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ひょんひょろ(1)

さて、今回からはサブタイトルが【ひょんひょろ】になります。


彼が何を想い何を為そうとするのか、まあ彼はいつも茫洋としていますので、どれだけ話してくれるのかはわかりませんが。


では皆さま、第二十九部をお楽しみくださいませ♪




               五月二十六日



結局どこにいったのやら、屋敷内をそれとなく探索させた近習どもの言い訳によれば、甚三郎様の御妻女一行は人知れず、いつの間にかお姿を御隠しになられているらしかった。


 真夜中、眠い目をしきりに擦り、真っ赤に腫らした兵庫介は、彼らからの口上を聞き終えると、飯井槻さまからいくさ奉行ぶぎょうなどという大役を(おお)せつかった事を思いだし、夜を徹して屋敷内に収蔵してある関係書物を漁っては、貪るように読むといった、苦行にも似た作業を実行に移すという、行動をしなければならなくなっていた。


「そのうち行方も知れよう」


 先ず彼は、茅野家の軍奉行とは具体的に何をするのか解らなくてはどうにもならないと考え、その事について、少しでも書かれているであろう書物を探し出しては読み込んでいたのである。うっかり気を抜けば、強烈な勢いで襲い来る眠気と果敢に戦いつつ、何十冊もある、茅野家所有の戦ごとに関する書物を読んではみたものの、軍法とか作法とか仕来りについては結局よくわからなかったのだ。


 やがて疲れ果てた彼は、早めの朝飯を喰らおうと、重すぎる足を引きずって朝日に揺らぐ廊下を大台所に向かって歩き出していた。


 とっとと飯を喰い終えたら、新町屋城に居る戍亥様に面会を求め、これまでの深志家との経緯をお伝えするとともに、軍奉行なる職を一から順に御教え願おうと心に決めたのだ。


 てか、引継ぎやらなにやらあるのだから、最初からそうすべきだったのだ。くそう。


 兵庫介は歩きながら近習の一人を呼び、新町屋城に伺う旨を伝える使番を派遣する様に言い含め、更には昨日窺えなかった理由を記した詫び状も持たせ送り出したあと、やっとこさ、大台所の入り口まで辿り着いた。その横を飯井槻さまに仕えているきんたいの侍が、早歩きで通り過ぎていった。見れば彼の手には綺麗に折りたたまれた文が一通、大事そうに(たずさ)えられていた。


「ん?なんぞあったか?」


 通り過ぎた近侍は、屋敷の奥へと続く長廊下を急ぎ進み、やがて右に曲がり、渡り廊下の突き当りにある飯井槻さまの寝間の次の間に入って行った。


 もし何事かあれば、すぐに御呼びが掛かるであろうから、(しば)しここで待ってみるか。


 兵庫介は様子見を決め込むと、休むために廊下の柱にもたれかかろうとした。


「また来たぁぁぁあ­­­­あ!!!」


 突如、凄まじい飯井槻さまの絶叫が寝間から轟き、早朝の屋敷中に響き渡ったのだ。


「くそいてえ~‼」


 おかげで兵庫介は柱にもたれそこね、廊下の敷板に腰をしこたま打ち付けてしまった。ちきしょうめ!


 しかし、一体全体なにが起こったのかは知らぬが、とにかく凄まじい雄たけびではあった。


 そこへ、丁度いいところに飯井槻さまの侍女がやって来たので、腰をさすりつつ呼び止めて、一体何事が起ったのか聞いてみたのだが……。


「あれはですね。またまたまたまた、また!孫四郎様からの返歌が届いたからですよ」


 毎日毎日、本当にしつこいんだからと、背が小さく可愛らしい侍女がプンスカ怒りながら答えてくれた。


 飯井槻さまも策のためとは云え、変な奴に言い寄られて大変であるな。ぷっ♪


 まあ、それはそれとして、儂は急ぎ飯を掻き込んで戍亥様に会わねばならぬので、気にせず大台所にさらっと入った。そして良いところに居た四之助に飯を頼んだのだのだった。


「あいすみませぬ。先程皆々様に配膳を終えましたところでして、余りものしか御座いませぬがよろしいでしょうか?」


 結構早くやって来たつもりなのに、もう皆飯食ってんの?儂、誰からも声すら掛けてもらってないよ?どうしてなの。


「くそ、まあいい、構わんから、すぐ用意してくれぬか」

「わかりました。ですが、あの、その前に御知らせせねばならない事柄が、ありまして……」

「なにか」


 まさか飯粒がもうないとか言わないよな。それは辛いぞ。


「炊き立ての(ひめ)(いい)はもうなくなりましたが、飯井槻さまがお召し上がりになりました(こわ)(いい)なれば少しばかり残っておりまする。あとは粥も少々、あの、どちらを御持ち致しましょうか?」


 寄りにもよって粥に強飯かぁ~。粥は兎も角、強飯は苦手なんだよなァ、だが、もはや仕様があるまい。


「強飯で構わぬ。が、熱い湯をたっぷりかけて持ってきてくれまいか」

(かしこ)まりました」


 四之助は一礼するとすぐさま支度に取りかかった。


 しかし儂の扱い、ここんところメッチャ(ひど)くなってない?深志家どころか主家である茅野家ですらこの扱いとはどうなってんの?


 兵庫介は思わずじっと手を見る。


 そうこうする内に、彼は多少ふてくされ気味に大台所の板敷に腰を下ろしたが、さっき打った腰がズキンと指す様に痛み、思わず顔をしかめてしまった。


「い!…つつぅ……。これはくるな」


 腰を浮かせてやんわりと胡坐(あぐら)に搔き直し、両の手で腰を揉みさすった。


〘どうかなさりましたか?〙

「うお!!」


 唐突に、聞き覚えのある抑揚(よくよう)の見当たらない声が(そば)で聞こえたのだ。


「なんだひょろひょんか、腰が痛いのにびっくりさせるな!」


 いつからおったのか、ぬぼうっと背後に立ち、ひょろひょろした長い体を窮屈(きゅうくつ)そうに折り曲げて、ひょろひょんが横に静かに座った。


〘先程より近くにおりましたが?それより如何(いかが)なされました〙


 こやつ、いつにもまして気持ち悪いぞ。


 血色の余り良くない青っぽい顔は、いつものことなので気にはならないが、今日は全身が陰を帯びたような姿になっており、着ているものもなんだか(すす)けて汚らしい。


 朝っぱらから陰鬱(いんうつ)な奴を見てしもうた。


 こっちは腰が痛い上に眠さも抱えて気分も優れぬのに、とは思うのだが、それは一先ず置いておくとしても、コイツとはちゃんと話をしておく必要があるな。


「いやなに、さっきの飯井槻さまの雄叫びに驚いてな、馬鹿馬鹿しい話だが廊下ですっころんでしまったのだ」

〘あれに驚かれたのでござりまするか、ならば致し方ありませぬ〙


 心が此処ここにあるのかないのか、相変わらず気の抜けきった抑揚のない話し方をしやがるな。


「して、お主は今の今までどこをほっつき歩いておったのだ?」


 大宴会(だいえんかい)の日を境に、スッと姿を消していたこの男に、儂は興味津々でもある。


〘御役目をつつがなく果たすべく、至る所を駆けずりまわっておりました〙


 ひょろひょんは短い言葉で端的に答えると、杉板に載せられてやって来た粥を、もそもそ口に運び出し応える。


「左様か」


 兵庫介は継ぐ言葉を失い、自分も熱湯に浸された強飯を香の物と一緒に掻っ込み始めたが、湯に漬けられても変わらぬ歯ごたえのせいで、米がなかなかには飲み込めない。


「それはそうとな、お主の仕業かどうか知らぬが、儂はまるで操り人形みたいに働かされておる。何か言うことはないか?」


 盛んに咀嚼を繰り返す口を使い、(こも)るような声を発して問う。


「はて、左様でありまするか」


 こいつ、知れっとした顔をしやがって腹が立つわ。


「今更とぼけるなよ。儂はお主に聞きたいことが山ほどあるんだからな」

「はて」

「くそ、まあ良いわ」


 そっぽを向き、知らぬ顔を決め込むひょろひょんに、兵庫介はある種の可笑しさを感じていた。


 この、すっとぼけた男は、間違いなく飯井槻さまの懐刀。こやつならば裏の事情をつぶさに知っておるのではないだろうか。


 例えば、茅野本家の外戚でもなんでもない只の外様身分の我ら神鹿家に、季の松原までの旅程を短縮させ、深志家へ忠勤ぶりを世間に見せつける為に早道である裏街道を進ませたのも、また世間の評判が有得んほど悪い汚爺の城館に泊まる様に促し、まるで奴と同じく深志家に忠節を誓う一味に仕立てたのも、はたまた飯井槻さまと孫四郎との縁談を祝うかのような、大宴会を大いに開かせ我らにバカ騒がせたのも、総ては、家老である参爺とひょろひょんと、そしてそれらを取りまとめる飯井槻さまの知恵から出たのではあるまいか。


 そう兵庫介は考えている。


 簡単に言えば、儂を筆頭にした神鹿家は、深志家の耳目を集める餌にされたのだろう。


 利さえあれば直ぐにでも裏切りかねない外様のくせに、主家である茅野家に対し比類なき忠誠を誓い、度重なる深志家からの嫌がらせにも似た行為にも耐え忍び屈せず、かと云って悪態をつく訳でもなく、ひたすらに茅野家の将来と飯井槻さま運命を(おもんばか)り、深志家との仲を壊すまいと身を粉にして忠節の限りを尽くす家。


 深志家からしてみれば、是ほどにまでに利用しやすく御しやすそうな家は、茅野家中では他にあるまい。


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