飯井槻さまと云う御人(1)
さて、今回は兵庫介の御主人様が季の松原城下に御姿を現されます。
そんな話です。
次回からは毎日二十一時に更新をして行く予定になっております。
上古の勇者につきましては、週末更新を予定致しております。
では、第二十一話を、どうぞお楽しみくださいませ♪
五月二十五日
昨日見た圧倒的すぎた光景に飲まれ、すっかり意気消沈した兵庫介は、赤く腫れぼったい目をしきりにこすりながら、茅野屋敷の門前にて武家の正装である直垂を身に付け跪き、行列が到着するのを項垂れまくった面をして待って居た。
待って居るといえば、屋敷地に連なる他家の軒先や塀の狭間や、果ては脇道から目だけ出して此方を覗き見る輩が大勢居る事だ。こやつらも行列を一目見ようと待っているらしい。
まったく、見世物ではないのだがな。
さて、件の行列はと云えば、此方側の、表向き静かなる喧騒なぞ気にも留めず、表街道筋から先頭が現れたのを合図に美々しい武者達が露払いを行いつつ、ゆっくりゆっくりと茅野屋敷を目指し進んで来た。
屋敷地を縦に区分けする主道には、神鹿家の侍どもが同じく正装を身に纏い地に伏して整然と居並んでいる。その狭間を鎧も煌びやかな行列が分けるかのように歩んでいく。
暫くすると兵庫介の前を通過していた行列が止まり、蒔絵と螺鈿が豪華に施された漆塗りの輿が地に据えられ、二人の侍女が緩やかな動作で御簾をするする開き、清々しく明るい陽射しの中、眩いばかりに麗しい姫御前様が地上にその御姿を現された。
あんた、いったいだれだ。
何時も思うのだが、どうやったら是程までに人は、別の生き物に化けられるのであろうか。
茅野家御自慢の御姫様に御成りに遊ばされた飯井槻さまは、出来の良くない櫛で髪を漉かせても、す~っと、何物にも引っかからず通してしまうと思えるくらいに美しく、見事なくらいに艶やかな黒髪を御持ちの御方になられていて、それが垂髪に整えられており、髪先に至っては、可愛らしく玉結びで纏められておられていたのだから、別の生き物に見えても仕方あるまい。
飯井槻さまが身に纏いし衣装もこれまた豪華なもので、薄桃色と紅色で基調された小袖に、羽織っておられる打掛の小鳥の彩鮮やかな模様が、生きて草花に寄り添い舞い踊っておるかのようで、儂と云えども心が弾んで仕舞ったのは内緒の話だ。
いいな、ちょっと抱きしめてみた……。ふっ、なにをバカなことを。
息を飲み顔を赤らめ、ほうっと見惚れてしまっていた兵庫介をよそに、侍女に差し出された履物に、形のよい小さなおみ足を乗せられた飯井槻さまは、介添え役の四人の侍女に恭しく傅かれ、屋敷の門前に静かに御立ちになられた。
この際、草履持ちの仕事も案外悪くないかも……。いやいやいや。
「神鹿家の者よ、面を上げられませい」
頭立つ侍女が、顔に似合わぬ声音で呼ばわる。
一同、衣擦れの音だけを残して面を上げた刹那、おおっ‼と、皆一斉に唸り声を上げた。
無理もない、もともと透き通るくらいの白き肌の持ち主で、誠に可愛らしく気品漂う御顔立ちをなされた飯井槻さまが、アホでド田舎育ちの山猿の集団の前に御成りあそばされたのだから、一様に黄色く嘆息したのも無理からぬことであった。
「神鹿の皆、大儀でありゃる」
透き通った飯井槻さまの御言葉に、茅野屋敷を中心とした地域は、不意に水を打たれた様な静けさに包まれた。
『『ははっ‼』』
しばらく間を置いた後、自然と発せられ、しかも波打つような大音声が屋敷地に木霊した。
飯井槻さまは慈愛に満ちた微笑みを浮かべられ、皆をゆるりと見渡し眼で応えられる。
てか、覗き見ていた奴腹らも我らの大音声に加わって返事しておったな。お前らなんもしてないし関係ないだろうが!
ああ、あやつら一人残らず切り捨てたい。
「参りまする」
頭立つ侍女が飯井槻さまに声をお掛けし、他の侍女らは可憐な衣装を土で汚さぬよう端に手を添え、ゆったりと屋敷の門に向かい歩を進め、敷地の内へと入って行かれた。
「皆立ちませい!!」
行列指揮官の声に皆一斉に立ち上がり、茅野家の行列は屋敷の裏門に向かい再び進行を再開した。
そしてこの後、残された神鹿家の者のうち主だった者は屋敷にこのまま居残り、他の者達は國分川の東岸にある、国主様から下賜された土地の河岸段丘上に聳える茅野家所用の城【新町屋城】に赴き、飯井槻さまを戴いて季の松原城下に参られた参の家老、戍亥様率いる茅野勢本隊と合流、そこで駐屯する手筈となっていた。
「では、我らも参ろうか」
右左膳や蕨など、僅かばかりの居残り組に声を掛け、兵庫介は裏門へと歩き出した。
「やあ兵庫介よ、長う待たせたのじゃ!」
屋敷内にある書院の下座で平伏して待っていた兵庫介の横を、ドカドカと音を響かせながら飯井槻さまが現れた。
彼女はそのままズンズン兵庫介の脇を進み、一段高くなった上座に着くや、ドスンと胡坐をかき片膝を立て座したのだ。
いやはや、何やら見えてはいけないモノが色々見えそうで、ホントに困る。……ホントだよ。
「飯井槻さまにおかれましては、御機嫌麗しゅうございます」
「えっ、あんただれ?」
出し抜けに何を言いやがる。そういうアンタこそ無駄に着飾りやがって、まるで別人じゃねぇか。
巷では日ノ本一とも密やかに囁かれておられる美しすぎる姫御前様は、とっくの昔に御姿を御隠しになられた様子で、代わりに居るのは、足の裏をしきりに掻いている姫の様なモノであった。
「わらわの見知っておる兵庫介は、そんな面倒くさい慇懃な物言いをするような武士ではないがのう。人違いかの」
わかったよ。いつも通りにすれば満足か?本当めんどくさい姫だわい。
「して、そこの上座の偉そうなの、飯井槻さまは道中息災であられたか?飯はちゃんと食うておられたのか?どうなのだ?応えよ」
「わらわが飯井槻その人じゃ。わざと素知らぬふりをしよってからに忌々しい」
飯井槻は両の膝をガッシと掴み、喰いつくように兵庫介を怒ってみせる。
「これはこれは、先程、表で見た姫御前様は別人であったか、これは大変失礼いたしました」
「あれもわらわじゃ!勝手に失礼するでないわ!」
深々とわざとらしく平伏した儂に益々食って掛かる。うむ。確かにこの言い回しは飯井槻さまだな。間違いあるまい。
「当り前じゃわ!判っておってからに~。わらわをからかいおって」
「まあ、確かにわざとだがな」
「あとで覚えておくのじゃ」
「あとっていつだ?今日のうちか、はたまた明日か」
「そんなことは知らん!」
「それはそうと……」
「なんじゃ!」
あんたさっきから喰い気味すぎるわ。人の話は最後まで聞け。
「で、なんなのじゃ!はよ申せ」
馬の耳になんとやらだな。まあ、いいや。
「一昨日の夜、誠に以て旨い、いや、美味すぎてたまらぬものを頂戴し、我ら神鹿家一同、心より感謝致しておりまする。が、どういった風の吹き回しであられたのか?」
辞儀をしつつ感謝の気持ちを伝えた。本当にあれは美味かった。昨日のも、それに今朝の飯も毎回はずれなしでまっこと旨かった。だが、ただでは起きぬ性格の飯井槻さま故、只で我らに飯を喰わせたわけでは無いのだろう?
「旨かったのじゃな♪大したものであろう?」
飯井槻さまは二カッと笑い、自身の自身の事のように自慢げに言うてくる。
「あの爺様の腕は神仙にも通じますな。いや参り申しました。それはそれとして……」
すると、飯井槻さまは不思議そうな顔をされ。
「其方は何を言うておるのだ?あの者を口説き落とし雇い入れた、わらわが大したものであろうが?」
そだね~、大したもんだわ。あ~あ、めんどくせェ。
「での兵庫介よ、わらわがそち達を歓待した訳の察しは既についておるのであろう?」
「多少は」
「多少の」
ふししし。と、にやにや飯井槻さまは楽し気に含み笑う。
「……あれは皮袋の目を欺くためであろう?」
「まあ、それもあるの、他にもあるがの」
「もしやとは思うが、儂を皮袋に気に入らせるおつもりで仕組んだのか?」
「ほう、お主を皮袋が気に入るのか、気に入られてどうする?」
「気に入られるとは、思わぬ。が、少なくとも、当家からの、あからさまな敵意を奴らが感じなければ、時間稼ぎには良いのではないか」
「ふしし。時間稼ぎの。して、その心はなんじゃ」
飯井槻さまは実に楽しげである。よかった。
「さればでござる」
此度の宴会の一件、仕掛けたのが飯井槻さまであれ、ひょろひょんであれ、皮袋と深志一派の国衆や土豪連中の当家に対する要らぬ気勢をあらかじめ削いでおく、そういった役割を忠義に厚い家との評判高き神鹿家が与えられたと考える方が自然だろう。
想像してみると良い。戦乱の時代が渦巻こうとして居る此の国の、こんな御時世の中に於いて「「御祭りじゃ♪御祝いじゃ♪」」と浮かれのぼせるアホ集団の存在感を。
深志方から見ればあたかも、飯井槻さまと深志孫四郎との縁談話を祝っている様にも取れなくもない騒ぎぶりであった事だろう。
「ほほう、そう奴らに思わせるために、お主らに豪勢な料理と酒をわらわが与えたと申すのじゃな?」
「儂はそのように考えたのだが、違うのか」
他に何があるのだ。
「甲乙丙で云えば、乙かの。残念じゃったの♪ふししし♪」
飯井槻さまが付けられた点数は凡点であった。丙の劣点でないよりマシだがなんか悔しいぞ。
「まあいいや、また考えるわい。それより飯井槻さまよ、昼餉はまだで御座るか?」
「そういえばまだだったのじゃ。用意はされておるのじゃろう?」
くそ、流石に察しがいいな腹立つ。だが、答えが判らぬのはもっと腹立つ。
「はっ!用意させてござりますが、すぐにでも御運びいたしましょうや?」
「うん♡」
「では早速、さあ入られよ」
高々と膳部を頭より上に高々と掲げた爺様が現れ出でて、自ら飯井槻さまの前に運び据え、これに付き従うはあの四之助で、酒器と盃に酒肴を載せた膳を主膳の隣にこれまた据えた。
「おお、これはまた美味げじゃな!」
上質の水晶みたいな大きな眼をキラキラさせて、飯井槻さまは大いに喜ばれたのを見て、儂はなんだか満足感を味わってしまっていた。
くそ!なにやら負けた気分がするのは、何故であろうか。




