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季の松原城へ(1)

第二十三部でなります。


今回からは守護職・国主様が居城[季の松原城]がサブタイトルになります。


では皆様、お楽しみくださいませ。

「やれやれ、飯井槻さまには敵わぬな」


 昨日から茅野家の将来を思い悩んでいた兵庫介は、飯井槻さまのいつもと変わらぬ態度を見るにつけ、もしかすると何とかなるのではないかと思い直し、憑物(つきもの)が落ちた表情で書院を出ると、やおら季の松原城へ赴くこととした。






「おうおう、いつ見ても大きいの!!」



 神鹿一行の先頭を歩む右左膳が、茅野の行列が進むごとに大きさが増していく御城の大手御門に正対し、思わず感嘆の声を上げる。

()(じか)に迫る御門を見上げ兵庫介も息をのむ。


「今日は御城の客殿に来よ。か」


 皮袋の奴め、季の松原城の奥底にまでドンドン入り込んでいっている様子だな。


 茅野屋敷を出立前、事前に飯井槻さまから聞かされたところによれば、皮袋は御城下の新築屋敷を出て、季の松原城内にある(そう)(せん)殿(でん)と名付けられた壮麗な客殿に移ったそうな。


 儂は身分違いな上、国主家から賓客として招かれたこともないのでまるで知らぬが、大層(たいそう)(みやび)な作りで規模もそれなりに大きいらしく、(みやこ)(あた)りから尋ねて来られた高貴な身分の御歴々からも、その庭園の美しさや、部屋の隅々まで施された()かし彫りの細工の見事さ、(いにしえ)の逸話が描かれた襖絵(ふすまえ)の出来栄えに大いに嘆息されている様子であるらしい。


 まあ儂は、入ったことはおろか此の眼で見たこともないので、実際の出来は知らんのだが、此度(こたび)は違う。


 何が違うかと云えば、そう儂は深志家から正式に御呼ばれした身分だからだ。

 まあ正確には、守護職であられる国主家からの御呼び掛かりだが、そんなことはどうでもよい。


 (かね)てより、いつかはきっとこの御殿の中に入り、噂に聞く雅な世界を堪能(たんのう)してやろうと思い描いておったのだ。茅野屋敷のくすんだ襖絵なんかでは、この様な耽美な夢は満たされないからな。


 例えば茅野家の所有する屋敷の内で、せいぜいマシな作りと雅さを感じさせる場所と云えば、季節になれば一様に咲き乱れる紫陽花(あじさい)の遊び池がある(あお)紫陽花館(あじさいやかた)だけであり、(これ)すらも、昔ながらの寝殿造りを、武家風の屋敷に改めただけの古びた代物なのだからな。

 斯様な屋敷と、国主様お手製と云ってもよい蒼泉殿とでは、比べるまでもない。


「殿様、城内が深志の兵で溢れ返っておるように見受けられ申す。これでは一向に前へ進めませぬぞ」


 愛馬に跨り佇む儂の脇で、蕨三太夫が周囲の様子を(うかが)い、声を(ひそ)ませて話しかける。


「だな、で、気圧けおされたか?」

「まさか」

 だろうな、蕨三太夫はこれくらいで怖気(おぞけ)()がる玉ではない。

「城内に入ったら頼んだぞ」

「任されよ」


 このわらびさん太夫だゆうという男は、細心(さいしん)で注意深く、しかも遠目が利き耳もよいときている。その配下も負けず劣らず何かと裏事うらごとに使える奴らばかりなので、此度の儂の企みに役に立つだろう。


 そう儂は、この者達を城内に留め置き季の松原城内の様子をそれと無く探らせるつもりなのだ。それに何かあった場合の万一の用心として、神鹿家中よりあらかじめ選び抜いた護衛の者を三十騎ばかり付け、更には、蕨の者どもが探った内容を迅速に伝える優秀な使番(つかいばん)も幾人か()き、三太夫に与えたのだ。


 

 それにしても立派なものだ。左膳が大手御門に感嘆(かんたん)する気持ちも判らぬではないな。


 季の松原城の御門は全部で五か所に備えられているのだが、取り分け巨大で壮麗なのが、この南の大手御門である。


 その高さ足るや八間(はっけん)はあろうかと思われるデカさで、全体を(おし)(がね)(まとい)(がね)で無骨に(よろわ)れた姿は、人の力で打ち破るの事すら無謀だと、無言で我らに訴えかけているようであった。


 常に頭上から威圧して来る大手御門の前に着くと、門を預かる番所に用件を伝え、開門させる使いを走らせる。


 しばらくして、地滑(じすべ)りを起こしたみたいな鈍く響く音を立て、御門がゆっくりと開いていく。


「いつもならば生半にはひらけぬ御門だが、飯井槻さまの御名(みな)を御出しするだけで、こうも簡単に開くとはな」


 何時(いつ)もなれば火急の要件と云えども我が神鹿家の名だけではどうにもならず、兵庫介は下馬して地べたにひれ伏して音沙汰を待ち、走らせた使いも平身低頭で開門の御願いを()い重ねても、上から目線で番所の役人どもに対応された挙句、散々待たされた上で、ようやっと開かれる代物なのだがな。


 うっかり何度か六郎様や飯井槻さまの御名を出し忘れ、幾度も地べたに額をごっつんこさせたからな。忘れる筈がない。


 あっさり開かれた御門を前に(しば)し呆然としてしまった兵庫介は、ふと、今までの国主家が、我らの様な身分低き者を、どのように扱ってきたのかを思い出しまいほぞを噛む。


 まあ先程の話は儂の手違いもあった事で致し方無いのもあるが、本来でも、兵庫介みたいな茅野家の陪臣で外様身分の者が御城にすんなり入れることはなく、よもや入れたとしても、木戸に毛の生えた程度の大きさと作りの、出入りの商人らも利用する粗末な裏御用門からで、それすらも、散々待たされた上でやっと入城させてもらえるくらいの扱いなのだ。


「流石は、名門茅野家の御名(みな)と、その名代という地位の力のお陰だな」


 例え、儂が陪臣ではなく独立した領主であったとしても、こうは上手くいくまいて。


 おそらく他の田舎くさい小領主らと同じく、御用門よりは一つだけ格式が上だが、これまた粗末な冠木(かぶき)作りの使報(しほう)門に入城する場所が変わるだけだ。そもそも御用(ごよう)使報(しほう)も名が気に食わん。要するにどちらも使い走りではないか。


 堅固で壮麗な大手御門をくぐり、慇懃に儂ら対応する番所役人に導かれ、すまし顔で馬をごった返す城内に馬を進めてはいるものの、兵庫介は心の中で毒づきくさっていた。


 御門から十数歩歩んだ場所で番所役人から、此処にて下馬為されよと申し渡されたので、謂われた通り下馬し口取りに後を任せる。此処より更に徒歩で二十数段の階段を登ると、大きく山肌が切り開かれた平らな土地に出る。そこが我らの目的地である(そう)(せん)殿(でん)だ。


(かぬ)鹿()兵庫(ひょうご)(すけ)殿(との)、お待ちもうしておりました」


 いきなり自分の名を呼ばれたので、兵庫介は手土産の荷解きをしている人足(にんそく)の指図を止め、誰だろうと振り返ってみる、その声の主は深志家臣の中では見知った男であった。


「お(ひさ)しゅうございますな」


 ()の男、名を確か垂水(たるみ)(げん)次郎(じろう)正辰(まさとき)とか申したな。


 垂水は、深志家では主に先手の将を務め、先祖代々に渡り(ふか)()(こおり)西部(せいぶ)に十四ヶ村に(またが)る領地を持っておる男で、知行は五百貫(二千五百石)余りであったと記憶している。


 猛将・勇将の数だけは、掃いて捨てるくらいは居る深志家において、彼は異質とも呼べる知勇兼備の武将であり、故に他家でも名が知られ彼らからも一目置かれた存在である。


 実際に幾つかの合戦場にて、こいつの働きを眼にして来た儂が申すのもなんだが、他の深志の将共が進退に窮する場面であっても、垂水は弾正のかたわらに常に控え、一向に屈する気配すら見せず、臨機応変に兵を動かしては果敢に攻め寄せる敵を退け、勝機のきっかけを作り出したこと一度や二度ではない。


 儂の見るところ、特に撤退戦や突発的な戦に(さい)しての采配(さいはい)で、垂水の右に出る者は此の国にはおるまいと睨んでいる。


 しかし不思議な事に、是ほどの男がどうしたことか、ここ数年の間は戦場(いくさば)に全く出て来ておらぬ。


ちまたの噂では、長らく病に伏せっておると聞き及んでおったのだが、はて?見るに血色も良く、(すこぶ)る元気そうな様子であった。


「先の戦場(いくさば)では(それがし)の配下がお世話になり申しました。いや、懐かしゅうござる」


 垂水は不意に三年半前のいくさの話を語りかけてきた。それからも幾度も戦場を巡り駆けてきた儂にとっては、思い出すのに少なからず時間がいった。


「いや、あの折は畠山の勢いが有り余っておっただけのこと。我らはただ、味方の危急の際に近くにいただけ、礼には及びませぬ」

「いえ、それでも御恩は御恩、いずれ必ずやお返し致し申そう」


 誠に神妙な面持ちで返答する垂水を見て、兵庫介は少し困ってしまう。


「し、して、垂水殿。何か儂に用件でもおありかな?」


 兵庫介からの問いかけに、暫し下を向き黙考していた垂水は、左手で頭をパシリと叩き、気持ちが整ったのか此方に向き直った。


「さればでござる。このたび御屋形(おやかた)さ…。失礼、御隠居(ごいんきょ)(さま)より兵庫介殿のお相手を致す様に直々(じきじき)に仰せつかりました。慣れぬこと故、至らぬ点もござりましょうが、よしなにお願いいたしまする」

「うん?御隠居様とは、どなたのことでござる?」

 深志家に御隠居なる人物の存在を儂は知らぬ。

「これは失礼を、他家の皆様にはまだ周知されてはおりませなんだ。弾正様のことにて御座いまして、表向きはまだ先の話になりまするが、内々では左様呼びならわされ始めております」

「ほう左様でありまするか、して次なる当主は誰になられるのでござろう?」

壱岐いきのかみ様で御座います」

「成程な」

 あの引き篭もりで生半には表に出て来ぬと噂の深志壱岐守か、皮袋が嫡男とは云え、斯様なる仕様、よく誰からも意義が出ぬものだな。

「ささ、それがし戯言ざれごともここまで、いざ参ると致しましょう」

「こちらこそ(いた)()る。儂の様な不調法者に、垂水殿ほどの名の知れた御方(おかた)なんぞ勿体(もったい)ない。儂にこそ至らぬ点なぞござれば、遠慮(えんりょ)のう御叱(おしか)り頂ければありがたい」


 これは儂の(いつわ)らざる気持ちだ。ホント、これから執り行われる儀式の立ち居振る舞いの面倒臭さを考えるだけで、ひどい頭痛がするのである。以前の、新築深志屋敷で受けた理不尽な扱いと面倒さ臭さたるやなかった。


またあのような、()(きた)りめいたモノをやるのかと思えば、頭痛もしようというものだ。

もうね、出来るならば今すぐでも帰りたい気持ちで一杯である。


「あれには我らもほとほと参っておりまして、礼儀作法と申しますか()(きた)りと申せましょうか、(それがし)も常日頃からとちらぬよう気を付けておりまするが、これがなかなかには…」


 垂水殿は頭の月代(さかやき)をポンポンと叩き苦笑いをする。


「あの作法とやらは、小笠原流とかですかな?」


 小笠原流とは花の御所に住まう幕府に於いての基本の礼儀作法の基本である。無論、小笠原流とは全く違うと判ってはいるが試しに聞いているのだ。


「なんのなんの、そのような格式あるものではありませぬ。あれは若さ…、いえ、御屋形様の御指示にて始めたと窺っております」


 ほう壱岐守がか。どういった考えで左様な仕来りを設けたのか気になるな。それに儂の相手に垂水殿を差し向けた皮袋の奴、どういう腹積い(はらづ)もりでおるのか。


「何のためにあのような仕来りを設けられたのでござる?」

「よくは存じませぬ。(それがし)はひと月前より、やっと出仕が(かの)うた身でありますので」

「それ程までの大病であらせられたのか、存ぜぬ事とは申せ見舞いの遣いも出さず、失礼(しつれい)(つかまつ)った」

「いえ、さほどには…」


 儂の気遣いの言葉に垂水殿は返答に困り、見事に下を向いて黙ってしまわれた。


「殿様、早う進まれよ。後ろがつかえておりますわい」


 なんとも気まずくなった空気を読んでくれたのか、せっつく様な左膳の声が響く。


「それはすまぬな。足元に蟻の行列がおって邪魔でな、よけておったのだ」

「蟻なんぞ、退かねば喰うてやるぞと申さば、勝手にどっかに行きますわい」

 途端に茅野家の行列のあちこちから笑い声が起こる。

「よい家来を御持ちでございますな、あの方は、確か……」


 後ろを見やり、名前を何とか思い出そうとする垂水に対して、奴の名を告げてやる。


右左(うてなさ)(ぜん)と申す者にござる」

「あの者が。左様でござるか、前々より武勇の誉れ高き武者だと聞き及んでおりまする」


 そう云い終えた垂水は、左膳に対して慇懃な会釈(えしゃく)をした。すると突然のことに慌てた様子の左

膳は、咄嗟とっさに衣服を整え直ししゃくを返した。


「奴め、不意を突かれもろくも崩れたな」

「いえいえ、一旦不利とみて退(しりぞ)き体勢を直されました」

「確かに、衣服を整え返礼致しましたな」

「劣勢は立て直され、ほぼ互角の状態に持ち込まれ申した。こうなれば真っ正面からのぶつかり合い、次の一手ことば(こお)う御座る」

「お互いにな。では、我らは些細(ささい)な事で気まずくならぬよう心掛けると致そう」


 ニヤッと笑い垂水を見てやる。


「そのように仕りましょう。怖いのはホトホト勘弁、勘弁で御座る」            

 垂水も可笑しみに堪え切れぬのか、口の端の筋を僅かに引き白い歯を見せた。


 忌々(いまいま)しい皮袋と会う前に、誠に面白き男と巡り合えたものだ。無論こちらとしては憎い相手の家臣ではあるが、皮袋…。いや、深志弾正には勿体なき男、あの男に感謝をせねばなるまいな。


 命を賭して、戦場(いくさば)を駆け巡る者だけが解り合える駆け引き遊びに興じて、兵庫介は童子に還った気持がしたのだった。


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