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茅野屋敷にて(1)

第十六部になります。


お楽しみくださいませ。

「お早いお戻りでしたな」

「全然早くはねえよ」


 (いか)めしい顔を安堵(あんど)の表情に変化させた左膳に、気遣いさせぬよう陽気に応える。


「して左膳よ、お主屋敷に向かったのではなかったのか?」

「あの妙な飯井槻さま直臣の男と、近習の者からの報せで、殿様が白洲に引き出されたと聞き及びまして…」

「ひょろひょんか、で、儂を助けに参ったと?」

「まさか、面白そうなんで皆で見物に参りました」


 ちくしょうおぉぉぉーーーー‼


 左膳が連れ立ってきた当家の屈強な武者共がニヤニヤしながら此方を見てる。

 覚えてろよ、こんちくしょう!


「くそ、まあいい。で、皆は屋敷に入れたのか?」

「人数が人数にて入るのに難儀致しましたが、掃除の後、各々落ち着くところに落ち着きましてござる」

「えっ、掃除したの?なんで?」

「ひょんひょん殿の御指図(おさしず)にて、皆で励みますれば」

「いや、そうじゃなくてね。なんで屋敷に着いた早々、掃除なんぞさせられているの?」

「なんでと申されましても、屋敷に着きましたおり、皆、手に手にはたきやら(ほうき)やら渡され申し、上からの御指図との事にて、先程まで立ち働いて居り申したが何か?」


 聞けば、ひょろひょんの言われるがままに、屋敷にもともと込められている人数共々、(あらかじ)め用意されていた屋敷内の絵図面に記された箇所毎に人数を割り振られて、追い立てられるように大掃除にこき使われていたそうな。


「ひょろひょんの奴め、一体どういうつもりだ」


 御城下までの旅は日数的には大したものではないが、甲冑を付けたままの行軍を行い、皆一様に疲れておるのに何たる仕打ちだ。帰ったら、とっ捕まえて抗議してやろう。


「帰るぞ!」

(つかまつ)った。馬引けい!」


 勢い込んだ兵庫介は、引かれて来た愛馬に乗ろうと手綱をひっつかんだ瞬間。


 とたとたとた……。


 なにやら幼げな足音が背後から聞こえたので頭を振り向ける。そこににゅっと両手を差し出され、薄黄色の液体が入った椀が兵庫介の眼下に現れた。


「さねか?」

「殿様、お疲れであろう?」


 足元に片膝をついた娘侍のさねが、小さく可愛らしい両の手で椀を捧げている。


「まあな、いろいろと気疲れしたわ」


 兵庫介はさねに微笑みかけ、ひょいと椀を取り温かい中身をゆっくりと飲む。途端に生姜のすがすがしい香りと辛みが鼻を抜け、汁も甘くて生き返るような気持ちになった。


「これはもしや、(あま)(づら)の汁を煮詰めたものか?」

「判るのか?さすがは殿様なのじゃ」

「儂を何と思うておるのだ、山に生まれたる者ぞ。それくらい造作(ぞうさ)もないわ」


 はははは♪


 そうひとしきり二人で笑い合い、生姜湯に溶かされた(あま)(くず)の優しい甘さに心を解き(ほだ)され喉を鳴らした。


「我らは先祖以来、山の民であるのは其方(そなた)も存じておろう」

「うむ、存じておるのじゃ」

「遠い昔の話になるがな、(みかど)がおわします都に税を毎年納めねばならなかったのだが、さりとてこちらは草深い田舎の山の中に住まう者、しかもな、その頃の神鹿の領地では米どころか麦も碌々(ろくろく)とれなかったそうでな、如何にして(これ)に応えたら良いものかと、皆で頭を寄せ合い考えたそうだ」

「ご先祖様は、どうされたのじゃ」

「いろいろ(ひと)伝手(づて)に話を集めたところ、都人(みやこびと)は甘いものに飢えていると聞き及んだ。そこで、ご先祖様が日頃から甘味として慣れ親しんでおる甘葛の汁を集め煮て、どろりと濃厚にした品を役人に差し出したところ、これが大層喜ばれてな、以来、甘葛の蜜を税と()したそうだ」

「甘いものはあっちも好きじゃ!」


 さねはキラキラ目を輝かせて、兵庫介の目をじ~~いと見つめ言った。


 甘葛の汁を煮詰めたものは、()めるならまだしも、そのまま飲むには濃すぎて喉に絡み適さない。さねはこれを飲み物とする為に生姜湯を作り、わざわざ溶かし込んだのだ。


 なかなかこの娘侍は以外と機転が利き、しかも性格も可愛い女子(おなご)なのかもしれないな。


 ニコニコ可愛らしい笑顔に見つめられ、少しばかり年甲斐もなく照れてしまった兵庫介は、椀を左手に持ち替えて空いた右の手でさねの頭を撫でてやろうと乗せた。


 ガン!!


「ぐぅああ‼」


 突然すぎる強烈な痛みに、兵庫介は弁慶の泣き所を抱えて地面を転げまわる。


 なんなのこの子、いきなり(すね)を殴って来たぞ!こちとら小石のお陰で手負いなのにぃ~!


 地面に座り込み、未だ鋭い痛みを発している向う(すね)の様子を恐る恐る眺めると、白洲の砂利のおかげで大小穴だらけになったところに、拳骨で真っ赤になった(あざ)が出来ていた。


「仮にもいっぱしの侍の頭を、気安く撫でようとした当然の報いなのじゃ!」


 涙目になる兵庫介を見下げながら、怒気を含んださねの声が高らかに響く。

 必死に噴き出た涙を拭う兵庫介が周りを見回した。すると左膳がわざとらしく顔を背けている姿が目に入った。他の者共も同様にこっちを見ないよう気を利かせてくれている。かと思いきや、こやつらの肩が小刻みに揺れているのを兵庫介は見逃さなかった。


 ああ、もう! 早く神鹿の地に帰りたい。


 涙目の兵庫介が天を仰ぐと、夜の闇が、もうそこまで迫っている頃合いであった。



 さて、季の松原城下における茅野家の屋敷は、御城の西端の谷間に広がる武家屋敷地の最奥にあり、その地は城の(うまやの)(くるわ)から伸びる尾根(おね)を利用して作られた人工の平地で、中級以上の家臣の屋敷が所狭しと軒を連ねている場所でもあった。


 中でも、茅野家の立場は国主家の中老職筆頭である為に、尾根の一番奥まった広やかな土地に屋敷を構えられていたのだが、これには理由があり、いざ籠城戦になった時には此処に逆襲の兵を込めるよう工夫され、反撃の機会を窺う()屋敷(やしき)(くるわ)の役割も持たされていたのだ。


 この様に重要な役割を担わされている茅野屋敷であるが、築造されてから三十有余年も経過しているにも係らず、これまで大した改装工事を行ってはいないが為に、いささか古ぼけてしまっており、新築物件な上に豪奢(ごうしゃ)な作りの深志屋敷に比べるまでもなく、真新しい樹木の香りもしなければ、城門の如き堅牢な門構えもなく、もちろん風光明媚な大池のある(みやび)な庭園なんぞ存在すらしていない、只の(ふる)臭い武家屋敷であった。


 そんな屋敷に兵庫介が辿り着く頃には、辺り一帯が闇に包まれ、通り過ぎる他家の屋敷では煌々(こうこう)と(かがり)()が焚かれていて、左膳らによって隅々まで掃き清められた道を美々しく浮かび上がらせていた。


 この清廉さを兵庫介らの一行は心苦しくなりながらも、踏みつけ打ち消すようにして歩み、門構えを構成する防ぎ板も薄っぺらいが、小奇麗に埃を落とされた茅野屋敷の裏門を潜り、敷地内に申し訳程度に並べられた(かがり)()が出す煙の中にすっぽり入って出たところで、とぼけた面をしたひょろひょんの出迎えを受けた。


〘お待ちしておりました〙

「少し(おそ)うなった」


 相変わらず掴みどころのない、どことなく気の抜けた話し方をするひょろひょろにうんざりしつつ、愛馬を口取りに預けて身軽になった兵庫介は、さっさと玄関の式台に座り草鞋(わらじ)を解きはじめた。すっかり蒸れてしまった足裏が外の空気に触れて心地いい。


「で、儂に何用だ」

 

 俺もちと、聞きたいことがあるんだから手短にな。と、心の中で呟く。


 土間に片膝立ちで座ったひょろひょんに問うが、いつもの読めない表情を崩さずに、ゆるりと勿体(もったい)ぶる様にして口を開く。


此処(ここ)ではなんですから、(のち)ほど大広間にてお待ちしております〙


 これだけを言い残し屋敷の裏手へ、すぅ~と、姿を消した。


「相変わらず気持ち悪いな、あやつは」


 誰に言うでもなく一人また(つぶや)き、近習が抱えてきた熱い湯で満たされた(おけ)に足を(ひた)して(りょ)(じん)(ぬぐ)った。ああ、気持ち良いわ。


 体に纏った(つち)(ほこり)を落として屋敷に(あが)り甲冑を解き、湯に浸した手拭で汗を拭い、真新しい衣装へ替え身支度を整えてから、普段、屋敷を飯井槻さまから預けられておられる弐の家老、甚三郎様の御妻女(ごさいじょ)様に御挨拶をする為、離れの座敷に向かうことにした。


 実のところ、御妻女は国主家の人質でありながらも、茅野屋敷の留守を任せられておられる気丈な御方であり、その上この屋敷の真の支配者でもある彼女に御目通りを願い事で、遅まきながら飯井槻さまが御城下にやって来られるまでの間、神鹿勢の宿にさせてもらう許可を得ねばならぬのだ。であるから、彼女の機嫌を損なわなぬよう、心して掛からねばならぬ次第である。


「自身の屋敷だと思い、存分になされよ」

「ははっ!()(がた)き幸せに(ぞん)じまする」


 だが、肝心の面談は一瞬で終わりを告げた。


 前々から思うておったのだが、茅野家に(つら)なる女子(おなご)達は皆様さっぱりし過ぎておると云うか、どこか強すぎるきらいがあられる。飯井槻さましかり、御妻女様しかりだ。


 あとで知ったことだが、儂が御目通りを願った際、どうやら彼女は侍女頭(じじょかしら)と碁の真っ最中であったらしく、しかも勝つか負けるかの壮烈な戦いを繰り広げていたそうで、儂との面会を早く終わらせ雌雄を着けたかったそうである。


 道理で、儂が平伏のまま頭を上げるのも待たずに立ち上がり、手をにこやかにひらひら振りながら、自らの住まいである離れにさっさと帰って行かれたわけだ。


 あの御様子だと、御自身が国主家の人質である事すら、すっかり忘れて毎日楽しんでおられるに違いあるまい。やれやれ。


 まあ、いいや。そんな事よりも先にやっておかねばならないことがある。


 今、屋敷の中では我が神鹿家の者どもで満ち(あふ)れ返っておる。ここまで儂が引き連れて来た人数は武者だけで三百人、荷駄を預かる者も入れれば五百人はいる大所帯なのだ。これに元来住んでいる屋敷の人数を入れると、手狭どころの騒ぎではあるまい。


 それにしても、こんな大人数が、よくもまあ屋敷地に入れ切ったものだと感心してしまうが、元来、攻囲された季の松原城の反攻部隊の策源地に位置付けられている関係上、敷地には余裕があるからかもしれないな。


 しかしながら、それでも大人数過ぎる彼らを抱え込むには、この屋敷は狭すぎる。もしも()(そう)なり、また何かしらの不自由をしてはいないかを探るべく、兵庫介は屋敷内の様子を見回る事にしたのだった。


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