茅野屋敷にて(3)
皆様、毎日お読みいただきまして感謝に堪えません。
ここに、厚く御礼申し上げます。
さて、第十八部です。
めしうま回です。
では皆さま、第十八部をおたのしみくださいませ♪
チラッ。
兵庫介の右隣りには、屈強な肉体を持つ旗持ちが肌脱ぎの姿でどっかり座り、わしゃわしゃ膳の中身を掴んでは、手当たり次第に口中に掻き込んでいた。そうかと思えば、左隣の少壮の陣貝吹きは飯
には目もくれず、一心不乱に清酒を煽っている。
うん、確かに旨いからな仕方ないね、わかるわかる。でもね、違うよね。なんか違うよね?もっとこう色々味わおうよ。儂程度の田舎者から見ても、これ絶対に御高い品だよ?彩も鮮やかだよ?まず目で楽しむところから始めようか。ね?
まあ、野人と大して変わらぬこいつらに、こんなに敷居の高い話をしても聞いてはくれないだろうからな、馬の耳に何とやら、儂は独りで楽しもうっと。
本膳料理の基本は一汁三菜である。らしい……。食すのにも面倒な作法があるみたいだが、そんなの儂は知らない。とにかく、手始めとして目で見て楽しむ食事らしいのだから、取り敢えず楽しむことにする。
そう心に決めた兵庫介は周りの喧騒は無視することにして、一口だけ箸をつけた膳部を両の手で持ち上げて、嘗め回す様に顔を近づけ観察してみた。
もう既に、不作法どころの騒ぎではないのだが、全く未知の文化である為なのか兵庫介はまるで気付いてはいない。彼もまた、山育ちのド田舎者の端くれなのがよくわかる事例である。
さて、供された料理のうち、最初に食した鯉の鱠に兵庫介は注目してみた。
鱠は本来は膾と書かれていたそうで、元々、獣肉料理を指したものである事が漢字からも読み取れるが、いつの頃からか、魚肉も材料の一つとして用いられるようになり、漢字の偏が肉を表す月と区別する為、魚の身の鱠は、魚類を表す魚偏へと変化し(鱠)なる字ができたそうな。
この字が使用される場合、なますの材料には魚が主に用いられるのだが、後に、字面の意味など無視して菜っ葉や大根などの植物でも作られる様になり、更に料理の幅が発展していくことになる。
「この鯉の削ぎ身は、どうして艶やかな桃色をしておるのだろう?」
兵庫介がまじまじと覗き込むのは鯉の鱠で、鯉の身を薄く削ぎ、細かく刻みを入れた手の込んだ仕事が施された品で、程よく酢に漬かっており、箸でつまみあげると真正面の小汚い野郎共の煤塗れた面すらも、桃色に美々しく透けて見えてしまうのだから驚きだ。
「鯉は白身なのだがな、なんとも不思議だ。なぜに斯様な色が付いておるのか全く理解出来ぬ」
流石は飯井槻さまが雇し料理人様だ。人知を超えた技を御持ちのようであられる。
兵庫介は心底から感嘆しつつ次の品に目を落とす。
器の形から汁椀であるのはド田舎者の兵庫介でも判る。わかるのだが、蓋を取り除いて椀の中を覗いても、入っている実の殆どが、彼には皆目見当も付かない具材ばかりであった。
まあ、吸うてみれば気付くやもしれん、そう兵庫介は考え、温かな湯気が上る椀に恐る恐る口をつけてみた。
「うわ!これも、うめ~わ!」
五感が刺激されるというは此の事だろう。
これまた透き通った液体に浮かぶ丸めた何かと、正体の解らぬ菜が沈められていて、その上に蜜柑の皮らしきものが刻まれ添えられている。のだが、汁の彩りがおかしい、初夏の今時分に皮の薄い蜜柑など季節に合わぬ。しかしながら、喰うてみれば此の正体がわかるであろうと考え直し、取り敢えず舌にのせてみる。
「うん?もしや、これは柚子の陳皮か。この丸いのは雉の肉を入念に叩き込め丸めたものか。菜は三つ葉と、塩菜花を刻み混ぜたものを固め茹でたものか。いやはや奥深いな」
だが、汁其の物の正体が何なのかは判らず仕舞いであった。
儂らの汁物と云えば、普段ならば糠味噌か出来の悪い麦屑から作った麦味噌、それに塩汁くらいのもので、こんなに味がふくよかで滋味あふれる汁物は、生まれてこの方飲んだ事なぞなかったのだ。
せいぜい儂が知っている贅沢な椀物と云えば、正月や大事な行事のおりに碧の紫陽花館で供される甘い白味噌の雑煮か、実だくさんの潮汁くらいである。どうやったら、斯様な品が作れるのか、あとでこっそり爺様に御教授頂こう。そして茅野家と飯井槻さまの危難が払われ、万事上手く済んだ暁には、故郷の神鹿の山に帰り、家臣一同を揃えて皆で大いに吸おう。
「うん?」
気付かぬうちに、何やら大広間が静まり返っておるぞ。
兵庫介はかぶりついていた汁椀から顔を上げ辺りを見回したところ、如何した訳か、皆が皆、押し黙って静まり、黙々と食器と箸を動かす音のみが大広間を支配していたのだ。
どうしたどうした?むちゃくちゃおかしな状況になっておるではないか。これらの者共は神鹿家揃いの黒い甲冑を身に着けなければ、すわ山賊か!と言われても仕方ない風体と行儀の悪さだと云うのに、揃いも揃って膳部に向かい畏まって座っておる。その様は、まるで狼が飼いならされ愛くるしく大人しい犬になったようだ。なんだこれ?
「お主、如何いたした?」
「殿様、こんなに旨いもの、今まで喰うたことない……う、うう(泣)」
皿まで喰らわん勢いだった右隣の旗持ちの男は、いつの間にやら肌蹴させていた着物をきちんと着込み、しかも行儀よく正座までして泣いていた。
えっ?お前、大丈夫?
その余りの変貌ぶりに慌てた兵庫介は、左隣で酒にかまけていた陣貝吹きに、思わず声を掛け助けを求めた。
「の、のう、酒は旨いか?あと、あいつどうしたの?」
「生涯をかけて我が身を飯井槻さまと殿様の御為、如何様にも尽くす所存に御座ります」
声を掛けた少壮の陣貝吹きは、これまたきちんと正座した姿勢を崩さず、礼儀正しく兵庫介に向き直り、涙を浮かべて折り目正しく一礼したのだ。
え?なにこれ、こいつもこわい。
「左様か…。うん。こ、これからも、ちゅ、忠義を……尽くせよ」
「ははっ!」
もう何がなんだかわからない。お陰で額から冷や汗が滝のように流れてきおったわ。
「殿様!我らも同じ思いで御座る!」
「斯様に大層なおもてなし、飯井槻さまはなんと勿体ない御方なのじゃ!」
「わしらのような身分低き者めらに、この様な厚い御心遣い、ああ、たまらんわい‼」
「この御恩、終生に渡って、お返しいたす所存にございます‼」
大広間に居並ぶ者達だけでなく、中には人数多く入れず仕舞いで、屋敷のあちこちに散らばり杉板のみの、形ばかり膳を構えていた者共も、広間を支える柱の間から雁首を、まるで月見団子の連なりみたいに突き出して、飯井槻さまと兵庫介に感謝と忠誠を口々に誓いはじめた。
なんだこれ?どうしたこれ?普段のこいつらにはありえない事象が起こってしまいおったぞ。もうホントに怖いんだが。後で掌を返したりはせぬよな?な?
〘皆々様!今宵は存分に楽しまれよ!宴でござる。御祭りでございまするぞ!!〙
「御祭りなのじゃあ♪」
金色の直垂を着込み、白い扇子を高々と差し上げて寛げたひょろひょんと、白拍子の衣装に身を包んだしたさねが、周囲を圧倒する勢いの声音を張り神鹿勢を無駄に盛り立て始めた。
『おお‼成程祭りか‼』
『祭りならば致し方なし!』
あっ⁉何が成程祭りか、だよ、意味わかんね~よ。やっぱりこいつら、しこたま酔っ払っているな。ちとばかし感動した儂の気持ちを返せよ。
〘祭りじゃ、祭りじゃ、御祝いじゃ!〙
『『おう!祭りじゃ!祭りじゃ!御祝いじゃ‼』』
さっきまでの静けさは何だったのか。理由も判らぬ気分のままに皆がバカ騒ぎを始めたところは、見まごうまでもなく、ただの考えなしの山賊の酒宴そのままである。しかも、時を見計らったのかのように、如何にも酒の肴に向きそうな二の膳が運ばれ、饗に花を添えるなんざ、出来過ぎにも程がある。
「儂の配下はバカしかいねェ~…」
祭だの祝いだの、そのような話いったいどこから湧いて出たのか。そもそも饗応の真意も全く判らぬではないか。我らは別にこれと云って大した働きなぞしていないのだからな。精々やった仕事と云えば、予定通りに季の松原城下に着いた、只それだけではないか。
「されば探るか」
兵庫介は大広間に居る筈のひょろひょんを先ず目で探したが、今の今まで近くに居ったのに何時の間にか消え失せ、どこにも姿が見当たらなくなっていた。
ならば。
「左膳か三太夫を使うか」
近習を呼び、彼らを連れてこようとしたが、困ったことに近習らの多くもしたたかに酔っているのに気付いた。
もし今、深志なり土豪の誰かが襲撃して来れば、我らは一人残らず屋敷を枕に討ち取られるであろう。
兵庫介は頭痛に似た痛みを覚え、額にそっと手を置き溜め息をついた。
そう、例えばひょろひょんがどこぞの間者であれば、既に儂や皆は毒など盛られるかして、三途の川の向こう岸に新たな住処を探し求めているところだわ。
さてどうしたものかと思案していると、ひょっこり息が酒臭い三太夫が現れた。
「良いところに参ったな三太夫よ、お主に頼みたいことが…」
「殿様の御為、如何なる苦難も乗り越えてみせる所存で御座る‼」
ズサッ!
三太夫は何を思ったか、いきなり片膝立ちで畏まり辞儀をして来た。
ああ、こいつも毒されていたか。儂の眼は一瞬で哀れな物体を見る目に変わったが、瞬時に首を振り表情を修正して、やって欲しい件についての話をする。
「お主に頼みたいことは他でもない、あのひょろひょんの行方を掴み、出来うるならば儂のもとに連れて来よ。また屋敷の周囲の様子をくまなく探索せよ」
「はは!命に代えましても!」
そんな大層なものと代えなくてよいのだが、めんどくさいので放っておくことにした。
「で、左膳はどうしておるのか知らぬかな」
「うっぷ。えっと、あちらに居られまするが」
跪いたまま吐きそうになった三太夫が、首を振った先に目を凝らす
。
「わははは!祝いじゃあ!目出度い目出度いめでたいのう!!」
御神酒の酒樽を抱え、焼いた肉が刺さった串をガツガツ頬張り、馬廻連中と肩を組み大音声を張り上げる赤ら顔の大男がそこにいた。
めでたいのはお前の頭じゃ。
「あれ…か…?」
「はっ!」
「こちらに来るどころではないな。あの様子では…」
「うぇっぷ。はあ…確かに、何か左膳に言いつけ事でも御座りましょう…か……ごくん」
「いや構わん。気にするでない」
吐き出そうとしたのを飲み込むなよ。頼むから。
しかし、あやつが見た目通りの無類の酒好きで、大酒飲みでもあったのを、うっかり失念しておったわ。
二年前に新しく娶った一回り以上歳の違う嫁が、しきりと体のことを心配しておったっけな。帰ったらそれとなく言いつけてやろう。
「あとで左膳に申し伝えよ。ほどほどに致せとな」
「つ……うっ!……仕りて御座る」
よろめきながらも、素早く身を翻た三太夫は、酒色にまみれた猛獣渦巻く只中に敢然と突入し、ひょろひょんを捜しに走っていった。
「やれやれ」
兵庫介は酒と料理に身を委ね、好き放題に振る舞う大量のバカ共の邪魔にならないように、気を配りながら縁側へと移動した。
もちろん自分の膳部と盃は手放さない。
背後の大広間では、大樽で取り寄せられていた御酒が底をついたのか、別の酒樽がむさ苦しい野郎どもに神輿みたいに担がれて大広間に運びこまれ、それに蜜にたかる蟲の如く大勢の男どもが群がって行った。
運ばれた酒は濁酒程ではないものの、それなりに濁っておるのだが、奴らは一向に気に留めないらしく、次々と樽に直接椀や桝を突っ込んでは酒で満たして飲むことに躍起になっている。
「もしここで酒を取り上げたら、奴らしぼんで死ぬのではあるまいか。いや、儂が殺されるだろうな」
そんな、どうでもよいことをウニャウニャ考えていると、だいぶ兵庫介の酒も抜けて来たのか、頭が徐々に冴える感じがした。
そうしたら気付いたことがある。
屋敷で騒ぐ我らの喧騒は外にも波及しておるみたいで、塀の外からも『祝えや、祝え、御祭りなのじゃ♪』などと、まるで謡の調子みたいな楽し気な声と鳴り物が響いており、左様に陽気な雰囲気に導かれ道に出て来たのだろう、他家の者達も一緒にワイワイ騒ぐ様が、谷間の屋敷地中に木霊していたのだ。
声音を聞くに、率先して騒いでおるのは娘侍のさねだな。
まあ、始まってしまったものは仕方あるまい。もう、どうにでもな~れと覚悟を決めた兵庫介は、胡坐をかき料理に箸を進めていると、脳内に異常を知らせる感があった。
「ん?あんなもの張ってあったかな」
いつ張り巡らせたのだろう。屋敷をぐるりと囲う土塀には、茅野家の家紋であるところの、白地に赤餅が意匠された幔幕と、茅野家の祝いの席によく引かれる家紋の色合いを簡略化した金縁の紅白の幔幕が、共に仲良く塀に下がっていて幟まで上がっている。誰だってこんな屋敷の様相を見れば、何かしらの祭りか祝いの宴だと思っても仕方あるまい。
「それなら、外の他家の奴らも楽し気に騒いでおるのも、まあ無理からぬこ…と…⁉」
ことの真意に気付いた兵庫介は、はっ!となり、咥えていた雉肉を縁側に落としかけた。
成程、ひょろひょんに、まんまとしてやられたのか。
「やや殿様、ここに御座いましたか。……どうか為されたので?」
ふと見ると眼前に、息を切らした三太夫が傍で座していた。
「ん、いや、してどうであった」
「は!四方探索しますれども、ひょんひゃん殿もさねちゃんも見当たりませぬ」
「まあ、用事が済めば、長居はすまいな」
「は?」
「なんでもない」
それより、ひょんひゃんて誰だよ?まあ、誰かは解かるが。
「で、外の様子はどうだ」
「屋敷の周囲では、篝火が盛んに焚かれ幟が上がり愉快な音曲が鳴り渡り、さながら御祭りの様でありました。これに釣られたのか、外に繰り出した他家の人々も重なるが如く寄り集いておりまして、見まごうほどに賑わって御座いまする」
「だろうな」
「は?」
予想通りだな。しかし、流石はひょろひょん仕事が早いな。
「よくわかった。苦労であったな。そちも皆と楽しくやれ」
「御下知とあらば従いまするが、されど警戒の手を緩めてもよう御座いまするか?」
「心配には及ばん、配下ともども楽しめ」
「はっ!有り難き幸せに御座いまする!」
三太夫は配下に言伝すると、ウキウキ顔で宴会場に足早で戻って行った。




