茅野屋敷にて(4)
おこんばんわ。私です。
突然ですが、明日世界が終るとしまして、最後の晩餐に食べたいものは何でしょうか?
私は断然おにぎり……握り飯ですかね。
たっかい山の頂上に登りまして、眼下に広がる地上を眺めながら、丸くて大きな握り飯と各種漬物と、玉ねぎと油揚げの味噌汁と熱い緑茶があれば、私は心置きなくあの世へ旅立…………てるか!!
おっと、心の叫びが出てしまいました。
まあ、アレです。握り飯は美味いんです。
では、アホな私の妄想は華麗にスルーして、第十九部をお楽しみください♪
五月二十四日
陽射しが熱い。
目を閉じても瞼を貫いてくる太陽の光に耐え切れず、兵庫介は寝床の掻い巻きを脇に押しのけて体を起こした。
「今は何時なんだ」
昨夜は思うところがあり、皆と飲んで騒ぐこととしたのだが、日頃の疲れも手伝い、したたかに酔い潰れてしまったらしく、一体いつ寝たのかもまるっきり覚えていない。
どうも儂が寝ていた部屋は、屋敷を訪ねた客人をもてなす客殿の一室であるらしい。
此処は伝え聞くところによれば、気候の変動が激しい盆地にある季の松原城下であっても、夏場は涼やかで風通りがよく設えられた場所で、冬場は床板を取り外せば堀炬燵が使える構造になっていて、客人の快適な逗留に配慮された作りになっていた。
欠点と云えば室内の明り取りの為か、いい具合に陽射しが顔に直に当たるのが難点だろうな。今みたいにな。
ふと見ると、北面の壁に小さな引戸が設えてある。不思議に思い開けてみると、戸の内側には白壁があって丸く穴が抜かれており、外側には仕組格子が付けられている。そこから苔むした岩と小さな木々、清流の滝を模した穏やかにせせらぐ庭園が眼に映った。
「この屋敷にも斯様に雅な場所があったのか」
箱庭程度の代物とはいえ、長年に渡り茅野家に仕えてきた身なれど、このような場所は知らなんだわ。
普段は陪臣の立場ゆえ、客殿に赴いたり中に入ることは一切なく、主に大広間か書院など、御役目上必要なところにしか出入りせんからな。あとは、精々が大台所辺りで時折賄われる飯を食うくらいだったしな、知らぬのも無理ないか。
「誰の作であろう」
我が神鹿一族は、城塞を作ったり、藪を切り開き農地に変えたりすることを得意中の得意にしてはいるが、荘厳な寺社仏閣やら雅さを要求される御殿などは、その範疇ではない。
よって、茅野屋敷は御城の西の守りと反撃を司っているとは云え、茅野家の外交や政事も行う場でもあり、そういった際に必要な趣を一番とする構造物の建造は不得手とするので、この茅野屋敷は神鹿家の作ではない。それ故、時たま行う修繕の折には、わざわざ都から宮大工や細工師を呼び寄せて直しているのだ。
「本当に正確な屋敷の間取りは儂も誰も知らされておらぬからな。昨日、左膳らが手渡された絵図面にもこの場所は単に庭としか記されてはおらぬ。それにしても、こじんまりしてはいるが見事な出来栄えだ」
そのうち我が一族からも都に人を赴かせて、この雅な技を身に付けさせると致そうか。
さすれば様々な仕事も熟せて金にもなるし、尚且つ、飯井槻さまにも良き奉公が務まる事にもなるであろう。
そんな風に神鹿家の将来について、兵庫介が思案を巡らせていたところ。
「殿様、やっとお目覚めにござるか!」
やたらと元気な右左膳が、ねじり鉢巻きにはたきを持ってひょっこり現れた。
「……お前、朝から何してんの?」
面食らった兵庫介は、一旦呼吸を整えてから問うた。
「何かと申されても、ご覧のとおりの掃除の途中でござるが?」
さよけ。
「皆はどうしておる?」
「同じく掃除に立ち働いておりまするが?」
屋敷では、神鹿勢が率先して掃除に励むのが当然と言いたげな話し方である。
「朝飯は済ませたのか?」
「とっくに済ましましたわ。今何時と思うておられる?もう昼過ぎですぞ」
はい?
「殿様も早う身支度を調えられ、冷えた朝飯でも摂るのがよろしかろう」
左膳には嫌味交じりの小言を云われ、しかも既に時刻は昼過ぎと聞き、慌てた兵庫介は掻い巻きをかなぐり捨て丸窓から空を仰ぎ見、愕然となった。
とっくに御天道さまは天高く御登り為されて久しく、登り疲れて下りに移られた様子で、左膳が申したことに嘘偽りがないことに気付き、大の男が寝すぎたことに泣きそうになった。しかも庭どころか丸窓から垣間見える範囲では、自分の家来衆が手に掃除道具という名の得物を持ち、忙しくし立ち働いておる光景があったのだ。
その上、儂を眩しさで起こした陽射しは、天高く上がった御天道様の光が庭に据えられた岩と滝に反射して、部屋に差し込んでいた事象であった。
つまり、朝であれば当然起きない現象であったのだ。その有様に雅さを感じた儂はもう人としてダメかもしれない。
「殿様おそよう御座います。では失敬」
「あっはい、おはようございます」
庭を箒でサッサッサ~。初老の大口を開けた禿侍が、軽やかに儂に挨拶しながら通り抜けていった。
いっそ死にたい。
くそ、とりあえず着替えるとするか(泣)
その間も、パタパタはたきで天井の隅をやり出した左膳の態度に辟易し、未だのんびりした動作で寝床から起き上がろうとしていた兵庫介は、ワザとらしく咳き込み、部屋の中が埃っぽいと苦情を訴えた。
「おいこら、儂がちゃんと起きるまで待てないのか、お前は嫌味な嫁か?」
すると左膳は、ふん!と鼻息を鳴らし。
「あんた、いつまでも寝てるつもりだい。この宿六め」
と、言い返されてしまった。
「すみません。今起きます。すぐ起きます」
素直に言う事を聞き立ち上がった兵庫介に、甲斐甲斐しく左膳は枕元に着替え一式をおいてくれた。兵庫介と左膳は幼き頃からの仲であるので、この様に二人だけになると、自然とこんな会話や小芝居をはじめて遊んでしまいがちになる。
「ふふ、用意がいいな」
「くだらないこと言ってないで、早く支度をおしよ」
そしてお互い顔を見合わせ笑いあった後、兵庫介は身支度の為に近習を呼ぶこととした。
「で、左膳よ。ここまで儂を運んだのは誰だ」
「さあ知らぬわ、近習にでも尋ねればよろしかろう」
「左様か。あと、なんでまた大掃除をしておるのだ、昨日済んだのではないのか?」
「今朝方ひょん殿が参られ申すには、飯井槻さまが明日の昼には此方に御着きになる故、酒宴の後始末をなされて下さりませぬか。左様に腰を低くなされ申されたのでな、我らも、ささやかなれども昨晩の恩に報わねばならぬと皆で話し合い、勇んで朝から掃除に励んでおるのじゃが、何か問題でも?」
さよか。で、ひょん殿って誰? まあ、ひょろひょんだわな。
「いや、良い心掛けだな。で、その肝心のひょろ…、ひょん殿はどこにおるのだ」
「それからは見てはおらぬが?」
また姿を消したのか、なんと忙しい奴だ。
儂は口中に居もしない苦虫を噛み潰し、表情を厳めしくしていたところに、うぷうぷ吐き気を催している二日酔いの近習が、湯を張った盥を持って現れたが、兵庫介は吐しゃ物でも入っているのかと疑いの目で盥をのぞき込んでしまった。
よかった。水以外なにも入ってない。
「そう云えば殿様よ、昼前から深志の軍勢と、これに同心する土豪共の軍勢が、蛇みたいうねりながら続々と御城下に集まりおりましたぞ」
盥の貯められたぬるま湯を使い、顔を洗っていた兵庫介に左膳が外の状況を教える。
「ふむ、ならば飯のあと眺めに行こう」
遂に来おったか。奴らが完全に集結を終えるのは明後日であろうが、飛ぶ鳥落とす勢いの深志の事だ、軽く万は越す軍勢を整えているだろうな。まあ、今宵の酒の肴にでも見ておくにしくはなし。
顔や首周りを手ぬぐいで拭い、ようやく身支度を調えた兵庫介は、左膳に別れを告げ客間を後に廊下を歩き、次々に擦れ違う掃除中の配下の者共と挨拶を交わしつつ、草履を履き表に出る。
はじめは、先ず配下の者達が元気かどうか見回ろうと思い歩き出したのだが、屋敷内には無駄に元気いっぱいで掃除をする者共で溢れていて、わざわざ見て回る意味がないと考えたのだ。
ので、今度は遅すぎる朝餉を皆の迷惑にならぬ様摂ろうと考えた兵庫介は、表を大きく左に回り大台所に向かうことにした。
屋敷を左へ左へ角の旋回を繰り返すこと三回目で、大台所脇の縁台に空いた酒樽が重ねられたところまで辿り着いた時。
「あっ!お寝坊様があらわれたのじゃ~❤」
「誰がじゃ!」
さねと巡り合ってしまったのだ。この娘、なにが楽しいのか、こっちをじぃ~っと眺めてニタニタ笑っておる。なんぞ儂の顔に付いておるのか?ちゃんと洗った筈なのだが。
「お主、ここで何をしておるのだ?」
「ん?飯を待っておる」
「お主も朝飯か?」
「お寝坊様と一緒にするな」
「誰がじゃ」
「お寝坊様じゃないのか?」
「お…お寝坊……さまです…」
「じゃろうて♪♪」
くっ!この娘侍と居ると何故だか調子が狂う……。
「で、でだ、お主は一人か?ひょろひょんは何れにおる」
「朝から御役目に励まれておるのじゃ。働かないのに飯を漁りに来たのとは違うのじゃ」
なぜだろう、心がとっても痛い。
「お…お主も朝から働いておったのか?」
「働かざる者食うべからずじゃ。ちゃんと御役目を果たしてきたから飯にもありつける」
あれ、死にたくなってきた。てか眼からしょっぱい汁が。
「そこまでだよ、さね坊」
いじめかっこ悪い。そう言いかけていた儂とさねの間に、まだ少年の面影を残した若い男がやおら割って入って来た。
「なんも、あっちはしてはおらんのじゃが?」
「そうかい。ほら、飯を持ってきたよ」
ドンと、さねの隣に置かれていた空の酒樽の上に杉板が載せられた。
「わは♪団飯じゃぁぁ~‼」
「おかずは昨夜の残り物だけどいいかい?」
「うん良い!かまわんのじゃ!かまわないのじゃ!」
さねは欣喜の叫びを上げ、両手に拳ほどの握り飯を掴んで口いっぱい頬張りだした。
「さねよ、この御仁はどなたかな?」
兵庫介は初めて目にする男の素性に付いてさねに尋ねたのだが、質問を受けた当の本人は、団飯(だんめし・握り飯の事)にパクつくのに夢中で聞いてやしない。
「これはとんだ御無礼を、身共は四之助と申すものに御座ります」
代わって答えてくれたのは若者の方であった。彼はスッと跪き、ちゃんと兵庫介に首を垂れて畏まる。
「上の兄から数えて、一之助。二之助。三之助で、これが四之助じゃ」
「お前、口にたっぷり食い物を入れてるのにしゃべるなよ、行儀が悪いぞ」
兵庫介はさねのほっぺに付着した玄米の粒を取り、さねの口に入れてやりながらたしなめる。
「おっ、ふまんなのじゃ」
「米はな、我らにとって命みたいなものだからな、仇や粗末に致すべき物ではないぞ」
「ふぁい!」
「判ればよい」
「ふふ♪…えぷっ」
喋る為、口いっぱいの飯を一気に飲み込んださねは詫びを入れたが、同時に喉を詰まらせおった。子供か?まあ、こどもだったな…。
あわてた儂は急いで近くの井戸に駆け寄り、釣瓶を落として水を汲み、さねのもとに急ぎ駆け戻った。が…。
「ふぁ~。生きかえったのじゃぁ~」
だが、一足遅く、四之助が水の入った素焼きの椀をさねに手渡して飲ませた後であった。
バシャン。おっと、抱えていた桶を落としてしもうたわ。なんでだろうな。
「水はの、人にとっては命みたいなものじゃ。仇や疎かにせず大切にするのじゃぞ」
さねはニッコリ微笑み、儂に説教を垂れくれたのであった。




