割とキツめの酔い覚まし(1)
第二十五部の発進です。
今回からまたサブタイトルが変わります。
飯井槻さまと、兵庫介のやり取りをお楽しみくださいませ。
では、また明日~。
さて、蒼泉殿敷地内にある殿舎での、垂水と二人だけの細やかな宴で、少しばかり酔ってしまった兵庫介は、酔い覚ましと飯井槻さまへの報告も兼ねて、新町屋城に赴くのを一旦取りやめ茅野屋敷に戻ることと相成り、兵庫介は近臣に付き添われ何とか道に迷わず茅野家の屋敷の裏門に、辿り着くことが出来たのだった。
こうなっては仕方なし、戍亥様には使番を発し、後ほど伺う旨をお伝え致すとしよう。
屋敷内に入った兵庫介は塵落としも程々に、皮袋と面談した結果と、垂水源次郎が儂の取り次ぎ役になった旨の報告の為、通りすがった年若く可愛らしい侍女を一人捕まえ、飯井槻さまに御目通りをしたいと願い出た。
侍女は「飯井槻さまなら大台所におわしまする」と申したので、兵庫介は足早に台所へと向かうこととなった。
「よう戻った兵庫介よ。よもや、しくじりはなかったかや?」
侍女の申す通り大台所にいた飯井槻さまは、板間の上にペタリと座り、御顔が桃の実の色艶を成されており、見れば傍には濁酒に満たされた大きめの盃が置かれてあった。
「酔うておられるのか?」
「ふふ、お主ほどではないがの」
どうやら儂の顔も、かなりな桃色であったらしい。
「これも付き合いと云うものでござる」
「男と云うわ、皆そう言うの~」
飯井槻さまはけらけら笑い、実に楽しそうである。
「それを言われると、困るわい」
「そうであろうが、ふふ。して、どうであった?」
「首尾は上々でござる。皮袋め、我らの贈り物に甚く喜んでおりました」
「じゃろうの、只で戦に欠かせぬ品々を沢山もらえるのじゃからのう。わらわも只で物を呉れるならば、何だって欲しいのじゃ」
だろうな、あんたは人の昼飯も勝手に喰うてしまいおる輩だからな。
「じゃが、恐らくは本心からの気持ちではあるまいて、あれは喰えぬからの」
まあ、そうなんだろうな。うっすらと儂も感じてはおったが。
「それと皮袋は近々隠居の身分になり、跡を壱岐守が継ぐそうな」
「ふむ、噂には聞いておる」
「左様か」
絶対に前々から知っておったな。この姫御前は何を隠しておいでか。
「おお、そうそう。兵庫介よ、これは旨いのじゃ。其方も喰うてみよ」
飯井槻さまが串に刺さった鳥の肉をついっと差し出された。
ほ~ん。よく焼けた肉の香ばしい匂いが鼻先をくすぐりおるな。だがな、何だってこれが膳部代わりの杉板に山の如く積まれておるのだ?
「飯井槻さまよ、まさか、これを一人で喰らうつもりだったのか?」
「なにか問題でもあるのかや?」
「太るぞ」
「わらわは其方より大分若いからの、心配御無用じゃ」
なんだこいつ。その根拠のない自信は何処から溢れてくるのだ。
兵庫介は、飯井槻さまから差し出された串焼きを押し抱くように頂戴してかぶりつき、肉を串から引き剥がそうと歯で挟む。
しかし、この肉、とろける程の柔らかさで、噛まずとも串から解けるように剝がれていくのだ。
おふう!無茶苦茶旨いなこれ!
流石は御爺様、ハズレ無しだな‼
「子鹿の肉で御座りまする。ただし、斯様に柔らかこうするには、少しばかりのコツと多少の腕がいりまするが、それより肉に合う酒を召されますかな、兵庫介様も一献どうで御座いますかな」
「これは御爺様、挨拶が遅れ申し訳なし。と、その合う酒とやらを是非とも頂戴いたしたい」
腕利き料理人の爺様は、新たな杉の板に串焼きと酒器を載せ、即席の酒宴場所となった大台所の板敷きにトンと置いた。
「相済まぬ」
にこやかに兵庫介は会釈し、爺様も微笑みを残して井戸の方へと向かわれた。
「ではの、一献じゃ」
「頂戴いたしまする」
飯井槻さまは酒器を手にして儂の為に傾けて下される。今宵は酔いが回るのが早そうだ。
「お主のお陰で思いのほか上手く事が運んでおる。これはの、わらわからの感謝の気持ちじゃ」
「は?」
「本当じゃ。思うたよりも上手くいっておる」
にっこりと微笑んでおられる飯井槻さまは、実に嬉しそうであられる。
「さほど大した役はしておりませぬのに、勿体ない御言葉を賜りかたじけのうござる」
そもそも、一体なんの仕事をさせられておるのか、儂は未だ理解していないんだがな。
「兵庫介は良く働いて呉れておるのじゃ、助かっておるぞ」
くいっと盃を煽り飲み干して、飯井槻さまが盃を差し出されたので、兵庫介は酒器を取り、零さぬ様ゆっくりと注ぐ、が、飯井槻さまは注ぐなり即座に飲み干された。
こんな調子で飲まれては、お体に障るのではないか心配になり、さりげなく御顔をそっと窺い見る。
時折、闇夜の雲間から差し込む月明かりに照らし出された桃色の肌が、艶かしくも艶やかに上気しておられるのがわかる。
ただ、その眼が一点のみを見つめ、じっと動かずにおられるのが兵庫介の気に掛かった。
ふむ、四之助の幼子を見ておられるのか。
大台所の竈の群れのその先に、縁台を出し腰かけた四之助と、さほどには歳の変わらぬであろう若い妻が寄り添って座り、幼子と乳飲み子を笑顔であやしている仲睦まじい風景があった。
「のう兵庫介よ、子とは可愛いものじゃのう、親子とは仲良きものじゃのう」
「確かに、親子水入らずとはこのことでありましょうな」
「わらわにも子があったれば、この身の上は変わっていたやもしれんの」
しまった!言うてはならぬ事を言ってしまったか!
飯井槻さまは一昨年亡くされた、夫で先の茅野家当主の⦅茅野右近大夫兼寿⦆様を思い起こされたのではあるまいか。
うわ、わわ、どうしよう……。
「あやつは、夜毎わらわのナカに精を放ちおった癖に、子を成すこともせず、流行り病なんぞでポックリ逝きおってからに、今にして思えば、まっこと不甲斐なき男であったのじゃ」
飯井槻さまは憤懣やるかたなしといった表情で、憎しとばかりに串肉を喰いちぎり、ぐびぐび酒を煽っておられ、その御姿たるや、とてもではないが麗しの姫御前様どころか、只の酒の力を借りて愚痴るおっさん、そのものであった。
「あ、あんたなぁ、突然何を言い出すだ⁉」
つい、言ってはならん言葉を発してしまったと、内心おろおろしてしまった気持ちを返せとばかりに、兵庫介は声を裏返して問うた。
「何も糞もなかろ?わらわも一人のうら若き、数えで十七の女子じゃと云うておるのじゃ、あれから僅か二年余りのこととて、心寂しい夜もあるわ」
最後の発言はあんたの欲望じゃねぇ~か‼
てか、うら若き女子が糞とか言うな‼
馬鹿だこいつ、早く何とかしないと。
しかし、何やら儂の胸の動悸が止まらなくなっているのは、何故だろうか。
「はあ?なにを言うとるんだアンタ!少しは自重して話せよ‼」
「なればお主はどうなのじゃ!其の歳まで嫁も娶らんと、あっ!さてはあれか、ここ掘れワンワンの御仲間か?」
「誰が衆道が大好きだ!何が悲しゅうて股のナニが同じ奴らの相手をせねばならんのだ!」
「奴らとは、これはまた激しいのう」
「なんでそうなるんだ!みんなでワンワンなぞせぬわ!何より儂は女子の方が好きだ!」
「ほお成程のう、では聞くが、兵庫介は好いた女子の一人でもおるのかや?」
「ぐっ、そ、それは…」
「ほほぉ~ん。おるのであるかや?ではナニか、夜な夜なその女子を想いて一人でナニかや?独り身は大変じゃのう。ふししし♪」
うわぁあぁぁ~~~‼コイツめちゃくちゃに殴りてえぇえぇぇ~~~‼
兵庫介の頭の中では、今すぐにでも下剋上したい気持ちで一杯になりかけてしまっていた。
のだが、物凄く楽し気に、腹を抱えて御笑いになられている飯井槻さまを見てしまうと、途端に怒りが覚め始めてしまい、顔を赤らめながら言い返す他、手段が無くなってしまった。
「せ、せぬわ!左様な事、致さぬわ」
「かの一休禅師も毎晩毎夜、悶々としておったそうじゃからの、仏の道を探求為された御方でも無理じゃったのじゃ、お主では無理な上に無駄な足掻きじゃろうて、ふしし♪」
頭の悪い言い争いを、二人で無益にも続けておるせいであろうか?
飯井槻さまが御召になられておる白い薄手の着物の裾が、いつのまにかはだけて仕舞われ、また、酒を飲まれたせいなのか何なのか、身体が火照り赤みがかった柔らかそうな太ももが、その裾の狭間から大胆にも露わになってしまっているのに、兵庫介は気付いてしまった。
「うわ、わわ!わ……。いい……」
「ああ?なんじゃ、いきなり悶々としだして、妄想か?妄想で股の妄想竹でもおっ勃起る気か?」
「え、あっ!儂は、どんな妄想野郎なんだ!ふざくん…」
全身が一気に熱くなるのを感じつつも、目線だけは太ももから離さずにいた兵庫介は、この事実をごまかす様に必死の形相で言い返す。
ゴ、ゴン‼
「そこまでになされませ」
檜の棒を両手に持った爺様が、呆れ顔で大台所の土間に仁王立ち為されていた。
「いったぁぁぁ~~い……のじゃぁ…」
「ぐおおお…いっつつぅぅ~~っ……」
余りの痛さに頭を両手で押さえ、板敷きに二人揃って蹲った。
「いきなり何をなされる!」
両目から溢れ出る大粒の涙を手の甲で拭き、兵庫介は爺様の所業に抗議する。
「何をなさるも糞もあるまい。節度というのをわきまえなされよ」
「だからというて、飯井槻さまに手を上げるなどと……」
「爺様ごめんなさい」
「ふぁ⁉」
あの飯井槻さまが正座して深々と頭を下げられておる……だと⁉
「判ればよろしい。して、そちらは」
どうなさるのじゃ?と云わんばかりに、爺様がこっちを睨みつけられた。…やたらと怖い。
「…………誠に申し訳ない」
姿勢を正して正座して、儂は深く頭を下げざるを得なかった。爺様が握る、あの棒きれが、再び振り下ろされては堪らんからな。
「有無」
納得した様子の爺様は、仕事の続きをするため大台所を離れ井戸にゆったり戻り、明日の朝餉の支度にかかったのを見て、儂はホッと安堵したのだが、頭からの鈍痛が引かぬのが気になり確かめると、ぷっくりとした大きなたんこぶが一つ出来ておった。
飯井槻さまもしきりと叩かれた箇所を触っておられるので、おそらく同じようにこぶが出来ておるに違いないだろうなあ。
さぞかし痛いであろう、ざまあみろ!(笑)
兵庫介はクスっとほくそ笑み、それから周りが気になって見回してみた。すると、爺様の弟子どもが皆一様に目を逸らし、此方を憚る様に仕事をしており、また女どもは顔を赤らめ下を向き、何やらもじもじしながら洗い物を熟していた。
隣の控えの間に堪っておる筈の飯井槻さまの侍女たちも、恐らく同様であろうなぁ。。。
ほんと、もう恥ずかしき限りである。
「飯井槻さまよ」
「なんじゃ、兵庫介よ」
「上手く逃げおったな」
「わらわは負ける戦はせぬ質での」
「さよけ」
とりあえず二人で目を合わせ、爺様にも分かりやすく声を揃えてこう言った。
『『ホント、卑猥なのは良くないよね♪♪』』
うちらの品格にも関わるしね。檜の棒はめちゃ痛いしね。
「「ねぇ~♪♪」」
『御注進!一大事にござる!!』
その時、気を取り直して飲み直していた我らのもとに、ぜぇぜぇと、息せき切った蕨三太夫からの急使が、大台所の土間に転がるように駆け込んできたのだ。
「どうしたのだ」
兵庫介は手にしていた盃を、膳部代わりの杉板の上に伏せ立ち上がった。
「火付けにござる!御城の大手御門に何者かが火を放ち申した!」
「なんと!して、城内の者と国主様は御無事か?」
「幸い山城御殿におわされたそうにて御無事との由!また、下手人の探索の為、深志様の兵が城内の要所に配されるとの事!」
「付け火は、その後どうなっておる」
「拙者が駆けた折にはまだ、鎮まっては居り申さず!」
息の粗さが整ってきたのか、急使の声の調子も落ち着きを取り戻し始めた。
「相分かった!使い御苦労であったな、奥で休め。済まぬが爺様、此の者に水を与えては貰えぬか?」
爺様は頷かれ井戸に釣瓶を落とし、新鮮で冷たい水をくみ上げ椀に注いでくれた。
「たれかある!」
兵庫介はすぐさま近習を呼び指示を伝える。先ずは火が点けられた大手御門の様子を探らせる事とした。
大台所の庇越しからでも、煙も火の明かりも望めぬところから、大火にはなっておらず、恐らく既に鎮火しているであろうことは判るが、その場の様子までは伺えぬ。
また深志の兵が具体的にどこにどれだけ配され、実際に何をしておるのかも判らず、本当に国主様は山城御殿におられるのかどうかという事実も判らず、更には、皮袋以下の深志の主だった奴等が、今どこに腰を落ち着け何を企んでおるのかすら、判らないのだ。
「以上の事、しかと三太夫に申し伝えよ。わかっておると思うが、絶対に城内との連絡を絶やすな、必要ならば此方からも新たな人数を送り込む手筈も考えねばならぬ、左様、三太夫に申し伝えよ」
「「畏まって御座る‼」」
拝命した近習たちが己の役目を果たすため、一斉に散っていくのを兵庫介は見届けると、飯井槻さまに一礼し、自らも大台所から出て行こうとした。
「ちょっと待つのじゃ兵庫介よ。わらわも御城に出向くぞ!」
飯井槻さまは酔いの所為かふらふらと立ち上がり、こう言い放った飯井槻さまは、侍女を呼び登城の支度を命じられた。
「お待ちあれ、ここは我らにお任せを」
「いや、わらわが参じた方が、後々なにかと都合がよいのじゃ」
兵庫介が留めるのを押しのけ、飯井槻さまは言葉を続ける。
「考えてもみよ、御門に火を放った者は未だ判らぬ。と云うことはじゃ、その不届きな下手人を深志が都合よく作り出すことも出来うると云う事じゃ」
「ま、まさか、左様な事は……」
ありますまい。そう言おうとした、が。
「火を点けたのは、或いは深志やもしれぬと申しても、かや?」
云い重ねられた言葉に、ぐうっと、兵庫介は唸り言葉に詰まってしまった。




