茅野屋敷にて(2)
第十七部のお届けになります。
夜中には、ある意味向かない話になりますが、是非お楽しみくださいませ♪
我が配下の者どもは人塗れで押し合いながらも、そこかしこに仮の居を構えた様子で、ある者は、屋敷の縁側に敷物を敷き足を地べたに這わせて寝そべり返り、ある者は、わざとやっているのか、厠の入り口を占拠して用足し者の邪魔をしながら寛ぎ、またある者は、庭の平たい縁石に脱いだ鎧一式を置き、供連れと篝火を頼りに相撲に興じていた。
あのなぁ、ここはお主らの実家かなんかか?
まあ、なんにせよ彼らに不満などない様子が見て取れる。何より皆一様に笑顔であるのがとても良い。この大らかさこそが茅野主従の本分であろうな。
しかし、この状態は、他家ならばえらいことになるであろうな。深志家ならばどうなってしまうのか、打ち首かな?
この状況を一言で纏めるなら、大きな盥でも入りきらぬ大量の芋を、無理矢理力任せでゴリゴリ洗っておる状態かな。
「やや、これは殿様、見回りご苦労様に存じまする‼」
儂は耳をつんざく大音声にびっくりし、思わず歩みを停止させた。
「小ざっぱりなされましたな、先程までの塵芥 まみれの御姿からは一新しましたわい!」
やたらと儂に人懐っこい笑顔を見せる剛の者が、人を二人脇に抱え仁王立ちしていた。
右左膳である。
「どうしたのだお主、妙に息が荒いぞ」
「相撲で退屈しのぎにしておりましたが故、息も弾みまするわ。殿も一勝負いかがでござる?」
なんでやねん。てか、あんな場所で相撲を取っていたのは、お前かよ。
汗まみれになった男達が、肌から湯気を立ち上らせながらくんずほぐれつしておれば、そりゃ息も荒くなるであろう。てか、他にすることはないのか?
とりあえず、汗臭さでむせるからこっちくんな。
兵庫介はズイズイ近寄る左膳を適当にあしらい、再び、あちらこちらを見て回る作業に専念することにした。次は敷地内を見回ろうと思い玄関に赴き草履を履き、先ず愛馬が繋がれている厩で飼葉を食む馬たちを眺めていると、ふと気になることができた。
「そういえば、もう夕餉の頃合いを過ぎたとは思うのだが、配下の飯の支度はどうなっておるのだ?」
屯して笑い話に花を咲かせている我が兵達に、それとはなく聞いてみることにした。
「あっ!これは殿様、えっ?夕餉で御座いまするか?まだ食うてはおりませぬが」
「それはまことか?」
「はあ、誠に御座りますれば」
「誰ぞ、呼べ」
近習の一人に、事の仔細を知っているものを呼びに走らせる。
こちとら早めの朝餉を喰ろうて以来、ろくに飲み食いしておらん。せいぜい腰に吊るした干し飯を噛んだくらいだ。一体どうなっておるのか。
「まだ参らぬか」
やきもきしながら炊事責任者を待つが、実際のところ、この不始末の責任は儂にある。
茅野屋敷へと繋がる大路での別れ際、歩き疲れておるであろう兵らの為に、左膳や三太夫にでも飯の支度を致すように申し付けておけば、難なく済んだ話なのだからな。
兵庫介は、皮袋との面談にばかり気を取られ、兵の飯にまで気が回らなかった自身の不甲斐なさを感じながら、さりとて主家である茅野家所有の屋敷内で、勝手気ままに煮炊きなど出来よう筈もなく、ここは台所を司る者なりなんなりを呼び出して、飯の支度がないのであれば、此方で飯を整えてもよいかとの許しをもらおうと考えたのだ。
まあ、無理であろうがな。
大体において、この大人数である。監督も無く一斉に煮炊きなどされてはかなわぬし、出陣前に火事など出せば、もはや取返しもつかぬ上に縁起も悪い。
飯井槻さまに顔向けも出来ぬわ。まあ、そん時は自害かな。
兵庫介が腕組みしながら落ち着きなく、ぐるぐる馬小屋の前を逡巡する様は、傍から見れば、何か知らないけど、この人怖い……。であったろう。
『え~、某を御呼びとの事で、急ぎ罷り(まか)越しましたが何か』
やっと参ったか!
「おっ、待ちかねたぞ。て、お前かよ!」
兵庫介が勢い込んで振り返ると、ひょろひょんが薄ぼんやりしながら突っ立っていた。
〘はあ、申し訳ございませぬ。して兵庫介様。なにか不都合でもござりましたでしょうか?〙
お主が不都合だ!などとはおくびにも出さず、思わず下を向いてしまった兵庫介がいる。
しかし、こいつ、どこからともなく不意に涌いて出てくるな。ごきかぶりかナニかか?
「まあよい、兵達の夕餉の支度はどうなっているのだ?ないなら此方で都合致すが」
腕組みを解き、間違いなく用意されてないであろう飯の支度具合を聞く。
〘そのことでございましたら、新しく飯井槻さまが御雇になられた料理人が調えておりまする故。しばしお待ちを……〙
ひょろひょんからの意外な返答に一瞬、言葉に窮してしまった。
「さ、左様であるか、だが兵達は皆腹をすかしておる。取り急ぎ頼むぞ」
〘畏まってございます。神鹿の皆様に盛大に馳走致しますよう御社様からも申し付かっておりますれば、御案じなされませぬよう〙
飯井槻さまの名を出されたら、儂も流石に弱い。もしやこやつ、ワザと御名を出したのではあるまいな?などと穿ってしまうが、ひょろひょんはいつもと表情が変わらず、邪念があるようには見えない。
「よろしく頼む」
要件を済ませた儂は、とっとと、この場から離れようとしたのだが…。
〘それと兵庫介様〙
去り際に呼び止められた兵庫介は、なんだ!と言わんばかりに振り返った。
〘大広間でお待ち下さりまするよう〙
「……そうであったな、判った」
そういえば屋敷に辿り着いた時にも、そんな事を言われたな。全く以て忘れていた。
「仕方あるまい」
だが約束は約束である。それに儂も奴には確かめたき事柄もあるしな。
兵庫介は幾人かの近習の者に、飯は間もなく届くと、兵達に知らせて回れとだけ告げ、そそくさと草履を脱ぎ、屋敷に上がり直すことにした。
これから兵庫介が向かう茅野屋敷の大広間は、奥行き二十間の広さがあった。
背後が白塗りの土壁で拵えられた上座以外は、三方を襖でしきられた場所で、この襖も、春秋の時代の古人の逸話が姿絵となり、生き生きと描かれているらしいのだが、兵庫介にはよくわからない。
何しろ描かれている絵が色褪せており、しかもチョロチョロに剥げてしまっているので、幾ら儂に教養に乏しいとはいえ、そもそも判別の仕様がないのだが、飯井槻さまがおっしゃるには、これはこれで風情があるらしい。
逆に兵庫介が好んだのは、どちらかと云えば色鮮やかで見栄えが良いの図案で、どうも大広間の襖絵を、飯井槻さまの様には好ましく感じられないでいたのだ。
「趣味の違いだな」
屋敷の者が開いてくれた襖の端をちょんと指で弾き、下座に腰を落ち着ける。
ジジ……。
広間の隅々に置かれた燭台の一つから、紙を紙縒った芯が、油に浸される音がしたので慌てて近寄り、火が消えかかっている芯を魚油から繰り出し灯火の勢いを盛んにする。
だが、只でさえ陰鬱な襖絵を、更に幽鬼的に見せるだけの役割しかしてはくれないのだから、もはや光源としての仕事を果たしているとはいいがたいが。
〘お待たせ致しました〙
「わっ!」
音もなく広間に侵入したひょろひょんに、兵庫介は驚き飛び上がってしまった。
やっぱりこいつはごきかぶりやもしれぬ。ああ、気持ち悪い。
つ、つつ……。
素足の裏から発せられる擦り音だけを発して、ひょろひょんが近くに寄って来たかと思えば、礼儀よく座り深々と辞儀をした。
「で、儂に用件とはなんだ」
ひょろひょんが頭を上げるのを待って問う。
〘その前に、先ずは一献、如何でござりましょう〙
この言葉を待って居たかの如く、左手奥の襖がすらっと開き、白木の板に載せられた酒と盃、そして肴が運ばれて来た。運んできたのは、齢六十過ぎであろう烏帽子に渋染めの直垂を身に纏った御老体である。
「失礼だが、この御方はどなたかな?」
見るからに高貴そうな面持ちの老齢の御仁に少し圧倒されながら素性を尋ねる。
〘かの御仁は私めの昔なじみにて、飯井槻さまが御雇になられた料理人でござります〙
「ほう、この方が、お初に御目にかかる。身共は神鹿兵庫介親利と申す者、以後、御見知り置き願いたい」
兵庫介は御老仁に威儀を正して辞儀し、自身の名を告げる。
「これは痛み入りまする。私は長く放浪の身の上で御座いまして、名はご容赦を」
深々と辞儀をした御老体は、酒器が載った白木の板をついっと差しだす。
成程、訳ありの身の上なのだな。であれば深くは聞くまい。
「判った。で、早速だが料理人殿、我が兵どもの夕餉は調いてございますかな?」
「只今、お配り致して居る頃合いかと存じまする」
「有り難い、礼を申しまするぞ」
御老体に対して再度深く辞儀をし、酒器を手にしたひょろひょんから注がれる酒を朱塗りの杯で受ける。
「ふむ。これは、なかなかに見事な盃だな」
酒に満たされてもなお、底の朱色がまるで紅葉みたいに艶やかで、何とも美しい。
「うん?盃の底が見えるとな」
もしや此の酒、透けておるのか?
思わず掌にこぼし眺めみる。傍にある燭台の灯火がゆらゆら揺らめくのが、酒の表面で鏡の様に鮮やかに映し出されている。
「これは、よもや清酒か?」
〘お気づきになられましたか〙
うん、初めて見た!
「気付かいでか!ひょろひょん、お主、こんな貴重な酒をどこで手に入れた!」
バっと顔を上げ、酒とひょろひょんを交互に見比べまくし立てる。
〘さるところにお願いし手に入れました。御神酒にございまする〙
こやつの交友関係が、物凄く気になる。
「さ、左様であるか、いや、この様な良き品は初めて目にした故、迂闊にも取り乱した。許されい」
〘お気になさらずとも構いませぬ、それよりもお召し上がりを〙
「では」
ひょろひょんに促された兵庫介は盃の端に口を付ける。優し気な、ねっとりとした感触が唇から伝わり、熟れた果実の様な芳香が鼻孔を突き抜け舌に転がる。いつも飲んでおる酒はどろりとした濁酒で、とろけた米と麹が口中に残り、飲むというよりも食べるに近い代物だ。
それに比べて此の御酒は、グイッと飲み込んだ筈なのに口中に何も残らず喉を下り、するっと胃の腑に収まってしまいおった。その余りの咽喉越しの良さに、目眩までしてしまいそうだ。
「これが、酒なのか?」
〘お気に召されましたか〙
そう言いつつ、ひょろひょんは兵庫介の空の盃にとくとくと清酒を注いだ。
「話に聞いたことはあったが、これほどのものとは思うてはおらなんだ」
ほう、と、兵庫介様は温まった息を吐き、余韻の味わいを堪能する。
〘左様で御座いましたか。わざわざ取り寄せてようございました〙
「どのようにして作りおる物なのだ?」
御酒をぐいぐいとやりながら、ひょろひょんに疑問をぶつける。
〘しかるべき神に捧げ奉るため、杜氏が精魂込めて仕込まれた御神酒ですので、しかとは存じませぬが、なんでも絹を使い酒を幾度も絞りて漉し、漉したるものを幾日か据え置き、白く不純なるものが沈まるのを待ち、清い上澄みのみ掬い取りたる神酒であるとか〙
「儂は、とても神たる身分ではないのだが、その、大丈夫なのか?」
香弥乃大宮の祭主であられ、御自身も神代から伝わる神の末裔であらせられる飯井槻さまなれば、斯様に高貴な清酒を神事に伴い召されるのも構わぬであろう。
だが、儂の様などこの馬の骨とも知れぬ、ド田舎侍が飲んでしまって罰は当たらぬのだろうか。
その事を先程まで傍に居た料理人の爺様に尋ねようとして横を向いたが、いない。かの御仁はどこに行かれたのであろうか?
この疑問に料理人に成り代わり、ひょろひょんが応えてくれた。
〘杜氏自らが飲みたいが為、いつにも増して多く作りたる品でございまする。よって大事ございませぬよ〙
「はは、左様か。が、なんとも酔狂な奴が世の中にはおるのだな。神の上前を撥ねるとは、なかなかに面白いことを考える杜氏だ。儂には到底……」
生まれつきなのか、酒にさほど強くない兵庫介は、やや酔いが回り始めたようで、だんだん饒舌になっていくのが自分でもわかった。
あれ、何か聞かなくてはいけないことがあったような、なかったような………あっ、そうだ!
「わ、儂だけが、この様な馳走に預かる訳にはいかぬ、酒は沢山作られたと申したな!」
〘申しましたが〙
「配下の飲み分位はあるだろうか?無ければせめて、ひと嘗めでも皆にさせてやりたい」
おや、こんな話をする予定だったっけ?まあ、いいか。
儂の話を聞き終えたひょろひょんは、何故だかニンマリと微笑んで立ち上がった。
〘そのように申されると思い、既に皆々様にお渡しておりまする〙
「さよう…か⁉」
そう兵庫介が言い終わる前に突然、大広間の三方の襖が一斉に開け放たれた。
『『『宴じゃぁぁぁぁ!!!』』』
屋敷の外にまで轟かんばかりの大音声を大広間に響かせて、我が忠勇なる男どもがもんどりうってなだれ込んで来た!!
「わっ!なんだなんだ‼」
大量発生した数百人の馬鹿たちは、皆手に手に様々な酒器と膳部を抱え、どかどか勝手気ままに座りはじめる。
ふと気付けば兵庫介の前には膳部が無造作に据えられており、僅かに椀の中の汁が膳にこぼれていた。なんと粗雑な奴らだろう。さっきまで大広間だった屋敷一番の空間は、隣の奴と肩が触れ合う小さな部屋に変貌していた。
「お前らどうした?飯を喰ってたのではないのか?」
『『『只今より喰いまする!殿様を肴にしてな‼』』』
儂の配下は、つくづく碌なのがおらん。
「致し方無しか……。よおし!皆で飲もう‼」
兵庫介は大声でどんちゃん騒ぎの始まりを宣言した。
こうなっては誰にも、そう、飯井槻さまでも止めることは出来ないであろう。てか、あの飯井槻さまならば、御自ら率先して好き放題にするだろうがな。やれやれである。
兵庫介は、この場に居ない飯井槻さまがもし居ればどうなっただろうか、などと想像し一人クスクス笑い終わると、眼前に置かれた膳部の料理を無造作に口に運んだ。
「うまっ!!」
なんじゃこりゃ‼
適当に選んで喰った鯉の鱠が驚くべき美味さだ!
もしやこれ、噂に聞く本膳料理とか云う奴ではないのか?どこぞで喰うた奴の話を又聞きで聴かされたことがある。こんなちゃんとした料理を、儂を含めた小汚い山猿どもに食べさせてもいいのだろうか。




