。
つまるところ、飯井槻と云う名の通称の持つうら若き女性は、未だ心に少女の幼さを残した、悪戯好きの可愛らしい当主だったといえよう。